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「『十二門論』研究」解題 11訂正版  spinobuddhist 2017/10/29(Sun) 00:49 No.54449 [返信]

 ここで、『十二門論』で「同疑因」が最初に出る「観有果無果門第二」を検討してみよう。ここでの対論者の主張は、次のように表わされる。

 結果は原因に含まれる あるいは含まれない あるいは含まれかつ含まれない

 ただしこの「あるいは」は「ある時は」という意味であるから、次のような三句分別で表わせる。

 (ある時は)結果は原因に含まれる
(ある時は)結果は原因に含まれない
(ある時は)結果は原因に含まれかつ含まれない

これを形式化すると、次のように表記される。

 Aは (ある時は)Bである       1
 Aは (ある時は)Cである       2
 Aは (ある時は)BでありかつCである 3

 われわれはこれを、存在論的な三句分別と呼ぶことにしよう。これに対して、龍樹の反論は、次のように表わされる。

 結果は原因に含まれることはなく 含まれないこともなく 含まれかつ含まれないこともない

 これは、次のような形式の三句分別である。

 Aは Bでない       1
 Aは Cでない       2
 Aは BでもなくCでもない 3

 この三句分別は、BとCの可能性をすべて否定するものであり、虚無論的なものといえよう。それゆえ、われわれはこれを、虚無論的三句分別と呼ぶことにしよう。実際のところ、龍樹による否定論証のほとんど大部分は、形式的に見るかぎり、虚無論的な構造をもっているのである。
 とはいえ、石飛がいうように、龍樹の意図はもちろん、虚無論の主張にあるのではなく、対立する二つの主張を提示することによって、「理由」の不成立を論証することにある。ただその「理由の誤り」が、「同疑因(疑いに等しいもの)」なのか「成立(証明)すべきものに等しいもの」なのかが、ここで問題となっているのである。
 しかしながら、われわれがこれまで確認してきたことに従うかぎり、たんに存在論的三句分別に虚無論的三句分別を対置することは、「懐疑」を否定するには十分なものとなりえないのである。
 次に、『十二門論』で「同疑因」が二番目に出る「観三時門第十一」を検討してみよう。対論者の主張は、存在論的三句分別として、次のように示されうる。

 原因は結果より先にあるか、あるいは結果より後にあるか、あるいは結果と同時にある。

 原因が結果より先にあるとは、原因が「過去」にあることを意味する。原因が結果より後にあるとは、原因が「未来」にあることを意味し、「目的因」などに当たるものだろう。原因が結果と同時にあるとは、原因が「現在」にあることを意味する。
 ここで注意すべき点は、「現在」とは「過去でもなく未来でもない」ものではなく、「過去でありかつ未来である」ものである、ということである。これは、線形的な時間を考えるとわかりにくいが、「永遠の今」という哲学的主張を考えると、解りやすいだろう。過去を振り返ることも未来を期待することもともに現在においてある、ということである。
 この対論者の存在論的三句分別に対して、龍樹が示すものは「三時の否定」(三時門破)であるが、要はまたしても虚無論的三句分別なのである。すなわち、

 原因は結果より先にあるのでもなく、結果より後にあるのでもなく、結果と同時にあるのでもない。

 龍樹の主張がここにとどまるのであれば、われわれの「疑い」は、晴れることはないであろう。

「『十二門論』研究」解題 10 訂正版  spinobuddhist 2017/10/29(Sun) 00:44 No.54448 [返信]


 今ここで、

 A は B あるいは C か

という「疑い」を、論証式によって表わすことにしよう。とはいえ、疑問文や命令文や感嘆文は、真偽値をもつ命題にはならない。したがって、この「疑い」を平叙文に変換すると、次のようになる。

 A は B あるいは C である

 確かに「杭か人か」というような経験論的な疑いであれば、これを「これは杭かあるいは人である」と言いかえても、なんら問題が生じることはない。もちろん杭でも人でもない可能性はあるが、しかしそれは実際に確認して検証することができるからである。
 しかしながら、哲学的な疑いについては、そうはいかない。哲学的・形而上学的な「疑い」に関しては、そのように疑問文をたんに平叙文に変えるだけでは、石飛が指摘するように、例えば「因中有果か無果かについて「疑い」があるという意味なら、有果か無果かのどちらかは成り立つはずであると、相手論者はせまる」ことになってしまうからである。
 したがって、哲学的・形而上学的な「疑い」は、真偽値をもつ命題としては、必然的に次のようなかたちをとることになるだろう。

 A は Bである あるいは Cである あるいは BでもなくCでもない 

 このようにすれば、AはBでもCでもない可能性が確保されるので、「疑い」は少なくとも「判断保留」としては、成立しうることになる。逆にいえば、われわれは、哲学的・形而上学的な疑いをもつとき、つねにこのような「BでもなくCでもない」を想定している、ということがいえるだろう。
 なお、選言命題には、選言肢のうち少なくとも一つが真であることを立言する非排反的選言の場合と、選言肢の一つがそして一つのみが真であることを意味する排反的選言の場合とがあるが、上の命題は排反的選言命題となる。
 それでは、今ここで、この懐疑論的命題を否定してみよう。

 「A は B あるいは C あるいは BでもなくCでもない」のではない

 ド・モルガンの法則により、「BかつC」の否定は「BでもなくCでもない」とはならず、「BでないかあるいはCでない」となる。したがって、この否定命題は、次のような連言命題になる。

 Aは Bでもなく かつ Cでもなく かつ BでないのではないかあるいはCでないのではない
 そしてこの複合命題を、三つの命題に分解して並置して表記すると、次のような三句分別になる。

 Aは Bでない                    1
 Aは Cでない                    2
 Aは BでないのではないかあるいはCでないのではない 3

 これは明らかに、矛盾した内容をもつように見える。それゆえ、われわれはこの三句分別を、矛盾的三句分別と呼ぶことにしよう。この矛盾的三句分別こそが、懐疑論の否定であり、「中道」ではないだろうか。

聞きなさい 自ら起こす元 を     春間 則廣  2017/10/26(Thu) 09:19 No.54435 [返信]


言うだけではなく  聞きなさい
 自ら起こす元 を  聞き返す

>  これに反して、いわゆる空論者は、八不を縁起から独立させ、超越化して、これを「空」と呼びならわす。

そういう傾向が “ 空論者 ” と 呼び捨てる者にもあるけれど 
そこがみえない「空論者」 

> なぜなら、「空」は「他によらない」ものだからである。

あなたによって
あなたの解釈で
 「空」 は  存在性を有らしめられている

他によらずに  誰の 解釈による ??
( その誰を  自分 が知る      と顛倒するから 「空」 を いう )

語られていることが なぜ 語り得ぬこと となるのか   春間 則廣  2017/10/25(Wed) 08:24 No.54431 [返信]


>  龍樹の主張がここにとどまるのであれば、

龍樹 は 主張(など)していない
あなたが “ (龍樹が)主張している ” と 主張する

> われわれの「疑い」は、晴れることはない

われわれ  には  「我」 が入るか 否か
われ が 入らなければ  われわれ とは 何を言っているのかが 不明となる

我に疑いがあるかどうかが 我の問題である
なければ 問題とすることが(語りうることとして)ない

「 論理哲学論考 」 7
   語り得ないことには 沈黙すべきである

> ないであろう。

ない と 断言できない
なぜできないかを 考察できていない
できていれば
考察の結果によって  ある・ない  が 断言される

問題はそこにある

語り うる か、 得ぬ か  が 問われる

語り得ぬこと  と  語ること  が   規定され 語られ る

誰に語られているかを
誰が知るかは
  語り得ないことに あたるけれど
誰も 誰か を 知ってはいない
( いつも ひとりぽっち  なのです )

 ? ミチノミチタルハミチデアル  ?     春間 則廣  2017/10/24(Tue) 09:51 No.54429 [返信]


>  確かに「杭か人か」というような経験論的な疑いであれば

経験とは何か

>  なんら問題が生じることはない

経験的に物事を考えると
 なんら問題は起きていない  と  平然と言える
経験的に  と 経験をもとにして 言う

> しかしそれは実際に確認して検証することができる

経験的に 経験だけを根拠として 確認検証 を おこなう

> A は B あるいは C あるいは 非Bかつ非C である

これは
「 AはA であって Aではない 」
ということ と 違うことを表わす

「 B あるいは C あるいは 非Bかつ非C である 」 ということも
「 故に 非A  非B は 非C  であり A B C  それぞれである 」 と 続けられない

> 考え得る三句分別のパターンをすべて網羅すると、次のようになる。

考え得ない = 考えない  ことを 論に乗せようとしているけれど
「 論じえないことを 論じてはいけない 」  という 言葉 は
論じる者に 馳せられている

考え得るものをすべて並べると 考えを言う

考えの 正否は  考えを披露する者の範疇にある

“聞者” は  この 語られたことを   乗り越えなければならない

語ることを乗り越えて 語られることを 乗り越えられる
生の歩みは その 乗り越え=一歩 にあり
提示され語られた道は そこに ふみつけられて  存在を明かしている


   生 滅      春間 則廣  2017/10/18(Wed) 08:50 No.54420 [返信]


>> 原因を滅すれば、結果も滅することになり、「諸行無常」の成り立つことが示される、ことになる。
>  原因を滅すると表現しますよね。

“表現” と “原因”  という語 を 選択することとは
表現の仕方 で 差が起きます

“表現” という語 を使用するとき “原因”  が起きます 
何故 “表現” という語 を使用するのか という 原因には 
既に 使用法に係る 結果の想定があります
 ( ないとするなら ないとする 論を組み  表現します  )
“ 結果 ” は “ 原因 ” の 行き着くところです

>  別に滅する必要はないのではないかと思うようになってきました。

なぜ必要か  という  哲学的 「論」 に
必要の 「因」 があります (  >  これを「行」という  ) 

「死」 という  「果」 が  起きるには
「生」  が ( 原因 = 諸行の 自らの 所行 として ) 起きなくてはなりません

考えても 生きている
考えなくても  生きている ( 生を問わない → 「 不生 」 です )

不生 とは 生きているかどうかを 問うことではなく、
問わぬことでもありませんが
問うから 問う主体と客体化される概念
 との “狭 ”間  に 「不生」 が 起き 認識の溝は広がっていく 、、、、

   滅する  という 語  が  ソゴ に あります

翻訳の 語  として  「滅」 を 受けるから
訳に対する 自らの解釈( 訳 = 選択上の気分 ) が 起きます
それに対して 「唯嫌揀択」 が 置かれます

「生」  とは  誰でも受けていることで
 受けさせるには  苦痛を伴うともいえますが
  ( 出産 あるいは それを支える 経済活動 ) 
  ( この場合 “経済” とは 少し 違う概念 だと知ってください 、、、、 )
  ( それぞれにある理財を維持する あるいは 経世済民  )
 受ける には 難を用いません ( 誰でも知らぬ  内  に 受けている )

「生」 を 受けない者は “存在” を持たない
 ( モノ   は 生を受けて
   承けられた モノから 存在を与えられ 生 と 共に一体としてある )


こういうことを 考察(考えること) をしなくとも
楽しんだり 苦しんだり 迷ったり  することに  (生滅を問う)必要性は 起きません


>  原因がわかればそれで終わり。

終わり  という語 を   「滅」する  と      する  と
悩みの  生起   を   「生」きる   とで    きる ( 「不生」 が 起きる )

悩むに足る事かどうかは  原因を知るときの 生きるにある
と  知る とき ( 原因を知ると )
 ( 滅する のは 生きること という そこの場所における 観念 ) 
原因ではなく  生起させる そこにおける 「生」 にあると知る 

「行」  が 
 「苦行」  と 理解されています 、、、、

唱えるときには 「 クギョウ 」  と めざすところ に つながります

クワバラ クワバラ

 無痴 の 口 →  口  に矢を 立てる=突き通す     春間 則廣  2017/10/17(Tue) 12:13 No.54416 [返信]


四角四面 は どこの面 ?

*************

>原因を滅すれば、結果も滅することになり、「諸行無常」の成り立つことが示される、ことになる。

これにて、寂滅しますね。


乗れた!

*************

聞く者と 語る者 とが 同時(同じ場=同じ∃)にあり
聞く  と 語る  とが 異時にある

これを

聞く者と 語る者 とが 異時(異なる場所)にあり
聞く  と 語る  とが 同時にある

としたとき
これは 異事 であるか  オナジ であるか ?

意地 でも 知ろうとする 時  時は 止まっている


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