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仏陀の道の端で  spinobuddhist 2018/10/11(Thu) 18:42 No.55126 [返信]

侍 や 秋 風 ば か り 袖 擦 り し

バッハ、ギター演奏、名演2盤

https://www.amazon.co.jp/Bach-Transcriptions-Graham-Anthony-Devine/dp/B0051Q9X74/ref=sr_1_25?ie=UTF8&qid=1539250780&sr=8-25&keywords=%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E3%80%80%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC

https://www.amazon.co.jp/Bach-J-S-Sonatas-1001-1003/dp/B003QKWQS0/ref=sr_1_54?ie=UTF8&qid=1539250903&sr=8-54&keywords=%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E3%80%80%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC

   転記        春間 則廣  2018/10/11(Thu) 09:52 No.55125 [返信]


仏教についてのひとりごと

No.9813    引用の (雑阿含経) が  …
               2018/10/11 09:45

>>No. 9812

引用の (雑阿含経) が
 正しく引用されている  として  でも

「 生 」 について “ セイカク ” には 記述されてはいない
( 生 とは 何か ?  ・  生 の 意味とする 根拠 )

識、心、意
を 「 生 」 と する時
「 死 」 は 如何に ?

「 識、心、意 」 は

 いかに  生まれ( 起き )  て 、
  天上・人中 に “生まれた” のか ?

“ 心意識 ”  が  あるとしよう
それを認める 認識の 所在(生)もある

そういうことを 「 二元論 」  という

「  直心是道場 」 の 意味を取り違えると

二元化 に 陥る  (   「 念仏者は無碍の一道 」   )



************

9812

san*****
10月11日 08:51

>>9744

人は息を吸って吐くような短い間に死んでいる。人の命ほどもろいものはない。人の身には三つのものがある。身体が死んだならば識、心、意が移動する。この識・心・意の三者は常に一緒に移動している。悪を行ったり、悪に布施したものは、地獄・餓鬼・畜生・鬼神の中に入る。善を行ったり、善に布施したものは、識・心・意の三者がそれにしたがって、あるものは天上に生まれ、あるものは人中に生まれる。この五道(地獄・餓鬼・畜生・人・天)に墜ちるものは、皆坐ったまま、心を整えていないせいで墜ちるのだ。 (雑阿含経)

さて、人として姿を現し目覚めた人と言われるゴータマの心意識はどこに行ったのかな?
迷いの世界を離れた浄土に常住が、大乗仏教。  行方不明が小乗仏教ってことかな?

心意識は目には見えない、目には見えなくても、有るんだよ。 昼間のお星さまは見えないけれど、有るんだよ。
冬の地中のタンポポは見えないけれど、有るんだよ。  小乗仏教があうのなら、しっかり戒律をまもって、悟ってからものを言わないと、悪業三昧になる。

南無妙法蓮華経


仏陀の道の端で  spinobuddhist 2018/10/10(Wed) 07:24 No.55124 [返信]

葦 原 に 降 り た る 君 や 夏 日 暮

夏 の 葦 同 じ 泥 土 を 踏 ま ざ り き

秋 更 け て 窪 地 の 萱 の 黄 金 か な

萱 原 に 下 り し 君 の 消 え 去 り ぬ

   転記      春間 則廣  2018/10/09(Tue) 21:45 No.55123 [返信]


仏教についてのひとりごと

No.9708

分かりにくい文章を 送ります …
                        2018/10/09 09:26

>>No. 9706

分かりにくい文章を 送ります                         

分かりにくいのは  わたしのせいかな ?

(  私が 成就者ではなくとも この文章は 論理的整合性 を 保っています )


>  今さっき、一人で、瞑想みたいに自分の内面を見つめていたのですが

それは 瞑想  ではありません
しかし
それを 瞑想 と 名付けることは 自由(勝手) です

わたしが、 あなたの瞑想 を 瞑想ではない
  と    名付ける(規定し象徴する) ことが
わたしに許される とき ( あなたは許さなくとも私は許す )
あなたが 自由 に 瞑想を定義づけることが 
(あなたによって)   許されている
      ( 文章が読み取れるかな ? )

瞑想 は “ 内面を 見つめる モノ ” ではありませんが
結果として 
瞑想の後 内面を 見つめることが出来るようになります
どう見つめているかで
瞑想 か 瞑想ではない かが 決まります
( 正しく 起っていることを    起っているがままに
   見つめることが出来るようなら
    それは  仏教でいう ジャーナ=禅  で それが  瞑想 です  )

あなたの言うようなことは
誰にでも 起きていることで 傷は 自然に治り 自然に 身に また起きます

悪 の 結果(果) として 起きるのではなく
人の生は そう起きるように  起きています( それが 生のありよう )
生にある人には これは 免れ得ぬこと です
( 癒えるのも 免れ得ない → 生を終われば 免れ得る → 輪廻する )
輪廻 を
  またやり直すことが出来る事  
と  肯定的 に  とらえる人  には
あらゆる宗教は 無縁です

やり直すことが出来る 自己が 確立していて
やり直さなければならない自個 は 確立してはいない ( から  やり直される )

> こういうものが涅槃だとしたら、そうかも知れないと思うのです

そういうモノを 涅槃だと   思う
   と
そう思えるモノです ( 思うことにより、思うことは 存在を 確定していく )

そう思うだけ です ( それだけしか 思いの中に見出さないだけ )


涅槃 に 赴けば やり返し は ありません

それを 不死 といい その仕組みを 「 不生 」 と 言います

このことが 正しいかどうかは ( 論理的にでも成り立つけれど ! )
般涅槃する( 悟る ) と 納得できます 

論理上も 整合性を持ったことですが
整合性のない論理で 判断すると 非整合  となります

このことは ブッダ から 凡夫 まで  全てあてはまる構造です

( それを 補うために 「 煩悩即菩提 」 ・  「 衆生本来仏なり 」 が 置かれます )


   転記      春間 則廣  2018/10/09(Tue) 09:37 No.55122 [返信]

仏教についてのひとりごと
No.9708
分かりにくい文章を 送ります …
2018/10/09 09:26
>>No. 9706


分かりにくい文章を 送ります

分かりにくいのは  わたしのせいかな ?

(  私が 成就者ではなくとも この文章は 論理的整合性 を 保っています )


>  今さっき、一人で、瞑想みたいに自分の内面を見つめていたのですが

それは 瞑想  ではありません
しかし
それを 瞑想 と 名付けることは 自由(勝手) です

わたしが、 あなたの瞑想 を 瞑想ではない
  と    名付ける(規定し象徴する) ことが
わたしに許される とき ( あなたは許さなくとも私は許す )
あなたが 自由 に 瞑想を定義づけることが 
(あなたによって)   許されている
      ( 文章が読み取れるかな ? )

瞑想 は “ 内面を 見つめる モノ ” ではありませんが
結果として 
瞑想の後 内面を 見つめることが出来るようになります
どう見つめているかで
瞑想 か 瞑想ではない かが 決まります
( 正しく 起っていることを    起っているがままに
   見つめることが出来るようなら
    それは  仏教でいう ジャーナ=禅  で それが  瞑想 です  )

あなたの言うようなことは
誰にでも 起きていることで 傷は 自然に治り 自然に 身に また起きます

悪 の 結果(果) として 起きるのではなく
人の生は そう起きるように  起きています( それが 生のありよう )
生にある人には これは 免れ得ぬこと です
( 癒えるのも 免れ得ない → 生を終われば 免れ得る → 輪廻する )
輪廻 を
  またやり直すことが出来る事  
と  肯定的 に  とらえる人  には
あらゆる宗教は 無縁です

やり直すことが出来る 自己が 確立していて
やり直さなければならない自個 は 確立してはいない ( から  やり直される )

> こういうものが涅槃だとしたら、そうかも知れないと思うのです

そういうモノを 涅槃だと   思う
   と
そう思えるモノです ( 思うことにより、思うことは 存在を 確定していく )

そう思うだけ です ( それだけしか 思いの中に見出さないだけ )


涅槃 に 赴けば やり返し は ありません

それを 不死 といい その仕組みを 「 不生 」 と 言います

このことが 正しいかどうかは ( 論理的にでも成り立つけれど ! )
般涅槃する( 悟る ) と 納得できます 

論理上も 整合性を持ったことですが
整合性のない論理で 判断すると 非整合  となります

このことは ブッダ から 凡夫 まで  全てあてはまる構造です

( それを 補うために 「 煩悩即菩提 」 ・  「 衆生本来仏なり 」 が 置かれます )


  転記     春間 則廣  2018/10/08(Mon) 08:12 No.55120 [返信]


195685   さんね  10月8日 00:11

>>195683
不二一如世界!

わかるかな?

わかんねーだろーな??

わかりませんよね???

君が否定してやまない

日本人の感性で味わった世界の近くにもいるんじゃね!

さんね

*************


>>195685

> 君が否定してやまない

否定はしない
しても 否定されるのみ

> 日本人の感性で味わった世界

日本人 なんて  存在しない概念ですが
存在させる 概念は ある

その概念が  固執  です
日本人が 存在しない のに 日本人の概念が 存在する土俵がない

日本的感性 という 言葉が 象徴しようとする概念は
( コレ コレ このように在る ) と 提示すれば  そのようにあるけれど
そのようは ” コノヨウであるコレ ” とは 同一であるかどうかは
何ら(論理的に)証明されてはいない


まあ  “日本人の感性” で これを読み取れば
“日本人の感性” は それで(その読み取り方で)十分とする

ここで 露呈していることは
あなたには
 あなたが読み取ること以外には
 語られていることはない
ということ

読み取りにくいのは わたしの構成が 悪いのではなく
読み取る能力による  のみ


仏陀の道の端で  spinobuddhist 2018/10/05(Fri) 12:13 No.55119 [返信]

秋 曇 り 眼 差 し 遠 き 菩 薩 か な

秋 空 を 雲 縦 に 割 り 風 孕 む

秋 空 や 哀 し き 人 と 笑 い た る

記事No 削除キー

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