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吉祥なる縁起3  Satya 2016/11/24(Thu) 12:18 No.53912 [返信]

> 「そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。」に因があり、「善き人々の正しい理法を知ったならば」に「縁」があるということです。

上記の助詞に「が」ではなく「に」を使っているところに更なるミソがあります。

その更なるミソは、仏に帰依し、ダルマに帰依し、善き人々に帰依し、

その真実(仏との因縁)を自分で知ることにより理解できると思います。

なぜ「善き人々の正しい理法」と、「わたし(釈尊)」ではなく「善き人々」とされているのかも理解できるでしょう。

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Re: 吉祥なる縁起3  Satya 2016/11/24(Thu) 17:20 No.53912

> 上記の助詞に「が」ではなく「に」を使っているところに更なるミソがあります。

<その更なるミソについて>

「善き人々が詩をとなえた。」とき、それが「正しい理法」だと知るためには、聞いた瞬間かつて学んだダルマの句を思い起こすことができないと、それが「正しい理法」だと知ることはできません。

これは仏に帰依し、ダルマに帰依し、善き人々に帰依し、功徳を積んだ者だけが思い起こすことができることです。

だからこそ、「わたし(釈尊)」ではなく「善き人々」の正しい理法を知ったならと表現されており、「わたしの詩にも耳を傾けよ」とも記されているのです。

「思い起こし」、つまりふと湧出される(ダルマの句の)思い起こしがあるから、そのとき(瞬間)「みごとな詩」だと思うのです。


聞いたこと、見たことを後であれこれ考えて妄想することは、思うこととは違います。

妄想することは「業」になりえますし、それを言葉にだせば(内容によっては)決定的な「業」となりえます。

そういうことも含めて

「みごとな詩をとなえる善き人々とだけ交われ」と命令形で説かれているのを目にすることは幸せなことです。

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Re: 吉祥なる縁起3  Satya 2016/11/27(Sun) 09:31 No.53912

> 「みごとな詩をとらえる善き人々とだけ交われ」と命令形で説かれている

悪がいる場では、因と縁の揃い踏みがあろうとするのを阻む汚れが存在する。

プライド、序列(差別)、嫉妬、管理、その他諸々がある場では、因縁はあり難い。

しかし、善き人々との交わりでは、功徳を積もうとする人々の場であるがゆえに、因縁がありうる。

つまり、

すなおに真理を聖求する人がみごとな詩の真意を知り、因縁がありうるのは、善き人々の交わりの場であるということでしょう。

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 何が 吉祥なものか 、、、、       春間 則廣  2016/11/24(Thu) 10:42 No.53911 [返信]


> 「そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。」に因があり、

縁があるから (縁に沿ってみごとに)となえるのです
唱えることは因ではない


> 「善き人々の正しい理法を知ったならば」に「縁」があるということです。

知らなくても 「 縁 」 は ある

あっても 知らないと すれば(決めつければ)
無いという意味を選択する
「 唯嫌揀択 」

あるということは 揀択には上らなくても ある
ないということは ある という ことがなければ 成り立たない ( 空 )

神が いるかどうか は 証明する必要がない

いないから いるということを作り出そうとする

知るのは 縁 ではありません
知っていることに 「縁」 が  起き 
そこに 「 縁 」    が  ある 
( 知っていることがすでに起きていなければ 知ることはない )

この意味が分かると
「 自他不二 」 が 分かる


吉祥なる縁起 2  Satya 2016/11/19(Sat) 10:47 No.53903 [返信]

> 智慧が現れて、煩悩をすて、証を取る=無明が破られる

ルーパの脱落があって、煩悩が消滅し、(身)証がある。そしてダルマの出現を知って(正しい理法を知って)智慧を生じるという順序になると思いますが、

一気にダルマの出現があって智慧を生じ、ルーパの脱落がある場合もありうると思います。

ちなみに、「ダルマの出現を知って」とは、「因縁があって」ということで、この因縁を知らずして理法は説けないのではないでしょうか。

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Re: 吉祥なる縁起 2  Satya 2016/11/22(Tue) 16:34 No.53903

<参.>

ルーパの脱落(身解脱)があった方は、それが仏(仏界)との因縁によって起ったことを知っていると思います。

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Re: 吉祥なる縁起 2  Satya 2016/11/23(Wed) 13:07 No.53903

仏(仏界)との因縁はどのように起きるのか、ここが知りたいところだと思いますが、
その答えは、11/13に<参>として紹介しています。

「そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。ただ、善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。善き人々の正しい理法を知ったならば、すべての苦しみから脱れる。」

上記のミソは「順次みごとに詩をとなえた」と「善き人々の正しい理法を知ったならば」です。
つまり、ここにダルマの出現があります。

ダルマの出現は詩のように短い言葉として現れます。

なぜそれが「因縁があって」かは、

「そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。」に因があり、「善き人々の正しい理法を知ったならば」に「縁」があるということです。

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Re: 吉祥なる縁起 2  管理人エム 2016/11/24(Thu) 10:00 No.53903

なるほど!! 

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Re: 吉祥なる縁起 2    春間 則廣  2016/11/24(Thu) 10:32 No.53903

こういう事になるほどと言えて
なるほどと言えないことには納得しない

なるほどに
頭を下げる
知恵の浅はか

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Re: 吉祥なる縁起 2  管理人エム 2016/11/24(Thu) 13:02 No.53903

>なるほどと言えないことには納得しない

いつでも「なるほど」と言えるときには、「順序」というのがありますね。
「順次」と、ここでは書いてあります。

「縁ったあとで、生じている」とき、「なるほど」となる、と気づきます。

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Re: 吉祥なる縁起 2    春間 則廣  2016/11/24(Thu) 19:22 No.53903


> 「そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。」に因があり、

順次と 説かれたとき 順をどうつけますか ?
つけようによって 順は変わる

聞いた順 であっても 後のことが先にある こともあるなら
順の意味は 後が先ですか
後が先になるとき は 後が 先(の意味) ですか ?
後は 語順の後 なら 
先になる ということは どうなってるの ?

聞いても 意味を取り違えているとき
それでも 聞いたことであると 語順に沿って 後先をつけますか ?

順序よく考えて
順序を 間違えないように教えてください

> 「善き人々の正しい理法を知ったならば」に「縁」があるということです。

善き人々 は
“どういう理由”   で  善き人とされますか ?
善なることのすべてが (よき友と)共にあるときにある

のであれば
共になければ、 何もない(善なること)

あなたは 誰と共にありますか ?

( “どういう理由” かを “先に” 教えてください )

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Re: 吉祥なる縁起 2  管理人エム 2016/11/25(Fri) 10:26 No.53903

>順次と 説かれたとき 順をどうつけますか ?

それは、またそれ。

「なるほど」の順序は、「なるほど」の順序。

ブッダの「順次」は、ブッダの「順次」。

二つにそろってあるのが、プラティートヤ・サムットパーダ。


「縁って、起こる」というあり方です。「縁って」の「って」というところが、一番印象的に響いています。今のわたしには。

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Re: 吉祥なる縁起 2    春間 則廣  2016/11/26(Sat) 09:36 No.53903


>  それは、またそれ。 

どう ソレ てあるか  オセーテ !

>  「なるほど」の順序は、「なるほど」の順序。

なるほど  と聞いて  順次   浅はか   を聞く

>  ブッダの「順次」は、ブッダの「順次」。

ブッダの順次は あなたが決める
あなたが 決める 
あなたが ブッダ

>  二つにそろってあるのが、プラティートヤ・サムットパーダ。

“二つにそろって” ない   のが 「 縁起 」
縁起を限定すると 縁起ではなく
 故に そこに  縁起が起きる

>  「縁って、起こる」というあり方です。「縁って」の「って」というところが、一番印象的に響いています。今のわたしには。

今のわたしと 過去のわたしと 未来のわたし  にある
差異は どこでつけますか ?

“ 今でしょっ ”  て  いつ言ったか 今考えてごらん
過去にある 今が 未来を 決められますか ?

今は 今ではないことによって 今となる

これが 縁起の見せる 今の側面です



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「悟って涅槃に行きなさい」の非存在  pocket 2016/11/18(Fri) 16:18 No.53899 [返信]

エム先生

> ここなんですが、二つとも、常にゴータマの教えにおいて学べ、となっていて、悟って涅槃に行きなさいとも言っていないのです。

ここ、言ってないだけで、そのまま行くと悟ってしまう行を教えていると私は思うのです

特に「比丘は常に考察しながら気づきをもって学習していきなさい。」という教えですね。このまま行くと悟るでしょう。『大四念処経』も個々の細かい行の説明の部分は、これに近い語り方です。


ここは先生が、”「悟って涅槃に行きなさい」の非存在”にこだわっている、という見方もできるんじゃないかと思いました。

少し強引な感じを受けたのです。もちろん経典はそういう見方を許していると思いますが。

菩薩はそう読むかーと言った感じです

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Re: 「悟って涅槃に行きなさい」の非存在  管理人エム 2016/11/19(Sat) 06:05 No.53899

pocketさま

おはようございます。
読みながら、しばし考えていました。

>ここ、言ってないだけで、そのまま行くと悟ってしまう行を教えていると私は思うのです

たしかに、いずれも悟りへと向かわない教えは説かれていませんので、「八偈品」の16経すべて、目指す目標は一つです。
だから、悟りに行くことははっきりしているのですが、どのようにして行くか、というところで、さまざまなヴァリエーションが出てくるのだと思います。

第十四経は、その教えが、ブッダの行ったやり方をまねるというやり方を教示しているものだ、というところに特徴があると思います。

つまり、悟りを開いた人ゴータマが実際に行ったようなやり方を、自分のやり方として、進んで行きなさい、ということで、具体的に何をするのかが、一番見えにくい教えになっています。

つまり、悟った時、ブッダは、ウパカという行者に、無師独悟(先生なしで悟った)と答えているのです。

ゴータマのやり方は、「先生なしで悟る」という方法で、それを人々に教示しているのです。

先生なしで悟りなさいと教えるブッダの教えにしたがって、やって行きなさい、というとき、この道は、どれだけ困難かわかるのではないでしょうか。
独自の道を行くことになります。そうしながら、「みずから直証した法をみて」いくことが、証しになります。
つまり、誰も保証してくれない、ということでもあり、他から伝え聞いたものはない、というやり方を採ることでもありますね。

だから、よほど心がけていかないと、失敗してしまうだろうということから、「常に尊師を礼拝して学んでいきなさい」などと励ましているのではないかと思います。

他の経と比べて読むと、違いがはっきりしてくるのではないかと思いますが、
どうでしょう。

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Re: 「悟って涅槃に行きなさい」の非存在  pocket 2016/11/19(Sat) 15:33 No.53899

> 他の経と比べて読むと、違いがはっきりしてくるのではないかと思いますが、
> どうでしょう。

先生の『スッタニパータと大乗への道』でとりあえず経典の部分だけ読んでみました。

なんだか、見習いの修行者に語っているというか、…そうですね、菩薩に向けた経典という感じがしますね。外道(仏教以外の行者)に向けても語っている感じです。おっしゃる通り異質な経典だと思います。

> ブッダの行ったやり方をまねるというやり方を教示しているものだ、というところに特徴があると思います。

そうですね。ブッダに行儀を教わっているかのようです。


しかし…!
929
村の中で(人々と)付き合ってはなりません。

という部分が気になりました

が、

そのあとに「利益をもとめて…」とあることから、他の利益のためなら、積極的に付き合ってもよいのだ、という風に解釈できますね。

自分としては納得しました。

どうもありがとうございました。。。

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吉祥なる縁起のつづき  pocket 2016/11/15(Tue) 21:52 No.53892 [返信]


PLさま

> 無明が破られる、ということを、赤痢についての認識が変わることで喩えた、ということですか?

あー、たぶんそういう感じのことが言いたかったと思います
例えが分かりにくくてすいません・・・

智慧が現れる=無明が破られる

なのか、

智慧が現れて、煩悩をすて、証を取る=無明が破られる

なのか

それが知りたかったのです

知ることの後に、煩悩を捨てるという1ステップがあるのかなあ、なんて思ってました


これでも伝わってるか、自信がないですが、とりあえず投稿します

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Re: 吉祥なる縁起のつづき  PL 2016/11/18(Fri) 18:02 No.53892

pocketさま

うーん、すみません、よく伝わりません。
で、pocketさまの疑問にも答えられるわけでもなかったのですが、赤痢の喩えはどういうことだろうと思って聞きました。

おじゃましました。

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Re: 吉祥なる縁起のつづき  pocket 2016/11/19(Sat) 15:40 No.53892

そうですか・・・(´・ω・`)

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Re: 吉祥なる縁起  Satya 2016/11/12(Sat) 11:38 No.53864 [返信]

> サーリプッタ長老は縁起の教えを聞いただけで預流果に悟ったのに
&#8232;> どうしてブッダの法を隅々まで知り尽くした龍樹は悟りを開いていなかったのだろう


サーリプッタ長老は「縁起の教え」を聞いたときに、自分の内に因と縁のそろいがあったからではないかな。

龍樹が悟りを開いていないとしたら、縁を起こす直接的なダルマの出現に出会わなかったのでしょう。

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Re: 吉祥なる縁起  pocket 2016/11/12(Sat) 15:35 No.53864

Satyaさま

ダルマが人を悟らせるのかな…

よく分からなくなってきちゃいました


そういえば上座部のアビダンマでは涅槃という勝義法の作用で煩悩が消えると解釈するようです。『分別論註』という注釈書の翻訳に書いてありました。
びっくり!ブヒブヒ。。。

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Re: 吉祥なる縁起  Satya 2016/11/12(Sat) 16:27 No.53864

> 真理を知っても、気力でうおおおっと踏みとどまれるものなのだろうか

> 「知ることで、心は変わってしまうのではないか?」

> ここが疑問なのです、


真理を知る(アタマで理解する)だけでは、解脱は起きないでしょう。

ダルマの出現があって、解脱が起きているか、いないかは、本人の(解脱)知見に任せておいた方がよろしいかと。

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Re: 吉祥なる縁起  Pocket 2016/11/13(Sun) 09:54 No.53864

> 真理を知る(アタマで理解する)だけでは、解脱は起きないでしょう。

頭で知るのではなく、「智慧によって」知るのです。
それでも、解脱は踏みとどまれるのかなあ、と


そういえば、「智慧は解脱ではありません。煩悩を捨てることが解脱です」という(だったかな)、スマナサーラ長老の法話を読んだのを思い出しました。。多分そういう経典があるんでしょう

ああ答え出たかも・・・ありがとうございます、Satyaさま

龍樹がニカーヤで裏をとってないはずないな、と納得しました

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Re: 吉祥なる縁起  Satya 2016/11/13(Sun) 12:54 No.53864

<参>

五分のニカーヤに「そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。ただ、善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。善き人々の正しい理法を知ったならば、すべての苦しみから脱れる。」と語られています。


「正しい理法」を知っているということは、「ダルマ」の真実を知っているということで、智慧が露わになっているということです。

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Re: 吉祥なる縁起  Satya 2016/11/13(Sun) 15:35 No.53864

<注>
「真理を知ったならば、すべての苦しみから逃れる。」は誤りではない内容なので、

「真理を知る(アタマで理解する)だけでは、解脱は起きないでしょう。」は誤解を招く書き込みです。m(_ _)m

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Re: 吉祥なる縁起  Satya 2016/11/13(Sun) 15:49 No.53864

<漢字変換のミス>
苦しみから逃れる ⇒ 苦しみから脱れる

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Re: 吉祥なる縁起  Pocket 2016/11/13(Sun) 15:51 No.53864

「ただ、善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。善き人々の正しい理法を知ったならば、すべての苦しみから脱れる。」



ブッダの言葉をおすそ分けしてもらいましたね
実は私はアビダンマばかり読んでいて経典には疎いんですよね
この法の味わい、ええなあ…

ありがとうございます
サードゥ、サードゥ、サードゥ・・・(合掌)

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顛倒が謎を呼び寄せる     春間 則廣  2016/11/11(Fri) 21:22 No.53863 [返信]

> サーリプッタ長老は縁起の教えを聞いただけで預流果に悟ったのに

時代をごっちゃにしていませんか ?
野球のルールで サッカーをしても そぐわないところがあるのです

正法 の 時の 舎利子 でも
像法 の 時の舎利子 は 観(音)自在 菩薩 に 教えを説かれています
像法 の 龍樹は 像法の時の人に 合った説き方 を します
末法 の 空海は 正・像 を 受け(テキ) ます

> どうしてブッダの法を隅々まで知り尽くした龍樹は悟りを開いていなかったのだろう

龍樹が悟りを開いていないと
何故わかりますか ?

判断の基準(根拠)はどこにありますか

> (何でも菩薩としては弘法大師の方が三地で格上だともいわれるとか)

空海は ( 菩薩と呼ばれてはいません )
菩薩ではありません

仏法において 上下があると どこで教えられましたか
上座部には 長短があり それは 仏法にたがいます

長老という 上の方をいただく者には 下々のことしかわからず
上座のことは 分かる理由がありません

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Re: 顛倒が謎を呼び寄せる   Pocket 2016/11/13(Sun) 16:45 No.53863

春間さまに真剣に応えてもいいのかな・・・

時々、春間さまは戯れに言葉を交わしているんじゃないかなという気もするんですが

> 龍樹が悟りを開いていないと
> 何故わかりますか ?

> 判断の基準(根拠)はどこにありますか

龍樹が『十住毘婆沙論』で二乗の道に堕ちるのは「菩薩の死」だと述べているからです

また、悟った人は、自分が悟っていると知っているとも言われています。

不妄語の人である菩薩、龍樹は嘘をつかないことでしょう
だから、わたしは「龍樹は悟っていない」とのべるのです

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Re: 顛倒が謎を呼び寄せる   pocket 2016/11/13(Sun) 16:58 No.53863

>空海は ( 菩薩と呼ばれてはいません )
>菩薩ではありません

春間さまには「菩薩」という言葉はなく

いちめん空の海ばかり

ああ、円満なり!


♪いろはにほへど、

ちりぬるを〜

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Re: 顛倒が謎を呼び寄せる     春間 則廣  2016/11/13(Sun) 17:30 No.53863


> 時々、春間さまは戯れに言葉を交わしているんじゃないかなという気もするんですが

そう思う時には 戯れがある
ないと言っても、あると思うことを妨げることはできない
戯れとする その(自らの)心を覗く気はありますか ?

> 龍樹が『十住毘婆沙論』で二乗の道に堕ちるのは「菩薩の死」だと述べているからです

そう読むのは あなたの解釈です
菩薩に死があるかどうか 、、、、
翻って 生きている とは どういうこととしていますか ?

> 悟った人は、自分が悟っていると知っているとも言われています。

それはどうでもよいことです
あなたが知るかどうかです
何(悟り)を知るか で 知ること(悟りの有無)は 決まる

あなたの実証がないことを
あなたは根拠にしても問題ありませんか ?

ブッダ が 何を言っているか(説く内容) を知るのが ブッダです
それを 悟り を 知ると言います

言葉を知っても 中身には届かない
洋服はきれいでも 心は きれいではない

そういうことは 
“きれい”  ということ を 起こすときには 必ず起きています

自分を見つめているつもりの時は
つもりがある

ちゃんと見ることを 「 正見 」 という

ちゃんと見れていないことを ちゃんと見ている と 顛倒する
( 自分には出来ていない  と  臆面もなくいえること  それが顛倒にある )

出来ているかどうかを 「 正見 」 できていますか ?

そういう思い上がりが 上下の 根拠です

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