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仏陀の道の端で  spinobuddhist 2018/01/17(Wed) 18:14 No.54678 [返信]

生きものたちに

枯 野 に て 修 羅 の 屍 を 土 葬 せ る


冬 晴 れ や 畜 生 の 苦 除 き た れ


プ レ リ ュ ー ド フ ー ガ と ア レ グ ロ 変 ホ 長 調

顕浄土真実教行証文類     春間 則廣  2018/01/17(Wed) 12:38 No.54676 [返信]


知りたいことが
生きていきたい こと  になっていますか ?

「教」え は 「行」にあるとき “真” と なります

どのような 真 を 保つかで 「信」ずる ところが決定されています
( 真を明かそうと 商量する )

不図 を 図することなく(量りにかけず) あかしていく → 「 証 」

「 念仏(不図) が 念仏していく 」


定型句の訳し方  KIM 2018/01/16(Tue) 17:38 No.54672 [返信]

 皆さん、こんにちは。仏教の定型句について教えてください。

無聞の凡夫は、…色を自己として見、あるいは色を有する自己を(見)、あるいは自己の中に色を(見)、あるいは色の中に自己を(見る)。

 よく見かける定型句です。ここで、「色を自己として見」がよくわからないのです。パーリ原文は次の通りです。

rUpaM attato samanupassati

 attato は attan の奪格だと思うのですが、奪格のいろいろな用法のうち、どの用法を指して、「自己として」と訳すのですか。一番近そうなのが、動機・原因・理由を意味する用法ですが、それも直訳すると「自己のために色を見る」「自己によって色を見る」「自己の理由で色を見る」「自己を通じて色を見る」となって、いまいち納得できません。

 「色を自己としてみる」と中村先生や増谷先生は訳されているので、そういうものだと思うことにしていましたが、やはり気になります。ちなみにサンユッタニカーヤ22−7経で、中村先生は「身体を我(自己)であると見る」であり、増谷先生は「色(肉体)は我であると見る」です。

 よろしくお願いします。

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Re: 定型句の訳し方   春間 則廣  2018/01/16(Tue) 19:19 No.54672

>( わたし という この身  の 為ではない )

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Re: 定型句の訳し方   春間 則廣  2018/01/16(Tue) 23:37 No.54672


訳し方ではなく
生きざまです

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Re: 定型句の訳し方  KIM 2018/01/17(Wed) 10:25 No.54672

 少し追加しておきます。

 これは五様の分析と言われるものの一部です。五様の分析ですぐに浮かぶのが中論の火と薪の論述です。中村先生訳の10−14は次のようになっています。括弧数字は私が便宜上付したものです。

 さらに(1)火は薪ではない。また(2)火は薪以外の他のもののうちにあるのではない。(3)火は薪を有するものではない。また(4)火のうちに薪があるのでもない。また(5)薪のうちに火があるのでもない。

 ここで注目するのが(2)です。「薪以外」ということで、indhanAt という奪格が使われています。つまり火は薪とは別だという意味で奪格が使われているのです。この用法は単純に分離の用法です。

 これから推し量ると、rUpaM attato samanupassati も単純に、「色は自己とは別であると見る」というふうに取るほうが自然ではないのですか。直訳では「色を自己から見る」となります。私は最初はそのように読んでいたのですが、諸先生方の訳に従って、そんなものかなと思うようにしていました。しかしなにか気色が悪いものが残るので、はっきりさせたいと思った次第です。

 ついでですが、私は五様の分析を次のように理解しています。(1)A≡B、(2)AとBは交わらない、(3)AとBは一部交わる、(4)AはBを含む、(5)BはAを含む。したがって、サンユッタニカーヤの記述は、(2)が省略されているのではなくて、(1)が省略されているのではないか、と見ています。

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Re: 定型句の訳し方  管理人エム 2018/01/18(Thu) 06:30 No.54672

KIMさま おはようございます。

書こうと思いながら、なかなか書き込めなくてすみません。

rUpaM attato samanupassati

> attato は attan の奪格だと思うのですが、

わたしは、奪格の中で、「〜から」と起点などを示す意味に理解しています。まあ、理由とか原因とかでもよいとは思いますが、

「色を、自己(という起点)から見る」ということで、どうしても「自己」という視点を中心に何でも考えてしまう、ということだと思っています。ただ、この表現も、色と自己の関係について述べていますので、「色を自己であると見る」とか「色を自己として見る」とか、色と自己の間にどのような関係があるのかという点を中心に語ることになるのだろうと思っています。

パーリ語のニュアンスを全部入れて、うまく訳すのはむずかしいですね。
「色を自己と見る」と「色を自己という観点から見る」ということとが、両方合わさったような訳は、なかなか思いつかないです。さらに続いて、訳しますと

色をもつものを自己であると見たり、自己の中に色を見たり、色の中に自己を見たりします。

となります。パーリ語の語順を生かして訳してみましたが、こう書くと、「自己」という一点をキープして、「色」にかかわる表現が結びつけられているようにとらえると良いのかもしれません。

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Re: 定型句の訳し方  KIM 2018/01/19(Fri) 08:50 No.54672

 おはようございます、エム先生。

>色を、自己(という起点)から見る」ということで、
>どうしても「自己」という視点を中心に何でも考えて
>しまう、ということだと思っています。

>自己」という一点をキープして、「色」にかかわる表
>現が結びつけられているようにとらえると良いのかも
>しれません。

 文脈としてはその通りだと思います。ここは五様のうちの(1)が抜けているのか、(2)が抜けているのかにたいした意味はないところかもしれません。原始仏教にも空という視点は萌芽としてあるのだけれど、後でのように完成した形では現れていません。縁起も同様です。五様の分析もそのようにとらえるところのように思えてきました。

 我を語る定型句にはもう一つの型があります。「これは私のものである、これは私である、これは私の自己である。」こちらの方がよくでてくるようですが、これも凡夫が自己に取著する姿を現しています。その意味で、これは諸行を説いていると思います。少し前に五蘊の諸行が複数形なのを論じましたが、このように様々に構成される自己を諸行としているのだと思います。

 我執・我所執はひとことで言えば、我慢でしょう。経典の多くはこの我慢を離れ、我慢を超えることが多聞の聖者という展開で終わります。春間様も言われています。「訳し方ではなく生きざまです」と。

 どうもありがとうございました。スッキリしました。

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法蔵比丘     春間 則廣  2018/01/16(Tue) 09:26 No.54670 [返信]


わたし  という記述があるときには  自分自身 である     と知る
あなた  という記述があるときには  “わたし”に語られている と聞く


わたしが 法蔵であり
あなたが
法蔵の 言葉を 伝え、語り、聞く (法蔵という)者である


わたしは わたしが慣れ親しむ言語によって わたしへの言葉を聞く

語られるのも 聞くのも わたしの世界に起きていること

弥陀の五劫の思惟 ただ 親鸞  ひとり が ため
( わたし という この身  の 為ではない )

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がため・・・・たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」

念仏 が 弥陀  である
「  五 劫 思 惟 之 摂 受
   重 誓 名 声 聞 十 方  」

仏陀の道の端で  spinobuddhist 2018/01/16(Tue) 06:08 No.54669 [返信]

法蔵比丘を礼拝して

茜 空 見 る こ と も 無 し 冬 日 落 つ


冬 夕 焼 見 ざ り て 影 に 鍬 下 ろ す


息 白 き 汝 の 負 う 空 に 赤 日 落 つ


気 が つ け ば 冬 日 は 落 ち ぬ 野 良 仕 舞


山 出 れ ば 西 の 枯 野 の 赤 焼 け す


枯 野 迷 い て 西 日 の 方 へ 導 か る

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Re: 仏陀の道の端で  管理人エム 2018/01/16(Tue) 11:29 No.54669

>茜 空 見 る こ と も 無 し 冬 日 落 つ

冬だなあ。
ほんとに冬の日そのもの。

1月の冬ですね。
冬至が終わって、少し日暮れが遅くなってきているような気がするのに、やっぱりまだまだ冬だと思う、そんな日。

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Re: 仏陀の道の端で  spinobuddhist 2018/01/17(Wed) 12:54 No.54669

札幌の夕日は、日が斜めに差して、格別に綺麗でしたね。
学生時代は夕方空を眺めながら一人で歩いたり、歩道橋の上からずっと夕空を眺めたりしていました。

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 コレハアカン    春間 則廣  2018/01/13(Sat) 08:56 No.54668 [返信]


忍辱を せずとも起きる  かんの こほり

ちゃった !

癇に障って 本願誇り 大蒜食べて 今日も元気

仏陀の道の端で  spinobuddhist 2018/01/12(Fri) 23:09 No.54666 [返信]

忍 辱 を せ ざ り し 寒 の 落 ち 葉 掻 き

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