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Re: 「『十二門論』研究」解題2 管理人エム   春間 則廣  2017/10/04(Wed) 10:20 No.54346 [返信]


>>  少なくとも私は、虚空が常住であるか無常であるか、あらかじめ結論を得ているわけではなく、ただそれを知りたいと思っているだけである

知りたい を 構成する 知る  は 意識の領域で 意識そのものでもあります
思う も 意識です

意識を使用して 意識の成り立ちを知ることはできません
意識があるかないかを問うことが 意識の存在を証明する 実例です

意識 を 虚空  と置き換えれば そこに実例が 顕われていますが
見る(知る)ことがなければ、見えない(知りえない)こととされる

虚空 という 用語を 使うこと自体に 使うべき 前提の概念が 存在しますが
その存在を 見なければ 見えない・ない と 言わざるをえません


>  spinobuddhistさまの疑問を、考えますと、しかし、奇妙な感じがします。
>>  ただそれを知りたいと思っているだけである。

これは 疑問には入りません
疑わずとも 存在を知りたいという 
欲求は 存在があるモノについて は 成り立つ
( 存在がなければ いかなる形でも 欲求は起きない )

“ いかなる形でも ”  ということを 掘り下げたければ  「認識の構造」 という著作で 穿たれていることですから それを読めば解決の糸口は 掴める(かもしれない)

それを要約して 結論だけを求められる時には
「 諸行無常 」 と 宣言する

義務教育の 子供  ではないのだから
問う時には 問うだけの 思量(資料) の 蓄積を成すことが必要です
思いつき  という とっかかり は 大事にされるべきことですが
どのように大事にするかは 自らの人生を いかに大事にしているかにつながっていて
そこに握手する自分を 切り離すことはできません
( 資料・準備  を 疎かにすると 網の目から 見ずからの= ミズノナカニイル 思量 が 抜け落ちる 、、、、 )

>  虚空が恒常か無常かを知りたいだけのとき、
>  「虚空は恒常である 触れないから 意識のごとくに」
>  とは、言いません。

言いますし、言うことの正否は 言う者の判断に任されている
矛盾を指摘することが
その矛盾を構築する 矛盾によって 否定される

下記のことは これを言っている

>  「意識のごとくに」という実例を出したことにより、その人の考えは決まっていると見るべきでしょう。
>  そして、意識を見て、恒常か無常かも、同じように疑うことができるのですから、やはり「証明すべきものに等しいもの」という名称が、合理であるということになります。

>  意識恒常・無常が、現実に言われているので、疑いの段階を超えて、見解として主張されてしまっているのです

合理 を 受け入れる為には
もとになる 「理」 を 勝手に解釈せずに 用いることが要されます

理に対する 説明の 深遠さを 「 縁起 」 という 言葉で 舎利弗 は のべています

“ 見解として   のべられている ”  と   いう  その言葉が (受け取る者に)
見解として  (のべられている)   と   受けとめられます

見解なく 見解を受けても  見解 は 見解  です
それを 「 見解として主張されてしまっている 」  と 説明しても
見解と受け止めること(見解) への  障害とはなりません

(突き詰めれば 突き詰めるほど)議論は かみ合わなくなります


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Re: 「『十二門論』研究」解題2 管理人エム   春間 則廣  2017/10/04(Wed) 13:05 No.54346


>  “ いかなる形でも ”  ということを 掘り下げたければ  「認識の構造」 という著作で 穿たれていることですから それを読めば解決の糸口は 掴める(かもしれない)

「認識の構造」 という著作ではなく
エルンスト・マッハ 「 認識の分析 」  という 著作でした

https://www.amazon.co.jp/%E6%84%9F%E8%A6%9A%E3%81%AE%E5%88%86%E6%9E%90-%E5%8F%A2%E6%9B%B8%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%8B%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%82%B9-%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%8F/dp/4588000268

記憶違いを 訂正しておきます


認識論 は 仏教に すべて明かされています


さまざまな (三蔵にある) 論書(経書) は  すべて その事を明かすために残されています


釈迦牟尼と 同じ世代の 思想家 もいますが
正しく 残されているモノは 三蔵 の中に見出すモノが 唯一 と 言えます
( だからといって、ギリシャ哲学・中国思想 を 否定するモノではない )

ただし、植民地政策によって もたらされた 
インド思想 ( = 仏教 ) が
西欧の すべての 科学的発展に 寄与したのです

それは  日本美術・工芸 を 通してでも あります

近世の 西欧の思想家が どう意識しているかは 別のこととして
おもに 商人たちによる 交易を通して 仏教は 広まっていったものです
( それは 西暦後 のことを指すだけではありません )

我が国固有とされる 神道 や 中国思想である 道教・儒教  も  さらには
今に伝わる インド思想 さえも  真理は 仏教に発しています
( だから  三蔵  を 引き合いに出したのです )

釈迦牟尼は 牟尼であり ブッダ であるから 真理を保持して(今に生きて)いますが

それに接するところは 「 世間 」 の 中 に おいて であり
「世間虚仮 唯仏是真」 という言葉は 世間の言葉 です

仏 が 誰を指すかは 「  唯仏与仏 乃能究尽  」


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「『十二門論』研究」解題2  spinobuddhist 2017/10/03(Tue) 21:04 No.54343 [返信]

ただし石飛は、龍樹は『方便心論』において「生疑似因」という項目を立て、「疑い」を「自然に起こる」もので、「知覚などにより確かめることができる」ものに限定したという。なぜなら、「学派の事情や学説などが絡んでくる論証の場合、疑いが自然に起こるというより、自分の主張する学説を正当化する関係上、疑いが意図的に生み出されてくるということになりやすい」からである。
この考えに従うならば、先のA:《虚空は常住である、触れることができないから、意識のごとくに》に対して、B:《「虚空は触れることができないが、恒常なのか無常なのか」と疑うとき、他の人が、「虚空は触れることができないから恒常である」というようなものである》と言いかえることは、できないことになるだろう。
しかしながら、われわれがもしもそのような疑問を持ち得ないならば、われわれは哲学的な問題に関して、疑問を持ち、探究することが、できないことになってしまうのではないだろうか。少なくとも私は、虚空が常住であるか無常であるか、あらかじめ結論を得ているわけではなく、ただそれを知りたいと思っているだけである。
したがって、ここでわれわれは、あくまでもAとBの表現形式の違いから、純粋に議論を導いていく必要があるといえるだろう。
AとBを見比べてまず解ることは、Aは「意識のごとくに」という「実例」(喩例)をもつが、Bはそれを欠いている、ということである。

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Re: 「『十二門論』研究」解題2  管理人エム 2017/10/04(Wed) 06:22 No.54343

spinobuddhistさま

>この考えに従うならば、先のA:《虚空は常住である、触れることができないから、意識のごとくに》に対して、B:《「虚空は触れることができないが、恒常なのか無常なのか」と疑うとき、他の人が、「虚空は触れることができないから恒常である」というようなものである》と言いかえることは、できないことになるだろう。

こういう人が出てくることを心配して、龍樹は、「ヴァルンヤサマ(証明すべきものに等しいもの)」に、虚空恒常の論証の例を説明に加えたのだと思います。

たしかに、実際には、疑うことは可能だからです。
その点で、「同疑因」でも「証明すべきものに等しいもの」でも、どちらでもかまわないだろうと言うことはできます。

そのことを考えて、龍樹は、『方便心論』の中で、これら二つを区別できるように、あらたに「生疑似因」の名をあげて、そこに実例をあげました。この「人か、杭か」を疑う例は、『ニヤーヤ・スートラ』に取り入れられました。

spinobuddhistさまの疑問を、考えますと、しかし、奇妙な感じがします。

虚空が恒常か無常かを知りたいだけのとき、

「虚空は恒常である 触れないから 意識のごとくに」

とは、言いません。
「意識のごとくに」という実例を出したことにより、その人の考えは決まっていると見るべきでしょう。

そして、意識を見て、恒常か無常かも、同じように疑うことができるのですから、やはり「証明すべきものに等しいもの」という名称が、合理であるということになります。



また



しかし、下の文章でもお話ししましたが、意識恒常・無常が、現実に言われているので、疑いの段階を超えて、見解として主張されてしまっているのです。

そこで、「証明すべきものに等しいもの」という名称が立てられているのだと考えられます。

ただ、疑う段階を超えて議論がすでに起こっているからです。

論理というだけではなく、実際に、当時どう考えられたかということを知らねば、なかなか論法の用語は意味をつかむことはできません。



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Re: 言葉の不思議 まとめ   春間 則廣  2017/10/03(Tue) 19:38 No.54342 [返信]


>そのまま そっと 過去のこととして 一纏め に しておきなさい

“ そっと ”  と “ 過去の事 ” ということが キーポイント です

“ そっと ”  とは 優しく包み込んで イツクシム ということで
イツクシム  とは 愛着(愛執) を持つということではありません

自分では   好き好んで 愛着を持って扱っている    つもりではなくとも
行っていることは 全く同じです (違うという解釈を持つ)
( 同じ行いに 違う解釈を起こすから 自らの中だけではなく、 自他にも 相克を起こす )

 “ 過去の事 ” ということ は 今取り上げることではない  ということです
釈迦牟尼は 三世=過去現在未来 の 相違 を 説きません
相異 を 取るのは あなたの認識です

今に(あるモノを 記憶の範疇にあるという理由で)なくしなさい というのではありません

あるモノは 顛倒であろうと 執着であろうと あります
意識 という モノは 触れることができる 物体としての存在性を持つ モノ  です

あるモノ(存在する・実在する モノ) を ないと言っても 意味がありません
( ましてや、ないモノを あるという意味は さらさら 流れさる 、、、、 )

たとえ 流れ流転するモノでも 意識がある限りは 実在です 常住です

その存在は 意識という 虚空にある


今のことを 過去という分類のベールにくるんで 優しく 抱きしめてあげなさい
あなたのモノだから あなたしか 大切にすることはできない
翻って
こういうことは、わたしのことだから
わたしは そっと触れて 優しく 保持する


わたしのベールの中は
 あなたには 見えても 触れられないことです
  ( わたし だけ が わたしを存在させて 大事にするしかない )


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Re: 言葉の不思議 まとめ  みどり 2017/10/04(Wed) 10:37 No.54342

春間さま 有難うございました。

わたしにとって、どうやら、それらを過去の事に分類して、そっと慈しむことは、かなり難しいことのように思います。

今のわたしの何かが壊れているからかも知れません。

わたしの心はその人に深い反省と、わたしに対しての心からの謝罪を求めています。

わたしは、ここで「贖う」という言葉を使いますが、

その人はいわば詐欺をして、被害者には、彼らのパパなる神が贖うとし、パパなる神が贖うので、自分の行為は詐欺ではないという風な論理の持ち主でした。

その人は自分の欲は「聖なる欲」で、それが、そのまま「自分を大切にすることだ」と主張し、自分は人々の宝だとしていました。

わたしは、そんな彼に、かって、わたしが異国と祖国との両国で味わった、心底の恐怖を味あわせたいと、どこか思っているのです。
ぼんやりとですが。

しかし、表面上は、違法なことをしていないその人は生き延びるでしょう。

果たして、心の道理はどのように貫かれているのでしょうか。
わたしに知るよしもありません。

『愚か者に後ろに悪者がいる』

これはその人がよく口にしていたヒンデュー教の聖者の言葉らしいですが、その時の、わたしとその人の関係を如実に言い表しているように思います。

今もそうかも知れません。その悪者の姿が見えないだけで。

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「『十二門論』研究」解題1  spinobuddhist 2017/10/03(Tue) 17:32 No.54339 [返信]

石飛道子は、『十二門論』においては、本来「成立(証明)すべきものに等しいもの」であるはずの表現が、青目=鳩摩羅什によって「同疑因(疑いに等しいもの)」に置きかえられている点に着目し、ここから次のような結論を得ている。

  簡単に言うなら、青目にとって、空は、一切の論法を超えて成  り立つ、賞賛される理論であるようだが、『十二門論』作者や  『廻諍論』作者にとっては、空は、「成立すべきものに等し   い」という理由の誤りによって見解を捨てる道なのである。

「成立(証明)すべきものに等しいもの」は、例えば次のような形で示される。

  虚空は常住である、触れることができないから、意識のごとく  に。

しかしながら、同じ内容は、「同疑因(疑いに等しいもの)」によっても、次のように示されうる。

  「虚空は触れることができないが、恒常なのか無常なのか」と  疑うとき、他の人が、「虚空は触れることができないから恒常  である」というようなものである。

問題は、この二つの「誤った理由」の違いから、石飛のいうような結論が、論理的に導き出されうるのか、ということである。

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Re: 「『十二門論』研究」解題1  管理人エム 2017/10/04(Wed) 05:56 No.54339

spinobuddhistさま


>「成立(証明)すべきものに等しいもの」は、例えば次のような形で示される。

>  虚空は常住である、触れることができないから、意識のごとく  に。

違いますよ。
「証明すべきものに等しいもの」の実例として、龍樹があげているものが、

虚空は常住である、触れることができないから、意識のごとくに。

です。
そして、それは、チャラカの論議道と合わせて読まなければなりません。

意識は無常である 触れることができないから 音声のごとくに

という実例と、対をなす形で、その特徴がはっきりと出てくる、ということです。
これは、「成立すべきものに等しいもの」ではありません。


実に、意識が恒常か無常かについては、実際に議論もあります。ニヤーヤでは、無常とし、サーンキヤでは恒常としていると思います。『ニヤーヤ・スートラ』を調べてみるとわかります。

同疑因の実例は、「論議道」の中に、アーユルヴェーダを語る人についての推論が載っています。

「論理的に」と言いますが、どのように考えられていたのか、ということを知らないと、それを「論理的に」使いこなすこともできないでしょう。

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無記って  莓箭毒蛙 2017/09/24(Sun) 13:39 No.54317 [返信]

やっぱ理解されないみたいですね。

             /)
           ///)
          /,.=゙''"/
   /     i f ,.r='"-‐'つ____   細けぇ事はいいんだよ!!
  /      /   _,.-‐'~/⌒  ⌒\
    /   ,i   ,二ニ⊃( ●). (●)\
   /    ノ    il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
      ,イ「ト、  ,!,!|     |r┬-|     |
     / iトヾヽ_/ィ"\      `ー'´     /

(=人=)ムニ〜

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Re: 無記って  莓箭毒蛙 2017/09/26(Tue) 00:28 No.54317

最近、葦束の譬えが少しわかり始めてきたんですよね。

自分のドゥッカと原因の条件関係sine qua nonが観えたらそれでよし。
細けぇ事はいいんだよと。
  /)
 / /)
`///   __
| ̄二つ /⌒⌒\
| 二⊃/(●)(●)\
/  ノ/ ⌒(_人_)⌒ \
\_/|   |┬|   |
 / \  `ー′  /

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Re: 無記って  管理人エム 2017/09/26(Tue) 05:40 No.54317

無記より、名画に眼がいってしまうわ。すごっ!

無記の語りに意味を見いだした人が、大乗へとすすんでいった、というのが自論です。

マールンキヤプッタ病を重度に患ってる人ですね。

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Re: 無記って  莓箭毒蛙 2017/09/26(Tue) 06:30 No.54317

アスキーアートのコピペですから全然すごくないですね。

>無記の語りに意味を見いだした人が、大乗へとすすんでいった、というのが自論です。

大量下血で心肺停止になるまで生き抜くのは利他ですね。他に何か理由があるのでしょうか。時間が余ったからちょっと戯れてみた?

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Re: 無記って  管理人エム 2017/10/03(Tue) 10:32 No.54317

>大量下血で心肺停止になるまで生き抜くのは利他ですね。他に何か理由があるのでしょうか。時間が余ったからちょっと戯れてみた?

利他ですねぇ〜、わたしにも、そう見えます。


「時間が余った」っていう風に思って、生きるなら、やっぱり利他かな。
死ぬまで生きてるわけだから。最後まで行(サンカーラ)が効いてますね。

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Re: 無記って  莓箭毒蛙 2017/10/03(Tue) 14:46 No.54317

>死ぬまで生きてるわけだから。最後まで行(サンカーラ)が効いてますね。

ゲコゲコ

ですので、無宗だ様が阿修羅之間で述べておられるような

>苦の滅が、涅槃だとすれば、それが最高の境地だとするなら
>期待して裏切られると苦になるから、何も期待しない、何も願わない(無願)
>という、ものすごく後ろ向きの生き方が絶賛されているということにならないか?

という疑問は、ブッダの生涯から推測するに見当はずれということになりそうですね。

阿羅漢の利他行こそが無償にして清浄ですね。
菩薩はなんかかっこつけてる感じでねぇ。蛙はいいや。
阿羅漢がいいですね。

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Re: 無記って  莓箭毒蛙 2017/10/03(Tue) 15:31 No.54317

と、思ったけど信仰に関わることだから野暮でしたね。

野暮蛙は去りまする。

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Re: 無記って  管理人エム 2017/10/04(Wed) 18:04 No.54317

>阿羅漢の利他行こそが無償にして清浄ですね。
>菩薩はなんかかっこつけてる感じでねぇ。蛙はいいや。
>阿羅漢がいいですね。

もっとも清浄なのが、阿羅漢ですよね。
この前、阿羅漢は、なぜ阿羅漢の生き方があるのか、一瞬、了解しました。

今まで、菩薩がいいと思っていたんだけど、阿羅漢の清らかさがちょっとわかったような気がして、「これ(=こういう生き方)で良いんだ」って納得しました。


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新論文への感想  えび天サンバ 2017/09/11(Mon) 10:38 No.54301 [返信]

エム先生、新論文掲載、ありがとうございます。

忙しすぎるのはやはりいけませんね。時間ができたのはとても喜ばしいことです!

一度読んだだけですが、今の僕には、これを読むためには相当の集中力が必要なので、とりあえず紙にしました。

「空」をめぐっての具体例が示された感じで、とても参考になります。

また、龍樹研究の外堀が埋められていく感じで、相当にスリリングな展開ですね。後はエム先生による中論頌、本の丸が見えてきました。

とりあえずお疲れ様でした。感謝合掌

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Re: 新論文への感想  管理人エム 2017/09/12(Tue) 00:05 No.54301

えび天サンバさま

さっそく、ありがとうございます。

『十二門論』には、ずいぶんモヤモヤした感じが鬱積していて、いつか解明しよう、いつかはっきりさせようと思っていました。
ようやく、少しすっきりしました。

ほんとは、安井広済氏の論文を読んで、同じところを検討するつもりで、そこに集中していたら、「観性門第八」の中に「敗北の立場に陥る」(失處に堕す)という表現があって、あれ??って思ったのです。

論理用語だ!

こんなところに一つだけ。。

これがヒントになって、「観性門」の内容もわかってきたし、また、論理用語つながりで「同疑因」を検討して、けっこう大きな結論に至ったので、「同疑因」の方から先に論文にしました。

もう一つ書く予定の「観性門第八」の解読も、今回の論文とすごくよくつながっていて、おもしろい内容です。

『廻諍論』も、『十二門論』があると、わかりやすくなるような気がします。

『中論頌』は、龍樹著作と言われてきた作品をまめに読んでいくと、けっこう見えて来るなあと思っています。

『スッタニパータと大乗への道』で、八偈品を解読して、それが『中論頌』をお膳立てしていることがわかってきたし、だいぶ道が開けてきました。

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Re: 新論文への感想  えび天サンバ 2017/09/22(Fri) 19:26 No.54301

エム先生

先生に仏典の読み方のツボを教わり、ようやく少し仏典が読めるようになったようで、大いに感謝しています。もう一本の論文の方も、大いに楽しみにしています。季節の変わり目、よろしくご自愛くださいませ。 

えび天サンバ合掌

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Re: 新論文への感想  管理人エム 2017/09/26(Tue) 05:46 No.54301

うふふ。
それはよかったです。

経典は、たぶん、まだまだいろんな読み方が出来るのだろうと思っています。
情景がリアルに浮かんで来ると、読みが深くなっていってるということだなと思っています。
最近、わからなかったものが、次第に「見えてくる」という感じになってきています。

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お久しぶりです  たろ 2017/08/19(Sat) 03:29 No.54259 [返信]

管理人エム様

お久しぶりです。たろです。お元気そうで何よりです。

先月末で結婚4年めとなりました。うちのネコのチャコが昨日で2歳の誕生日となりました。

生きていればいろいろなよしなし事が移り行きます。あと2年で今の会社とは分かれて新たな道を開かなければなりません。まあ大きなものを抱えてよくリーマンを続けられたなあと自分でも思います。

去年は誕生日に蕁麻疹を発病して、一時髪の9割が抜けるひどい目に会いましたが、さいわいまた髪が生えてきて、元に近く戻りました。

広島も暑い日が続いてますが、盆を過ぎて少し涼しくなってきました。

ご自愛下さいませ。またふらりとよらせていただきます……m(_ _)m

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Re: お久しぶりです  チャラ男如来 2017/08/20(Sun) 15:20 No.54259

全部妄想ですれぼw今日いちにちしか人生はないんでぇw
わたくちなる人生などないんぞよよw

まあがんばってくだちいw
青蓮華のように尊い在家道wわしもミスユニバースひっかけるかのうw

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Re: お久しぶりです   春間 則廣  2017/08/21(Mon) 07:18 No.54259


> 全部妄想ですれぼw今日いちにちしか人生はないんでぇw
わたくちなる人生などないんぞよよw

全部 妄想ならば これが 妄想

妄想を起こす 対象は 妄想外にある

全部が妄想ではない こと の 証です

妄想は “我” に あって  “他” にはない  ということです

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Re: お久しぶりです  管理人エム 2017/08/23(Wed) 16:26 No.54259

たろさま

19日に書き込んでいただいて、今日は、もう23日。。
すみません。

おお、もうご結婚4年目ですか。はやいですねぇ。
ネコのチャコちゃんは、2歳。若い!

うちのネコのダンとサムは、6歳くらいです。
お話しをうかがうと、いろいろたいへんな経験もされていたのですね。

お身体を大事にして、どうぞお幸せに。
わたしは、あいかわらず龍樹です。成長してないですわ。

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