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 剣をとって 破壊する    春間 則廣  2019/09/04(Wed) 14:51 No.55435 [返信]


“ The pen is mightier than the sword. ”

無駄を重ねるのは 無駄である

見ても 見ず 聞いても 聞かぬ 
そこから いかに 悟り(正しい意味) を 得るのか

見たいように見る
聞きたいように聞く
読みたいように読む
何を得るために 見聞きし読むのか ?

自らの 正当性が 欲しいのであれば
見ずとも・聞かずとも・読まずとも そこに 現存している

あなたが 欲しているのは  「 誤り 」  だと  知りなさい
( 誤りで さえ  望まずとも あなたに現存している )


************


「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、 罪人を招くためである。」
( マタイ9:13 ・ マルコ2:17 ・ ルカ 5:32 )

「34わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
35わたしは敵対させる ために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。36こうして、 自分の家族の者が敵となる。
37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。 わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
38また、 自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、 かえってそれを得るのである。」
(マタイ10:34-10:39)


、「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、 むしろ分裂だ。」  
(ルカ9:49-51)


マタイ13:13
「わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからだ。」


マタイ13:11
「あなた達には、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからである。
13:14・15 『 確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。  この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/04(Wed) 21:39 No.55435

これらの聖書の言葉で、また思い起こしてしまいました。

>「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、 罪人を招くためである。」
( マタイ9:13 ・ マルコ2:17 ・ ルカ 5:32 )

12年ぐらい付き合って、その人はこう言い出しました。

「わたしの周りに来る人は皆、病人なんですよ。健康な人は来ないのです(笑)」

聴いた瞬間、呆れました。
そもそも、バッハの音楽を利用した「真理話」を仕掛けたのはその人だったから。

「病人」という表現はブッタを意識したものだったと思います。

>「34わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
>35わたしは敵対させる ために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。36こうして、 自分の家族の者が敵となる。

正にその人はそのように18歳のわたしに働きかけました。

それは家族にとって大きな災いとなり、取返しのつかない傷を残しました。

>37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。 >わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。

「〜〜(わたしの名前)君の仕事は、わたしの死ぬ姿を観ることなのですよ」って、その人はこれから取り込もうとする若者たちの前で言ってました。とても意図のある表現だったと思います。

>38また、 自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、 かえってそれを得るのである。」
(マタイ10:34-10:39)

「僕と付き合うと危機に出会うのです。それが、また善いことなのです」って言ってましたね。

>マタイ13:13
「わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからだ。」

「一次方程式が解けない人には二次方程式は解けへんやろう?」
その人はこの譬えをよく好んでしていました。

>マタイ13:11
「あなた達には、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからである。

ここはイエスと大きく違います。

その人は育ちの良い裕福な老人を好んでいました。
そして貧乏人たちを軽蔑していました。

「だってお坊ちゃんは拗ねてないから。拗ねているいる人よりいいやろう?」って友人の僧侶に言っていました。

その僧侶、十字架の上で罪人の為に祈るイエスをその人の前に出してきて、

「僕はイエスみたいな慈悲心は無い!」と首を大きく振ったそうです。その人曰く、仏教の凄い聖者なそうですが、、、

>13:14・15 『 確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。  この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』

「こんなことを喋る僕が偉いのではないのです。こんなことを喋らせる相手が偉いのです」って言ってました。

これもブッタの縁起を意識したものだったと思います。

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/04(Wed) 21:51 No.55435

ある日、その人は怒りに駆られて、

「ここで僕が「地獄へ落ちろ!」って言うと僕の罪になるのですね」と、わたしに言いました。

この時初めて「地獄へ落ちろ!」みたいな言葉を聞きました。
わたしは大層驚きました。

それまで聞いたことの無い種類の言葉でしたから。

今はよく聞きますが、、、

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Re:  剣をとって 破壊する    春間 則廣  2019/09/04(Wed) 23:29 No.55435


>  「こんなことを喋る僕が偉いのではないのです。こんなことを喋らせる相手が偉いのです」って言ってました。

“ 話し ”  とは  語る人 と 聞く人  とによって  成り立つ   
けれども
語る人は 聞く人 でもある
(  対面する聞く人よりも もっと身近に 身(≠心)中に於いて聞く  )
語る人と 聞く人 二人
つごう 三人 です

「 二人いる時は ミタリ と 知る そこに親鸞がいる ( のを 見たり ) 」

えらいことを 聞かせるのは
聞かせなくてはならない 二人がいるから 、、、、   そこに親鸞がいる 、、、、

> これもブッタの縁起を意識したものだったと思います。

似ている けれども まったく違うことを言っているのです

ブッダ は  「 縁起 」 を 知る
縁起を知る者は ブッダ を 見る
ブッダ は “ われ=わたし ” と   “  「 法 」 ” を 見る

見られるものと 見る者 とを 見る



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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/05(Thu) 13:03 No.55435

>「こんなことを喋る僕が偉いのではないのです。こんなことを喋らせる相手が偉いのです」って言ってました。

「自分は、高い文化と優れた法(真理)の宝庫である」っていう意識を持って語っていました。

高慢な自分を知っていて、それを自分でも意識したくないのでそんな風に言っていたのでしょうね。また、相手に自分の「慢」を悟られたくなかった。

相手を不必要に持ち上げることで、そこから甘い汁が吸えるとしていたのだとも思います。

「無我」のように表現されたある目的の定まった「慢」、そういう形だったように思います。

相手の「慢」を上手に使うと相手を支配できるとしていた人のようです。

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/05(Thu) 13:45 No.55435

>似ている けれども まったく違うことを言っているのです

恐ろしいことです。ペテン師の技なんでしょうね。

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/13(Fri) 13:37 No.55435

「仏教は真理だと思うけど、ヒンデュー教の方が肌に合う」ってその人は言っていた。

では、何をもって「仏教が真理だ」と言っていたのだろう?その人は。大きな疑問が残る。

また「僕もそろそろ(人々に)法を説かなければいけないのかも知れないのですよ」とも言っていたのだが、その場合の「法」は明らかに仏法の法を意味していた。

仏法の何を知っていたのだというのだろうか?その人は。
例えば「四諦」のことだろうか?

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/13(Fri) 13:58 No.55435

ある時、わたしに対して
「赤の他人(その人のこと)にそこまで甘えたらダメですね」ってその人は言った。


{赤の他人???}

{何っていう言葉を吐くんだ?この人は!}って思った。

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/13(Fri) 14:55 No.55435

思えば、その人は、他人を評して、「愛情がある」って言ってみたり「薄情だ」って言ってみたり、

自分に対しては、「人間的だ」って言ってみたり「非人間的(神的)だ」って言ってみたり、とにかく「言葉」で忙しい人だった。

そういうことっていうのは「難」のある人が言うことなんだなぁ〜って、今思っている。

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/13(Fri) 16:20 No.55435

「僕は鏡みたいなのですよ。僕を悪く言う人は悪人で良く言う人は善人なのです」

今思えば、開いた口が塞がらない。

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/14(Sat) 08:10 No.55435

今朝、夢の中で歯の抜けた初老の男性が出て来てこう皆に聞いていた。

「最初に(その人に)笛の吹き方を教えたのは誰か?ということだ」


『悪魔の笛』のことかと思った。

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/15(Sun) 10:06 No.55435

その人と出会ってまだしの頃のことだった。
小高い丘沿いの緑の小道を一緒に歩いていた時のことだった。

「〜〜さん、そんな風に好きなものも買うのもいいのですが、僕の渡したお金から、(仕事の)画材も買って下さいね」

わたしは勇気を出してその人に言った。

すると、驚いた様子で顔色を白くし、「それだったらわたしはお金を受け取れないのです。僕が自由に使えるお金でないと意味がないのです」と言った。

狐につままれたようだった。(何か話が違う!!!) 

「それだったらそれでいいです」わたしはその場を引き下がった。



その人との毎夜、毎夜の夜を徹した様々な話の中には、確かに大きな「騙し」が仕組まれていたのである。

小高い丘の小道で驚いた『わたし』、それが証拠なのである。

https://www.youtube.com/watch?v=7BWyxykV5A4

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/15(Sun) 13:10 No.55435

さあ、これで裁判に臨もう。
わたしは、2つの証拠を持って。

一つは若き日のわたしに彼が指さした『法句經』のこの「詩偈」

二〇 經文を誦むこと少なしと雖も、法を遵行し、貪瞋癡を棄て、知識正當に、心全く解脱し、此世他世ともに執著することなき、彼は宗教家の列に入る。

もう一つは小高い丘の道でのわたしの「驚き」

瞬く間に判決が下るだろう。

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Re:  剣をとって 破壊する    春間 則廣  2019/09/17(Tue) 09:17 No.55435


法句経 を 過去に行かせてはいけない

今に 命を 得なければ 、、、、

恨みは 恨みを生む 

 (『 真理のことば・感興のことば』岩波文庫P.10)

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/17(Tue) 10:33 No.55435

>法句経 を 過去に行かせてはいけない

>今に 命を 得なければ 、、、、

ほんとうですね。
大事なことを気が付かせて頂きまして有難うございます。
今に生かすわけですね。

>恨みは 恨みを生む

恐ろしいです。

これは今回のことを経て、自己の中にある「恨み」の恐ろしさを知ったからだと思います。

また、「怒り」や「恨み」も自己の作っている「想」への執着から来ていると一時でも知ると、それらはどこかに消えていて、心に平安が訪れます。

ブッタのお陰です。

ただわたしの場合、今や精神障害者となっていますので、継続的、持続的に自己を分析し、今ある生活を積極的に変えていくことは無理なことのように感じています。

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/17(Tue) 10:56 No.55435

>ただわたしの場合、今や精神障害者となっていますので、継続的、持続的に自己を分析し、今ある生活を積極的に変えていくことは無理なことのように感じています。

つねに他(妄想等)に操られた状態になっているということです。
「自分を律する自己がとても弱い状態」と言ったら良いでしょうか。

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Re:  剣をとって 破壊する   みどり 2019/09/17(Tue) 11:26 No.55435

今わたしの書きこんだ「恐ろしいです。」が
「素晴らしいです。」に一瞬、思える、そんな世界に住んでいます。

そして「それを書きなさい」という命令をどこかから受けるのです。
それには逆らえないのでこうやって書き込みをするのです。

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Re:  剣をとって 破壊する    春間 則廣  2019/09/17(Tue) 13:03 No.55435


誰でも 二つの声を 聞いています

その一つを 選んで (一つの)聞くこととする だけです

二つの声を 聴くとき
もう一つ 聞いていますが、 気にしない から 聞かない

「臨末の書」  とされる文が 言い伝えられること です

「 和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。    
    一人居て喜ばは二人と思うべし、
    二人居て喜ばは三人と思うべし、
         その一人 は  親鸞なり  」

  「 一人居て苦しめば 二人と思うべし 二人居て苦しめば 三人と思うべし 
         その一人 は  親鸞なり  」

語る人は 一人   一人 で 三人なり


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Re:  剣をとって 破壊する   管理人エム 2019/09/17(Tue) 13:17 No.55435

>そして「それを書きなさい」という命令をどこかから受けるのです。
>それには逆らえないのでこうやって書き込みをするのです。


それが、縁起と言われるのかもしれない。


ぎりぎり、もうやむを得ない、という時、事態が動きます。

それまでは、誰もがじっと待つのかもしれませんね。

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Re:  剣をとって 破壊する    春間 則廣  2019/09/19(Thu) 11:11 No.55435


そこに、逆らうことは、出来ません

そのような 声 が 聞こえないと(非認識 化)しても、
行いには、従っているか、従わないかで、(認識は)現れ出ます

逆らえない と 認識するのは 異常ではありません
しかし
異常だとする こと は 異常にあります

従うのも個我 従わないのも個我

有りて、有るがまま に 己 が あります

「 虎児究明 」

虎 (獅子)は 、わが 己 を 谷底に 落とす

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反論できないならもういいですから  通り雨 2019/09/04(Wed) 09:26 No.55427 [返信]

私の投稿をあなたが削除したようですね。そのことに関して『一部 あなたの書き込みを引用していますので( あなたの書き込み の ) 必要なことは 引用できていると思います』とは、本当に自分勝手な人ですね。
また消去されたらいけないので、レスの形でなく新たに立てます。
聖書を引いて反論できないのであればもう結構ですよ。



あなたの言葉
『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』
があまりにも的外れだということを言っているのです。

ごまかさないで、私の指摘が間違っているのであれば、新約聖書の言葉を引いて反論したらどうですか?

反論できないのであれば、はっきりできない、と言ったらどうですか。


私は、ナザレのイエスが、旧約聖書の救世主に関する預言を証明するため、実現するため、そして成就するために行動した、ということを明らかにするために次の聖書の言葉を引用しました。


マタイによる福音書 21.4−5

それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」



この聖書の言葉によっても、イエスは旧約聖書の預言者の言葉を実現するために行動したことがはっきりとわかりますね。

あなたのいうような、イエスはキリスト教を壊すために説教を重ねたなどという妄言はいかに的外れで、聖書もキリスト教も知らない者のたわ言かがわかります。


もしそうでないのであれば、あなたが言う『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』という言葉を、聖書を引用して証明してください。

あなたにはそれはできませんよね?
聖書を引用して反論ができないのであれば、そう言ってください。
ロバがどうだとか、柔和がどうだとか、全く本質でないことでごまかすのであれば、時間の無駄ですから。


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出会いの為に 書き込みを続ける     春間 則廣  2019/09/04(Wed) 09:46 No.55427


Re: 反論できないならもういいですから  春間 則廣  2019/09/04(Wed) 09:41 No.55427

随分 付加して 再現してくださって ありがとうございました

しかし 一番大事なことは
わたしが 妄想にあるということではないですか ?

> 私は、ナザレのイエスが、旧約聖書の救世主に関する預言を証明するため、実現するため、そして成就するために行動した、ということを明らかにするために次の聖書の言葉を引用しました。

それは  明らかなことで
動かし難い事実なのではないのですか ?

あなたが 明らかにする までもないことです

あなたは あなたが明らかにしなければならない
“ 明らかではない真理 ” を 保つわけです


この意味が 分かる時に “ 違う 真理 ”  が
あなたの妄想として 起きています
“ 真理は 一つではなかった ”  ということです

そういうことを Sn.884 で 説いています
    ( 中村元 訳  岩波文庫 「 ブッダのことば 」 194p )
「 真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。 」


この意味を 知ってもらいたいから
( 知ったあなたに 出会いたいから )
わたしは 書き込みを続けるのです



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Re: 反論できないならもういいですから  通り雨 2019/09/04(Wed) 09:56 No.55427

>それは  明らかなことで
  動かし難い事実なのではないのですか ?


本当に疲れますね。

『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』というあなたの言葉について
私が『イエスが生きているときにはキリスト教なるものはなかった』と言ったのです。
そうすると、あなたが、イエスが生きているときも、キリスト信仰はあった、と言ったのです。
つまり、あなたは、旧約聖書のキリスト信仰を破壊するためにイエスは説教を重ねた、と言ったわけです。

私は、それは全くの間違いだということを証明するために聖書を引用したのです。

イエスは、旧約聖書のキリスト信仰、キリスト預言を破壊するためではなく、実現するため、成就するために教えを説き行動したのだ、と私は言ったのです。


それでは、あなたの言葉
『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』
は間違いだと認めるのですね?

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Re: 反論できないならもういいですから   春間 則廣  2019/09/04(Wed) 10:57 No.55427

認めているのか いないのか、
あなたは、判断出来ないのですか ?

人に 聞くときには、聞く者の 礼儀があります

外れては いませんか ?

架空の前提での立論には 答えません

あなたの 真理に対しての 質問を、
質問の仕方 に沿って してください

その上で、答えるかどうかを、わたしが決めます
それは、わたしの 裁量です

今のところ
あなたの読解能力を 疑っています

言いたいことだけ言っているのは 誰ですか

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Re: 反論できないならもういいですから  通り雨 2019/09/04(Wed) 11:09 No.55427

もうごまかしはいいのです。

あなたが言う『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』という言葉を、聖書を引用して証明してください。


できないのであれば、言い訳やごまかしは時間の無駄です。

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Re: 反論できないならもういいですから   春間 則廣  2019/09/04(Wed) 12:41 No.55427


時間の無駄 ( 自感 の 無駄 )
を 省きなさい

これ以上 読むのは “ あなたの言うところの 無駄 ” です
無駄ではないと、前言を翻すのなら
いくらでも読んで、 
気が済むまで
無駄ではないことを 続けなさい
ちなみに
わたしは 寸分であろうと、
無駄を 人生の中に 見出したことはない

無駄 は あなたの所有に起きる

*********  ここまで読んだら、 もう読むのは 止めたら ?

出典を 提示出来ないのではなく
あなたにそれを 提示する必要を 認めないから
しない

出典を 持たずに
一般的な解釈と 違う解釈を 提示することはありません
その元になる 文章(出典)が あって 当然です

 しないから 出ないのです

最初の とっかかりからの
あなたの書き込み の 態度を 反省しなさい
( 反省しなければならないことが 見出せないはずです )

だから
答えません

既に答えているけれど
あなたは 読み取らない

わたしは
そのことについて どうこう できない

それにもまして
どうするかは わたしの裁量です

あなたが それを
どのように受け止めるかは
あなたの自由意志です
好きなように あなたの感じる 真実
 を  書き込めばよいでしょう

書き込んだことは
すべて、
あなたの真実 です

わたしは あなたの真実に 違う真実を 立てられない

( 何故かが分かれば、 答えない理由も分かる )

***********   無駄ではなかった



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Re: 反論できないならもういいですから  苺箭毒蛙 2019/09/04(Wed) 22:52 No.55427

利益になることはなにもないのだからほっとくのがいいと思いますよ。

挑発にのってたら自分の魂を傷つけることになります。

こういうのを放置するのは、人の苦しみを増すことにつながるので仏道に反すると思うのですが、フェアネスの徳はないようですね。

しょせんは赤の他蛙ですから。

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 再掲示 さらに重ねて を さらに重ねて    春間 則廣  2019/09/04(Wed) 08:41 No.55425 [返信]


手違いで トピ自体を 消してしまいました

( 削除した)元トピ は 55406 の 再掲示です

一応 再度 貼り付けます

一緒に削除した あなたの書き込みに対する
返信は
一部 あなたの書き込みを引用していますので
( あなたの書き込み の ) 
必要なことは 引用できていると思います

******

如来蔵

さらに 重ねて    春間 則廣  2019/09/03(Tue) 09:40 No.55406 の 返信


さらに重ねて を    さらに重ねて  07:07 No.55420

下に続いて 長くなり過ぎたから こちらにも 立てます

>  ごまかさないで、私の指摘が間違っているのであれば、新約聖書の言葉を引いて反論したらどうですか?

わたしの言葉が 間違っているかどうかは
その元の言葉が 真実かどうかによります

そして、 その元の言葉が
どのようなことを 言い表しているか ということ
その意味 が  真実です

あなたが 真実を どのような言葉から    受け止めるかが 問われます
そして その受け止めた 真実とは 何か
とうことが さらに                 根源として 問われます

“ あなたの真実 ” を 問うているのです

それは 普遍的な 「 真実 」 ですか ?

> 反論できないのであれば、はっきりできない、と言ったらどうですか。

信じていない者には 真じられない記述があります    
    ( わたしのモノとされる記述 “ も ” それに当たります )
わたし という 存在が
真実について 語ります
“ 信じられない記述は わたしに起きている ” と 、そのように あなたは 受け止めています

信じている 真実は 誰によって、 どのように記述されていますか ?

信じていない者と( 真実を持とうとしない者 と ) 語る  真実がありません


信じようとするのなら いくらでも 語ります
信じないための 材料は ここにはありません


あなたは 何を見つけ出したいのですか ?
( 虚偽を 虚偽として 見つける時 真実の裏付けが起きています )

その起きた真実は  あなたの道に
     どう( どのように )   「 命 」  を与えていますか ? 


*********

マタイによる福音書 21.4−5

それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」

*********

> 預言者を通して言われていたこと

その予言の 意味とは 何ですか ?
あなたの信仰  に 基づいた   意味を 知らせてください
その上で ほんとうの(真理への) 信仰  について 語ります

あなたは どのような予言を 信仰しているのですか ?

> 柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って

柔和な方  とは  どのような方  ですか
神殿で 商いをする者たちの 商品を載せる机を 放り散らかすような人ですか ?

ろば については 聞きませんが 、、、、 ( ろば とは  何の意味ですか ? )

荷を追う のが ろば  です
「 ( 人にある 人が受け止める 一つの )生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし 」
生とは  「 命 」 です
神の   「 命 」   が   「 生 」 です
 「 命 」  を 負う ろばの子  それが誰かを イエスは 明かしています
あなたが 出会っているのは あなたが見ている 人の生  です

あなたは 子ろば を 見ているのですが
あなたは イエスを見ていると 思っている
あなたは イエスに出会ってはいない 

まだ 子ろば の ことも知ることがないのに 、、、、

子ろば は 誰が 産みだした( 作り出した )  のかが分かれば
だれが 生み出して その生を 与えているかが 分かります
母ろば に 子ろば を 産ませた ということを 産んだ のは 何ですか(誰ですか) ?

人は 擬人化しないと 存在を 規定できません
( 机 も 衣 も ろば  も  擬人化=人の思考 で 人の意識に 存在するのです )

更に 問います
あなたの神  は いかなるモノ  ですか
言葉にしてごらんなさい

意味を問うなら 真実の意味 を まず 提示してください
( 聖書を引くのなら その意味を 信仰という真実に基づいて 明らかにしてください )


嘘 や 仮定  に 基づく  話では 意味( 真理 )を与えられることがありません
( それが 虚偽 顛倒である という 真実だけが 顕われ出ます )

あなたは 信仰を持たずに 信仰について 語り合いたいのですか ?

信仰を持つ人であれば
( それが イエスに帰来しようと、 マホメットに帰来しようと  ガウタマに 帰来しようと
    かならず わたしの話から 自らの信仰を
      その元に結び付けることが出来ます    )

信仰を持たなければ 話が 繋がるところを もってはいない

あなたが ほんとうに 自分を信じて     
     あらゆることが 自分が引き起こすことだと 知るのなら
その引き起こしていることを通じて
     自分を 見ることが適います

そういことを 仏教では 「 己事究明 」 と言います

自らの立つ 「 洲 」 を 知る  ということです
( 「 洲 」 が あなた なのであり 真実 なのです )

「 如来蔵 」



追加 ( UP後 保存時に追加 )

放り投げる乱暴者 であろうと   
我が( 乳飲み )子には 慈愛の目を向け
その時には 慈眼 の 持ち主 如来( 菩薩 ) です 


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Re:  再掲示 さらに重ねて を さらに重ねて    春間 則廣  2019/09/04(Wed) 08:44 No.55425


>  あなたは、キリスト教も聖書も知らないし、
> おぼろげな知識から、自分の妄想にこじつけているだけです。

あなたの 正しい ( 聖書から受けた啓示 による ) 理解
の 前では
わたしの 受ける啓示は ( 誤り ) 妄想の 塊です

あなたの 明確な 聖書( 新旧 ) の 知識には 一点の曇りもありません

それに対して
わたしが言う言葉は ありません

あなたに 誤謬があり 曇りがあるのなら
その誤謬と思われることと
曇りと思われることを 示してください

(万一にも)そのようなことがあれば
わたしが あなたに伝えること が 起きます

> そうでないなら、聖書からあなたの言葉を証明してください。

そういう構造にあるのですから
あなたに対して、 わたしのことばを 証明することはできません
妄想者が 真理を抱く者に 何を 証明することがありましょう

妄想は 証明するまでもなく 
あなたが 妄想である と 宣言して その存在が 確立 されています

あなたが 正しければ
その正しさ を 喧伝 してください

妄想に 関わってはいけない


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  白黒  決着     春間 則廣  2019/09/03(Tue) 16:56 No.55412 [返信]


信号の色 は 赤 青(緑) 黄  です

赤 は 何故 赤と呼ばれますか ?

波長において どこからどこまで  が 赤 ですか ?
( 12色環 を 思い起こしてください あるいは  虹  を )
https://iro-color.com/colorchart/munsell-color-system.html

青 と 緑 は 同じ色の 別の名称である時もあります
( 民族によっては 青は 緑と 表現される
    アフリカの少数民族・ヒンバ族  → 日本でも 碧 は みどりでもある )


赤 という色  は 存在してはいない
あなたの赤 の 波長は いくつ ?

こういうことが 物事の理解に 応用できなければ 、、、、

( しかし  赤 を 認めなければ 話は進まない 、、、、 )


仏典であろうと
読まれ、理解される処が  「 世間 」  であれば
その読みは 「 空 」  です

このサイト に 訪れるのなら
(  訪れた後でもよいから  )
管理人エム 様 の 著作を紐解いて
「 空 」 の 理解を深めることが 必要です

「 名称 」 を 離れる   ということは  難しいことです ( 難行です )

「 念仏 」 にある ことは  易行  です

信仰 は 誰でも 容易に得ることが出来ますが
“ 信仰 ” を 名称ととらえると  難行となる


さらに 重ねて     春間 則廣  2019/09/03(Tue) 09:40 No.55406 [返信]


応答がない ことは
屈したのか 
手に余るのか   
続ける 意味を見失った( 見出さない ) のか
 ( 先において 存在するモノが 後になって 存在を失うことはない )
 ( 意味を 付加できない ということは あり得るが それは 能力 にも 起因する )
という 問いを起こす


もう一度 まとめて、 争点を起こす 起点を 提示します

**************
その場合、 あなたが その定義を 先ず示し
 つじつまが合わないことを 理論づけて 示さなければなりません
どういうことかを あなたが 定義しなければ
わたしの使い方が あなたと違う だけであって、
   勝手かどうかは 理由が明らかにされてはいません
あなたは 勝手に 勝手だと言い張るだけのことになっています
**************

**********
キリスト教  についても  同じこと(構造・起きる仕組み)が起きます

あなたが キリスト教  を知るには  あなたが 信じるキリスト教  が 起きていなければなりません

架空の 伝聞をもとにした キリスト教 を 使っても、 架空の論が 起きるだけです
( あなたは 
   『キリスト教とは、教えを説き十字架にかけられ3日後に復活したイエス・キリストを
    救世主と信じる  教えのこと』と定義  しているその内容を 真実だと 信じていますか ?  )

わたしは( わたしのキリスト教 は ) そのようなことを 事実とはしません 

あなたの 事実  そこに基づいたことを 話の基盤として 問いかけてください


そういう 空虚な 自分を 根拠とするから なにごとにも通用する 真理 が 見出せないのです

***********

キリストの復活 ( イエスの復活 ) を 肉体的な意味で信じる人が 
> 『キリスト教とは、教えを説き十字架にかけられ3日後に復活したイエス・キリストを救世主と信じる教えのこと』
と定義しています

 ( 人 が 自分の肉体 から 離れられないのは 肉体に 支配されているからです )  

たとえば その意味が 肉体的ではないとすると
「 心 」 の 問題が起きてきます

「 心 」 が 生きている

肉体は いかに活動しようと 「 空 」 です
しかし 「 心 」 は その 物質的活動に “ 意味 ” を 与えます
その “ 意味 ” が  「 命 」  です

 「 心 」  とは  「 命 」  です

「 有情 」 という 言葉は  生命活動をするモノ 達 に  
人の 「 心 」 からの 意味を(意味を持って知る者 が)与えます  

そうすることによって 三界 の 一切の有情 は
  「 平等 」 な  「 心 」 にある(を持つ) と 理解され得ます   
   (  「 平等 」 を はき違える人は  「 心 」 に 優劣の商量の衣を着せます  )
更には 
山川草木 に対しても  それを 見て 今の見る 「 心 」 に よって
 「 心 」 の 風景 そのモノとなり
山川草木 に 心を移すことによって 「 山川草木悉有仏性 」 となります

モノ 自体が  「 心 」  を 持つことはありません
 「 心 」 を 持つ者が  「 心 」  を 起こしているのです

しかるに  人  は  (自らの揀択による)心 を 起こさずに 思量(商量) 出来るでしょうか ?
心は 商量 であり
商量 は  「 心 」 の どこかで その働きによって  「 心 」  を 知る 道具となります

そういうことを 空海は 最澄に対して ( 風信帖 九月十一日付け において )
テキリョウ  と 注意を促し テキ に 返り点を つけ リョウテキ と 際立たせます
( これは 複雑な構造で 記述していますから 簡単には 読み取れないことです )
( 読み取る精進が 正理 を 産みます )

顛倒を 直そうとはせずに 自らの解釈の世界に 常住する者は
テキリョウ を “商量” と 読みます
(  「 量商 仏法 大事因縁 」 )

論争を起こすために 論を立てるとき
根拠のない( 信じてもいないことを 根拠として )論が立てられます

キリストは 三日後に 復活したのですか ?

あなたが その復活を 目にしたり、 
その復活による 奇跡の連続に服している(恩恵を受けている)のなら
あなたの キリスト教定義 は 比較の意味を持ち
用いるあなたは 定義の違いから起きる わたしの齟齬を 云々できます

定義しなければならない  ということが
  誰に起きるか を 
あなたが  論理に沿って 解明しなければなりません


白を 赤   と言い張る 定義を用いて
白は 灰である という 論を 論破するには    
   ( わたしは イエス は 三日後に 復活したということを
     「 命 」 で 理解し  その理解を  信仰しています )
白 は 赤である と  公明に 定義しなければなりません

先に(存在が)あった者は 後になって 存在しなかったことにはならない
先に 起こされた  「 生 」 は 後になって 復活する ことはないけれど、
“ 復活 ” という語で
  他が見失った 「 命 」 を
  再び見出した という意味 に 使うことは可能である

死んだ者 が 復活した のか
あるいは
永遠 の「 生 」 にある者 が  復活 という 生きざまを見せたのか

ブッダ は 明瞭に  「 永遠 」 の  「 生 」 を 説く
誰でも得ること が 出来るのは 
誰でも     が そこにある「 命 」 を受けている から
そういうことを 分かりやすく 常不軽菩薩 に 説かせている

道にある 菩薩  は そこ(常不軽菩薩)から 地涌 の菩薩に 出会う


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Re: さらに 重ねて    通り雨 2019/09/03(Tue) 12:03 No.55406

>応答がない ことは
 屈したのか 
 手に余るのか   
 続ける 意味を見失った( 見出さない ) のか


なんとも面倒くさい人ですね。あなたの論理が無茶苦茶でしかも都合が悪くなると『黙りなさい』とか『応える必要はない』とか言っていたではないですか。
結局、あなたは都合が悪くなると、『それはあなたの論理』『私の論理は別で、どう考えようが自由だ』というようなことでごまかしているだけですよね。
どう考えようと自由なら、論議する必要はないと思いますが・・・


さて、何度言っても逃げてしまうので意味ないのですが、正面から答えるのであれば、もう一度書きますね。

あなたは
『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』
と書きましたね。

それに対し、私は、その文章のなかの“キリスト教”という言葉の定義を聞いたのです。

そうすると、あなたは
『新約聖書に残される言葉から
 受ける啓示 が キリスト教 です』
と答えたのです。

これでもまだ、あなたの説明が支離滅裂だとわかりませんか?

1、新約聖書はナザレのイエスが亡くなった後に出来たものです。
  イエスが生きていたときにはないものです。

2、“キリスト教”を破壊するためにイエスが説教を重ねたという   あなたの説であれば、その“キリスト教”は破壊すべきもの   であったということですよね?
   ところが破壊する理由があなたの文章には
   全く出てきません。
   イエスはなぜ“キリスト教”を破壊しなければ
   ならないのですか?

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Re: さらに 重ねて     春間 則廣  2019/09/03(Tue) 13:00 No.55406


> なんとも面倒くさい人ですね。

その面倒くささは
誰の所有物  ですか ?

わたしのモノではなければ
わたしが どうこう する ことはできない

わたしに由来しようと
あなたが起こすモノであれば  あなたが 解決するしかない

> あなたの論理が無茶苦茶でしかも都合が悪くなると『黙りなさい』とか『応える必要はない』とか言っていたではないですか。
> 結局、あなたは都合が悪くなると、『それはあなたの論理』『私の論理は別で、どう考えようが自由だ』というようなことでごまかしているだけですよね。

“ どう考えようと自由 ” という考え は 
あなたの考えです

どう考えようと自由  という 文面は
わたしに作った文の どこにありますか ?

あなたが そう解釈するのは、 “ あなたの自由 ” 
それを どうこうする  のも  あなたの自由

自由にしているのは 誰ですか ?
( その自由さ から 起きる綻びを 繕うのは   自由なあなた )

> どう考えようと自由なら、論議する必要はないと思いますが・・・

そのように あなたは 自由を行使する から
不自由な 生きざま が いつも 目の前に起きるのです


ブッダ は 
「 わたしは 提示する  歩むのは あなた 」 と 歩み方の 自由 を 解き明かします


> さて、何度言っても逃げてしまうので意味ないのですが、正面から答えるのであれば、もう一度書きますね。

あなたは
『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』
と書きましたね。

それに対し、私は、その文章のなかの“キリスト教”という言葉の定義を聞いたのです。

そうすると、あなたは
『新約聖書に残される言葉から
 受ける啓示 が キリスト教 です』
と答えたのです。

> これでもまだ、あなたの説明が支離滅裂だとわかりませんか?

あなたにとって 支離滅裂  ですが
誰にとっても そうである   とは  言えません

> 1、新約聖書はナザレのイエスが亡くなった後に出来たものです。
  イエスが生きていたときにはないものです。

新約聖書 は 存命中には 存在しません
しかし
その エッセンス( 啓示 ) は ナザレのイエス の 前に 存在していました
元にないモノが 後になって あるようにはならない
( 元にあるとされるモノ は  後になっても  あるとされる )

多くの(少なくはない) 聖書学者 は 新約聖書にある キリスト教 は “ パウロ教 ” だと 言います
日本の 八木誠一 などは そういう立場にいます

「 パウロ・親鸞、イエス・禅 」 を 読めば ある程度 外殻は つかめるでしょう

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%83%BB%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E3%80%81%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E7%A6%85-%E5%85%AB%E6%9C%A8-%E8%AA%A0%E4%B8%80/dp/4831810525/ref=sr_1_20?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E5%85%AB%E6%9C%A8%E8%AA%A0%E4%B8%80&qid=1567482554&s=gateway&sr=8-20

パウロ (CenturyBooks―人と思想)  こちらの方が 直接的かもしれません
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD-CenturyBooks%E2%80%95%E4%BA%BA%E3%81%A8%E6%80%9D%E6%83%B3-%E5%85%AB%E6%9C%A8-%E8%AA%A0%E4%B8%80/dp/4389420631

( くしくも 管理人エム 様 の 紹介する
      「 思想 」 1984 3月号 の 冒頭に 八木の 文が出ています )

新約の 語りは いわゆる 「 Q文書 」 を 共有して 記述されています

> 2、“キリスト教”を破壊するためにイエスが説教を重ねたという   あなたの説であれば、その“キリスト> 教”は破壊すべきもの   であったということですよね?

そうとしか読めなければ そうあるしかない
それ以外の 読み方を 知れば( 読み方が出来るのなら )、 そうではないことも 起きてくる

どう読むかは あなたの道に起きる

>    ところが破壊する理由があなたの文章には
>    全く出てきません。
>    イエスはなぜ“キリスト教”を破壊しなければ
>    ならないのですか?

あなたのように “ 名称 ” ( 薫習 ) に 支配されて
大事の事 を 見失う人が いるからです


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Re: さらに 重ねて    通り雨 2019/09/03(Tue) 14:05 No.55406

>その面倒くささは 誰の所有物  ですか ?

誰の所有物でもなく、あなたが面倒くさい人なのです。

>多くの(少なくはない) 聖書学者 は 
 新約聖書にある キリスト教 は “ パウロ教 ” だと 
 言います
 

それがあなたのいう『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』という言葉とどう関係があるというのですか。
パウロはキリストの死後に回心した人ですよ。とすれば、キリスト教がパウロ教なのであれば、なおさら、イエスが生きているときにはキリスト教なるものはないではないですか。


>そうとしか読めなければ そうあるしかない
 それ以外の 読み方を 知れば( 読み方が出来るのなら )、 そうではないことも 起きてくる


あなたのやり方はいつもこうやって、答えられない質問になると、自分の考え、読み方を答えないままなのです。
あなたの考えをちゃんと説明する気がないのであればそうはっきり言えばいいではないですか。自分の考えを言わないのであれば聞いても無駄ですから。

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Re: さらに 重ねて     春間 則廣  2019/09/03(Tue) 16:20 No.55406


あなたは 自分の好きなように 読む
だったら、 好きなように 記述することを 認めなければ 、、、、

あなたが 読みたいようには 記述されてはいない

こういう 基本的なことが 
独りよがりだから 
( ほんの少しの省略があることによって )
理解 出来ないのです
( 独りよがり は わたしにあると あなたが決める )



言っていても聞かなければ
言っていないこと となる ( 言われたことを聞かない )

文章を 読むことが出来ていない
ということに 起因するとは 思いもよらない

聞く耳がない と 聞くことはできない
耳と頭は 繋がっていて
頭は 耳の使いよう

聞いて 理解したい人 には  語ります
否定したい目的で聞く人には 
 語ることが 有意につながりません

何の為に 聞いているのですか ?

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Re: さらに 重ねて    通り雨 2019/09/03(Tue) 19:56 No.55406

もう、いい加減、正直になったらどうですか?

あなたが
『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』
と言った、それはこういうことですね。

あなたは旧約聖書にキリストつまり救世主が現れることが書かれてあり
そういう救世主願望、救世主信仰を“キリスト教”と呼んだのですね?

そして、ナザレのイエスは、そういう救世主願望、救世主信仰の概念を壊していった、ということをあなたは言いたかったのですね。

それを、私が、『旧約のキリスト信仰はユダヤ教』と言ったものだから、もう何も言えなくなったのですね?

正直に言えばいいのに。

しかし、新約聖書をちゃんと読めばわかるように、イエスは、旧約聖書の救世主の預言を壊したりはしませんでした。
全く逆です。
壊すどころか、イエスは、旧約聖書に預言された救世主が、自分であることを証明していったのでした。


これを見てもわかるように、あなたのキリスト教やナザレのイエスの見方は全く見当違いです。勘違いも甚だしい。

あなたは、よく、量子力学やキリスト教を例に出していますが
残念ながら、自分勝手に無理矢理にこじつけているようにしか見えません。
中途半端に仏教に結びつけるのは止めた方がいいですよ。

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Re: さらに 重ねて     春間 則廣  2019/09/03(Tue) 21:25 No.55406

> 全く逆です。
> 壊すどころか、イエスは、旧約聖書に預言された救世主が、自分であることを証明していったのでした。

あなたは それを信じて 信仰としているのですか ?

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Re: さらに 重ねて    通り雨 2019/09/04(Wed) 00:39 No.55406

あなたの言葉
『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』
があまりにも的外れだということを言っているのです。

ごまかさないで、私の指摘が間違っているのであれば、新約聖書の言葉を引いて反論したらどうですか?

反論できないのであれば、はっきりできない、と言ったらどうですか。

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Re: さらに 重ねて    通り雨 2019/09/04(Wed) 00:59 No.55406

マタイによる福音書 21.4−5

それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」

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さらに重ねて を    さらに重ねて     春間 則廣  2019/09/04(Wed) 07:07 No.55406


>  ごまかさないで、私の指摘が間違っているのであれば、新約聖書の言葉を引いて反論したらどうですか?

わたしの言葉が 間違っているかどうかは
その元の言葉が 真実かどうかによります

そして、 その元の言葉が
どのようなことを 言い表しているか ということ
その意味 が  真実です

あなたが 真実を どのような言葉から    受け止めるかが 問われます
そして その受け止めた 真実とは 何か
とうことが さらに                 根源として 問われます

“ あなたの真実 ” を 問うているのです

それは 普遍的な 「 真実 」 ですか ?

> 反論できないのであれば、はっきりできない、と言ったらどうですか。

信じていない者には 真じられない記述があります    
    ( わたしのモノとされる記述 “ も ” それに当たります )
わたし という 存在が
真実について 語ります
“ 信じられない記述は わたしに起きている ” と 、そのように あなたは 受け止めています

信じている 真実は 誰によって、 どのように記述されていますか ?

信じていない者と( 真実を持とうとしない者 と ) 語る  真実がありません


信じようとするのなら いくらでも 語ります
信じないための 材料は ここにはありません


あなたは 何を見つけ出したいのですか ?
( 虚偽を 虚偽として 見つける時 真実の裏付けが起きています )

その起きた真実は  あなたの道に
     どう( どのように )   「 命 」  を与えていますか ? 


*********

マタイによる福音書 21.4−5

それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」

*********

> 預言者を通して言われていたこと

その予言の 意味とは 何ですか ?
あなたの信仰  に 基づいた   意味を 知らせてください
その上で ほんとうの(真理への) 信仰  について 語ります

あなたは どのような予言を 信仰しているのですか ?

> 柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って

柔和な方  とは  どのような方  ですか
神殿で 商いをする者たちの 商品を載せる机を 放り散らかすような人ですか ?

ろば については 聞きませんが 、、、、 ( ろば とは  何の意味ですか ? )

荷を追う のが ろば  です
「 ( 人にある 人が受け止める 一つの )生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし 」
生とは  「 命 」 です
神の   「 命 」   が   「 生 」 です
 「 命 」  を 負う ろばの子  それが誰かを イエスは 明かしています
あなたが 出会っているのは あなたが見ている 人の生  です

あなたは 子ろば を 見ているのですが
あなたは イエスを見ていると 思っている
あなたは イエスに出会ってはいない 

まだ 子ろば の ことも知ることがないのに 、、、、

子ろば は 誰が 産みだした( 作り出した )  のかが分かれば
だれが 生み出して その生を 与えているかが 分かります
母ろば に 子ろば を 産ませた ということを 産んだ のは 何ですか(誰ですか) ?

人は 擬人化しないと 存在を 規定できません
( 机 も 衣 も ろば  も  擬人化=人の思考 で 人の意識に 存在するのです )

更に 問います
あなたの神  は いかなるモノ  ですか
言葉にしてごらんなさい

意味を問うなら 真実の意味 を まず 提示してください
( 聖書を引くのなら その意味を 信仰という真実に基づいて 明らかにしてください )


嘘 や 仮定  に 基づく  話では 意味( 真理 )を与えられることがありません
( それが 虚偽 顛倒である という 真実だけが 顕われ出ます )

あなたは 信仰を持たずに 信仰について 語り合いたいのですか ?

信仰を持つ人であれば
( それが イエスに帰来しようと、 マホメットに帰来しようと  ガウタマに 帰来しようと
    かならず わたしの話から 自らの信仰を
      その元に結び付けることが出来ます    )

信仰を持たなければ 話が 繋がるところを もってはいない

あなたが ほんとうに 自分を信じて     
     あらゆることが 自分が引き起こすことだと 知るのなら
その引き起こしていることを通じて
     自分を 見ることが適います

そういことを 仏教では 「 己事究明 」 と言います

自らの立つ 「 洲 」 を 知る  ということです
( 「 洲 」 が あなた なのであり 真実 なのです )

「 如来蔵 」


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Re: Re: 有意義な対話の場 通り雨 8/26 10:59 55383   春間 則廣  2019/08/28(Wed) 17:36 No.55403 [返信]


< 55378 > のトピ
     ***********
>まずは、あなたが定義を必要とするのだから、
あなたの 定義 を 開陳してください


こういうことを言っています。
つまり、あなたは自分が言った言葉に関して、その定義を言うことをしないのです。
私は『仏教』という言葉を使っていません。あなたの言葉の中に『イエス・キリストは仏教徒です』とあったのを
言葉を自分勝手に定義している例として挙げたのです。

それに、今回、私が聞いているのは
あなたの言葉『ナザレのイエスは “キリスト教” を 破壊するために 説教を重ねました』の中の『キリスト教』のあなたの定義です。
私はすでに『キリスト教とは、教えを説き十字架にかけられ3日後に復活したイエス・キリストを救世主と信じる教えのこと』と定義しています。
あなたの『キリスト教』の定義は何ですか?
     ***********


> あなたは自分が言った言葉に関して、その定義を言うことをしないのです。

定義を 問う から( その理由 )には
あなたに  あなたの使う 定義  があって、
それを用いると、 わたしの記述の つじつまがが合わなくなる
ということが あなたに起きています
( それは 名称に とらわれている = 「 空 」 である ということから起きます )    

    ( わたしには あなたの 定義できない あなたの思いが 分かるのです )
    ( 分かるけれど わたしは 「 空 」を あなた自身で 見出してほしい  )
    ( そういうことを 管理人エム 様 は 不親切 と 糾弾します 、、、、  )

その場合、 あなたが その定義を 先ず示し
 つじつまが合わないことを 理論づけて 示さなければなりません
その 示された齟齬 に対して
わたしの定義違いによるのか、 わたしの論理の運び方に不備があるかを
決めることが適います ( 両方 が 重なるということもあります )

あなたの定義が正しければ、
わたしに わたしの起こす 齟齬 が 自業として 齟齬自得 されています

> 私は『仏教』と、 いう言葉を使っていません。あなたの言葉の中に『イエス・キリストは仏教徒です』とあったのを
> 言葉を自分勝手に定義している例として挙げたのです。

どういう理由で 自分勝手であるか は
イエスが 仏教徒ではない 場合に 起きます
その場合でも 仏教徒  とは  どういうことかを あなたが 定義しなければ
わたしの使い方が あなたと違う だけであって、
   勝手かどうかは 理由が明らかにされてはいません
あなたは 勝手に 勝手だと言い張るだけのことになっています

あなたの言うところの(思うところの) 仏教 が何か ?
そして 仏教徒 とは どういう輩 か によって
わたしの記述が 勝手かどうかが 決まります

更には キリスト教  についても  同じこと(構造・起きる仕組み)が起きます

あなたが キリスト教  を知るには  あなたが 信じるキリスト教  が 起きていなければなりません

架空の 伝聞をもとにした キリスト教 を 使っても、 架空の論が 起きるだけです
( あなたは 
   『キリスト教とは、教えを説き十字架にかけられ3日後に復活したイエス・キリストを
    救世主と信じる  教えのこと』と定義  しているその内容を 真実だと 信じていますか ?  )

わたしは( わたしのキリスト教 は ) そのようなことを 事実とはしません 

あなたの 事実  そこに基づいたことを 話の基盤として 問いかけてください


そういう 空虚な 自分を 根拠とするから なにごとにも通用する 真理 が 見出せないのです


( これを読んで 管理人エム 様 は どう思いますか ? )
( あなたに 語っているのです )



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Re: Re: 有意義な対話の場 通り雨 8/26 10:59 55383  管理人エム 2019/09/03(Tue) 10:17 No.55403

>    ( 分かるけれど わたしは 「 空 」を あなた自身で 見出してほしい  )
>   ( そういうことを 管理人エム 様 は 不親切 と 糾弾します 、、、、  )


ブッダのようにするなら、仏法を語る以外にはないと思います。

相手にあわせて語るとき、共通の基盤になるのが、この世の現象を見たとおりに語っていくことではないでしょうか。
あるいは、共通の見解をもつことも可能かと思います。

だから、論証ということも起こるのだと思います。
一つには、「体験されるものごとは無常である」という点を、共通の見方とするところから、ブッダの法が開かれます。または、一切皆苦とか一切空とか諸法無我とか、聞いてもらえそうなことがらを選ぶこともできます。


>    ( わたしには あなたの 定義できない あなたの思いが 分かるのです )

そこまでは、ほとんどの人がわかります。ことばにならない思いを共有することはできるのです。

でも、それを語ることのできる人は、ほんとにいないのです。
つまり「寂滅を説く」ということが、みな、できないのですが、ブッダの見本があるのですから、それをやってみようとすることはありうるのではないかと思います。

成功したことはないけど、試してはみている、というのも、「縁起」かと。


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Re: Re: 有意義な対話の場 通り雨 8/26 10:59 55383   春間 則廣  2019/09/03(Tue) 19:40 No.55403


>>    ( わたしには あなたの 定義できない あなたの思いが 分かるのです )

>  そこまでは、ほとんどの人がわかります。ことばにならない思いを共有することはできるのです。

定義 できない 思いを 定義できるのです

共有しているかどうかは
共有に値する事にのみ 起きます
  ( 人 = 自他  への 尊厳 を
    常に  心の“中心”に置き → 拠り所として
         置いていること を 忘れてはならない  )

>  でも、それを語ることのできる人は、ほんとにいないのです。

それは ほんとうのことですか ?


語り方 に あなたの “思い” が あります
( そこに 聞く位置を置くから  置いたところから  遠近が起きます
  遠くにある声は  “小さく” て  聞きがたいから
    大事の 大声 が  聞こえない と 商量する  → 聞くに値するモノが見いだせない )

仏典は ( 菩薩の思いを 定義できる )菩薩に 語られているのです
「 願 」 を 建てた者が 菩薩 です

菩薩であることを知らない(定義できない) 人は
菩薩( ボダイ )を 定義出来てはいないから、「  願 」 を たてられないのです

>  つまり「寂滅を説く」ということが、みな、できないのですが、ブッダの見本があるのですから、それをやってみようとすることはありうるのではないかと思います。

そのように 工夫して 語りを作っています
仏典にあることは 仏典に 従えばよい
従えない人に 従い方への道を提示する

先ずは 自らの( 対象者と共有する ) 思考の立ち位置を 知らせます
それは 対面する者の 立ち位置です

今 自分(達) が どこにいるかで
見える景色は 変わります
その見え方に応じて 語りの道が通ります

>成功したことはないけど、試してはみている、というのも、「縁起」かと。

この  「 縁起 」  という 意味(使いよう) は わたしには つかめません
( そうであるか そうではないかは 別のこととして )
それを語る人として  語ってみてくれませんか ?


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Re: Re: 有意義な対話の場 通り雨 8/26 10:59 55383  管理人エム 2019/09/04(Wed) 05:55 No.55403

>この  「 縁起 」  という 意味(使いよう) は わたしには つかめません
>( そうであるか そうではないかは 別のこととして )
それを語る人として  語ってみてくれませんか ?


気づけないかもしれませんが、わたしはいつもそうしています。



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Re: Re: 有意義な対話の場 通り雨 8/26 10:59 55383   春間 則廣  2019/09/04(Wed) 22:32 No.55403


**********
「寂滅を説く」ということが、みな、できないのですが、ブッダの見本があるのですから、それをやってみようとすることはありうるのではないかと思います。
成功したことはないけど、試してはみている、というのも、「縁起」かと。
**********

>> この  「 縁起 」  という 意味(使いよう) は わたしには つかめません
>> ( そうであるか そうではないかは 別のこととして )
      それを語る人として  語ってみてくれませんか ?

> 気づけないかもしれませんが、わたしはいつもそうしています。

それを語る人として 語っているのは 最初から知っています

別にして  と 記述した
    ( そうであるか そうではないかは 別のこととして )
ということが 別にして  ということ の “別” に 縁起すること です

別ではなく 本筋 ということです

別のこととして 省略してはいけません
成功しているか 成功してはいないか  が  「 縁起 」  です

“ 試してみている ”  ということに  「 縁起 」  が 起きます
“ 試さず 見ていない ”   あるいは “ 試したことはない ” ということです

両方 知る時に 片一方でも 真理となります

だからと言って あなたが 真理に触れていないと言っているのではありません
記述するときには 必ず  「 縁起 」 を 知って 記述しないと
「 偏 」 に 縁っている 記述となる と 言っている( 説 している ) のです

あなたは 天然では  「 縁起 」 に  外れません

意志をもって 外れない  ということに 習熟してはいないから
そのように工夫して記述されていることが 読み取れないのです

読み取れないときに
、  読み取れないような記述がされている 
と    あなたは判断します

あなたの判断が 正しいのは
あなたの読み方が 正しい時です
その正しさをする者 を   真理を知る者  と 言います

「 真理 」 とは  「 縁起 」 です

「 わたしを見る者は  「 縁起 」 を 見る 」


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Re:     有意義な対話の場          春間 則廣  2019/08/26(Mon) 20:59 No.55394 [返信]


> 『言いたいことを言いたいように言って気が済んだらその後は
黙りなさい』

気が済んだら
黙りなさい

気が済まないうちは “ 言いたい放題 ” 言いなさい
  と 言っているわけではありません

> その意味は

気が済むまで
言いたいことを言っていなさい
という意味です

まあ聞きようは 色々 あるということです
( 人は )運んでいる思いに沿って 聞きようを起こす

気が済まなければ 黙らない

そういうことに( そうすることに WEB上 では ) わたしはどうすることもできない

> 『文意の読めない人と内容を云々するのは 無駄に感じます

有意義にするには
意義を 読み取る人でないと 、、、、

意義がないということを 無駄 とするのは すこし 緩かった 、、、、

内容を 読み取らないままに 会話を重ねると
話しは(会話は) 無駄に終わってしまう ( という面を 強く考えた )

あなたには  続ける 意味があるから
続け続ける
あなたの意味を わたしが認めるから

>   また いつでも 気が向いたら
>   同じことの繰り返しでも構いません
>      ( 「 世間にある 」  ということ は  “ 輪廻している ” ということです )
 
>   機会を見出す “時” に 住処を置いたら
>   ( いつでも )
>   どうぞ  気のすむように( 工夫して ) 
>   書き込んでください  

と 結んだのです


> 続けるつもりがあるのなら出直してください』

仕切り直しが 必要です

> 『答えなくて結構で
> 応えてほしくはない “ ? ” だと 知りなさい』

なぜ “ ? ” が付くかを 考えなければ
正確な聞きかたではありません

そういうことを 
“ 聞く気がない ”  と 言うのです

そわたしが そう言おうと 、 あなたは 正しく聞いていると認識を変えない

どのように 相互の 会話を 発展できますか ?

>> このような文章は、すべて今の問答を拒否している言葉です。

問答 であるには
お互いの 共通の 場が 必要です

>>  他の投稿者に対して、何を上から目線でマウンティングしているのですか。
>>  あなたこそ、何も知らない、内容も空疎なのに、思い上がっているのです。

これは あなたの言う マウンティング には なりませんか ?

あなたは その問いかけを 無駄である とします
わたしに対する マウンティング には ならない  と するのです

どちらが マウンティング  で
どちらが  法に沿った解釈か  は

あなたが 正しく決める


あなたの正しさの前では わたしは 虚弱な 思考を運ぶ対象に過ぎない



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