OKIRAKU BOARD


[トップに戻る] [スレッド表示] [トピック表示] [ワード検索] [留意事項] [管理用]
おなまえ
Eメール
タイトル
メッセージ
参照先
イメージ [アイコン参照]   削除キー (記事削除用)
投稿キー (右画像の数字入力) 投稿キー
文字色
   他所から転載       春間 則廣  2018/08/29(Wed) 10:08 No.55055 [返信]


9006

mame_maruha
8月29日 10:02

>>9004

イッショ に 居ます

いくら言っても
あなたが
そうではないとするところから ( わたしと一緒ではない “ところ” )
から 見ると

あなたの見解は
一緒ということを 否定する

一緒ではない と言ったところで
( 一緒ではない という ことがなぜ言われるか ? )

( 一緒ではどこにいるかがないと知って  あなたが どこにサマヨウか が )
 言葉で 事実= 如実 が 変わることはない
( 言葉の意味は 変わる )

意味というモノは 解釈の贈り物 です



9005

mame_maruha
8月29日 09:55

>>9002

>  あなたは釈迦牟尼と共にいるのですか?

一緒ではない という 理由は
その理由を 探そうとする時 見出す

あなたが いかなる理由を見出そうと
それによって
  あなたが正当である
ということは 見い出し用においてのみ 正当であるとされる

そいうことが
初期経典 スッタニパータ の 最初期部分 に 説かれている

Su.796 ・ 824  に あります  ( 岩波文庫 「 ブッダのことば 」 179p 183p )
( キンドル で C&P が 限界に近づいているので 自分の手で 引いてください )



9004

ショーシャンク
8月29日 09:49

>>9003

ですから、あなたは釈迦牟尼と共にいるのですか?


9003

8月29日 09:46


>>9002

聞いて 一緒にいる
と   分かるのではなく

一緒にいて
一緒だ と 知る

対象は 牟尼であろうと 煩悩具足の愚禿 であろうと

同じ仕組みです



9002

ショーシャンク
8月29日 09:33

>>9001

<< 釈迦牟尼 と 共に いない から   です >>

あなたは釈迦牟尼と共にいるのですか?

9001

8月29日 09:28

>>8982

>   釈尊のもとでは数多くの人が悟りに至ったのか、です。

   釈迦牟尼と共に いた( いる ) から です

> そして、私は大乗仏教に親しんできましたが、
   自分自身、卑小な精神、卑小な人格は何一つ変わりませんでした。

変わらなかった
という認識の 起きるところに
変わらない教えと  
変われない聞き方 とが 捉えられなければ
変わった、変わらない  の 分別が 起きません

自らの卑小さを 身に染みるのは
変わる機縁にあるということですが
機をとらえ損ねると
元の木阿弥

釈迦牟尼 と 共に いない から   です
( いなかったときに いないところに 釈迦牟尼はいない )

一緒の生を生きていると知るとき
あなたが 生を 規定する  “ 要は ない ”

一緒にいなければ
一緒の事かどうかは 引き当てられない


> ですから、私は大乗仏教から離れて、歴史上の仏陀が本当は何を言ったかを探求し始めています。           

やはり 釈迦牟尼から 離れるところを模索しています

一緒にいるか いないかは
“ 生きている言葉を聞いて 共にそうして生きるかどうか ”
に あります

そこに 「 永遠の命 」  が 宿っています

釈迦牟尼が離れているのではなく
あなたが 一緒にいても
自らの聞き方で 牟尼の言葉を解釈するから 起きる事です


他所から転載     春間 則廣  2018/08/29(Wed) 09:35 No.55054 [返信]

仏教についてのひとりごと

9001        mame_maruha 8月29日 09:28

>>8982

>   釈尊のもとでは数多くの人が悟りに至ったのか、です。

   釈迦牟尼と共に いた( いる ) から です

> そして、私は大乗仏教に親しんできましたが、
   自分自身、卑小な精神、卑小な人格は何一つ変わりませんでした。

変わらなかった
という認識の 起きるところに
変わらない教えと  
変われない聞き方 とが 捉えられなければ
変わった、変わらない  の 分別が 起きません

自らの卑小さを 身に染みるのは
変わる機縁にあるということですが
機をとらえ損ねると
元の木阿弥

釈迦牟尼 と 共に いない から   です
( いなかったときに いないところに 釈迦牟尼はいない )

一緒の生を生きていると知るとき
あなたが 生を 規定する  “ 要は ない ”

一緒にいなければ
一緒の事かどうかは 引き当てられない


> ですから、私は大乗仏教から離れて、歴史上の仏陀が本当は何を言ったかを探求し始めています。           

やはり 釈迦牟尼から 離れるところを模索しています

一緒にいるか いないかは
“ 生きている言葉を聞いて 共にそうして生きるかどうか ”
に あります

そこに 「 永遠の命 」  が 宿っています

釈迦牟尼が離れているのではなく
あなたが 一緒にいても
自らの聞き方で 牟尼の言葉を解釈するから 起きる事です

   成就者      春間 則廣  2018/08/27(Mon) 09:13 No.55052 [返信]


成し遂げようとする者にとって
成し遂げられてはいないことは
( 今までの )
成し遂げた後 に 起きる

成し遂げたことは
成し遂げられてはいないことを起こす

成し遂げられてはいないのに
なぜ 「 成功 」 と されるか ?

取り敢えずの 「成功」 は 取り敢えずの 「 不成功 」

翻って
成就者は 成就したと 分かる
分かるから 
対する者が どのように成就にあるかが 分かる
    →  「  唯仏与仏 乃能究尽  」

SRKW に わたしの綴る 文 を 見せてごらん

成就している  と 分かるなら SRKW は 同じ成就にある

成就してはいない  と  するなら
( これこれこういう理由で  と 述べなくとも )
そういうことによって 成就していないことは 決まる    

  ( 理由を羅列しても その一つづつに 反する理由は 起きてくる )

断定のみで 理由は不要なら
わたしが  “ SRKW は 成就者ではない ”  ということは
単独で 成り立ち
理由を述べようと 反論の反論は 無限に続く ( 「 永遠 」にある )

「 衆生本来仏なり 」  ということの 証しを立てている

理由は不要である

仏が 知らぬことは ない ( 煩悩即菩提 )


 これは 失敗の 実例     春間 則廣  2018/08/27(Mon) 07:30 No.55051 [返信]


*********

失敗する時の条件

1、情報不足

2、慢心

3、思い込み

       by 林先生

*********


失敗する時の条件

1、 情報不足
   現状を受けとめる者の 情報不足

2、 慢心
   これで受け止めたことは十分 かどうか  検証 する という
   必要性を説かれていること を 
    情報として  受けとめてはいない   とは 思わない 

3、 思い込み
    自分の 情報不足を知ろうとしない
    そのままで
     ( 必要な 理解力 の 構成要素を抜いて )
    情報に向き合う 


林先生の 指摘が 正しいかどうかは
あなたにかかっている
( 林の不足が あなたの読みようで 起きていれば あなたには十分 )


ま、 これくらいの 論理運びは 分かるだろうという
( 情報不足で ? ) 運び方で 運んでいる    ( だれが ? )

それが
わたしの運びようなら
あなたに不備はない


master.png res-5.gif res-1.gif res-2.gif
Re:  これは 失敗の 実例    管理人エム 2018/08/28(Tue) 07:45 No.55051

>1、情報不足
>2、慢心
>3、思い込み

惑業苦の図式に似ていますね。
>   現状を受けとめる者の 情報不足

>   これで受け止めたことは十分 かどうか  検証 する という
>   必要性を説かれていること を 
>   情報として  受けとめてはいない   とは 思わない

>   自分の 情報不足を知ろうとしない
>    そのままで
>     ( 必要な 理解力 の 構成要素を抜いて )
>   情報に向き合う 

悟りへの道は、気づきから。

ブッダの教えを理解するには、この三つが全部自分から出ていることを知ればよい。身にしみて知るとき、悟りは近い。。といいな。

res-4.gif res-3.gif
仏陀の道の端で  spinobuddhist 2018/08/26(Sun) 06:17 No.55050 [返信]

盆 過 ぎ て 月 夜 の 荒 れ し 独 座 か な

月 照 ら す 嵐 菩 薩 を 捜 し た る
 
残 月 の 嵐 を 送 る 菩 薩 か な

   他所から 転載       春間 則廣  2018/08/24(Fri) 13:53 No.55048 [返信]

再度 請

> ・・・・・・・・・
【主観】と【客観】
【正しい】と【正しくない】
【天動説】と【地動説】
あなたはいつもこのように、二元対立の図式に持っていき
その二元対立の図式が虚妄だということに持っていこうとしているのです。
龍樹のやり方がそうですから。
・・・・・・・・・・ <

龍樹と同じ手法を わたしがとる必要はありません
それは すでに 龍樹が為していること

しかし 龍樹から 学んだことを
わたしの手法で 広めています

学んだのは 手法ではなく
仏法 の “ありよう” ・  “顕われ出るさま”  です

わたしにある仏法 に対して
 龍樹のそれと 
(龍樹が) 照らし合わせてくれた  ことに 
わたしが 立ち会っただけです
( この表現が分かるときに 他力が分かる )

二元対立の図式  などと言うモノは 存在しません
( あなたが 捏造したモノに過ぎません )
仏法 は 二元論 には ない
一元 だから 唯一の真理 だから
  “ 仏=真理を知った者 ” の “ 法=真理 ” と 名付けます

たとえ 真理が二つあろうと
同じこと( の 別の方向からの姿 )であれば、一つです

一つのモノの 別の場所での働きを 照らし合わせて 一つと知る

( もっと言うと 別の場所は 一つのところにある )
( これが “一つの仏国 に ひとりの仏陀”  という意味です )
わたしが住む仏国は 阿弥陀如来
( 量られることなき → アミタ  如来・在りて在る者 → タターガタ ) 
の 西方極楽浄土 です

諸仏は 並び いましても   同じところを 住処 と しない
顛倒の目で見ると 自らの 所有する国に いましおわす と 思う

>  私は、一般論での【正しい】と【正しくない】とはどういうことかを論じているわけではなく
具体的な歴史の事実としてのジャンヌ・ダルクの裁判をあなたがどう見ているかを論じたいのですよ。

具体的な事実 などと言うモノは
論じて 勝論にあるのみ
なんら 具体性の根拠 を 持ってはいない
( 持っているという “思い” に “のみ”  存在する )

具体的な 動かぬ事実を 提示してみてください
( わたしが、動かして見せますが
    あなたどう受けとめるかは あなた次第 )

( あなたによって     わたしのソレから
   変わる 具体的な事実  それこそ 動く事実  です )

動かなければ 論じるあなたに “カチ” が 起きる
( 動いても 受け入れなければ カチを手にしたと “勝”手に思い 価値を与える )


> ジャンヌ・ダルクが民衆を扇動してイギリス人を殺せ殺せと言ったことであなたはジャンヌ・ダルクが魔女とされても仕方ないという感情を持っているのではないですか?

そのようなことはありませんが( そうは思いませんが )
人は 殺し合うことでは 天国に入ることは適わない 、、、、
と おしえられて 信仰にあり
教えを 広めようとする 道 に ある

> そのような歴史上の具体例に関しての考えを聞きたかったのですが、いつものように延々と【正しい】【正しくない】の構図の虚妄性の問題に持って行ってしまうので、会話が深まらないのです。

あなたが 自分の思うように
論を運びたいから
そこに乗らないわたしを 非難するのです

あなたに正しさが あるように わたしにもある
( 論の数があるだけ 正論がある 、、、、  あるから  論争する )

そういうことを 仏教では 「 平等 」 という 概念で 理解します

思うように こと   を運びたい
      そのこと  を 欲(望)・煩悩・トリシュナー と 呼びます

もし ジャンヌダルク が 麻原 が 悪用した 「 ポア 」 という 概念を 深く知るなら
不死( 「永遠」 )の世界 では 命の限りはありません
民衆を 焚き付けていたのではありません
( 奮い立たせて  「 永遠 」  への 道を  “煽動” = 先導 していたのです  )

それを知ることが出来るのは  「 永遠 」  と 「 平等 」 を 知る者のみ

知らないからといって 罪にあるのではなく
罪は 知らぬことに 知った(と思いすごす)事を被せて 運用するところにあります

罪を知らぬ者を 無実の者とします
お前には罪がある  といわれても  罪があるとは承認できない

反対に
無実といわれても
自らに罪を見つめる者は
罪人であると 照顧 します
( 照顧して 見るから 罪人であっても 対処して 以後の 無実を こい願う )


「 あなたは 考えが 足りない 」 と言われても
言われたことを 足りない頭で考える と 
足りていると  思い
指摘する お前 は 間違いにある   と する 


    どこかに当てはまりませんか ?


> ジャンヌ・ダルクに関して、あなたがどう思っているかを聞かせてください。

もし 聞きたいのであれば
あなたの立場を はっきり表明して
それに対しての 意見を求めなさい
ただし
意見を  “請う” のだから
得られないからと言って 文句を言う立場にはない

イソップ にあります 
高所にある葡萄にとどかないから
キツネは スッパイ と 決めて 納得する


それでもなお
意見を求めるなら
再度 請いなさい


master.png res-5.gif res-1.gif res-2.gif
Re:    他所から 転載      管理人エム 2018/08/25(Sat) 06:41 No.55048

>あなたはいつもこのように、二元対立の図式に持っていき
>その二元対立の図式が虚妄だということに持っていこうとしているのです。
> 龍樹のやり方がそうですから。

龍樹のやり方って、そうなのか。
どうも、世間では、そう見ているのじゃないかと思っていたところもありますが、

やはり、そう見る人は、そう見るのですね。

二元対立かぁ、そう見えるんだなあ。
そう言われると、そう見えるような気もしてきますね。それ以上考えなくてもいいからね。

いたしかゆし、龍樹のやり方。

res-4.gif res-3.gif
記事No 削除キー

- Honey Board -