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[10513] Re:[10512]    ダジャレ    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/12/12(Tue) 08:47   [返信]

知るため
ということの
知る  目的を言っている

まず 知ろうとするときには 知ろうとする 動機  が起きる

なぜ起きるか ?

違和感を持つから (その違和感は 他に対して起こされる)

( そこに 自他 の 起こしようが 自に起きている → 自“我”を起こす )

自らの 認識の起こしよう を  知るために ( 脚下照顧 )
 動機が起きているのではなく
自らの 起こしよう( = 自我 )を 補強構築するために 起こしている

こういう説明を 
聞き入れよう と する人は、
(聞き)入れる前に “そこ” に 入っている
 ( 聞いて知る前に すでに “そこ” を 知っている )
( “そこ”  を  どこかと知ろうとする “ところ” が  “そこ”  です )

この世に起きる事( 世間にあること ) は すべて
自己を知る 「 脚下照顧 」 の 為にあり
為にあるから それを見る

人の為  になるには  自らの為であることが 最初の一歩で
最後の一歩
最初と最後が 同じところにあるから
最後がない

最後があるとき 最初があると知ること を
 「 縁起 」 を 知る ( = 智慧にある )   という


自らの為になることは  他人の為になる

自ら 不安を持ち 自らの 「 言 」 に 聞き耳を立てる ことを 「 声聞 」 という
聞いて 行いにあることを 「 如来 」 という
その時 行い( 聞 ) は 如実  である

不安をもって 聞き耳を立てなければ 、、、、

 「 如来 」 は 遠きにあって思うモノ


[10512]    ダジャレ    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/12/10(Sun) 00:53   [返信]

あなたは ダジャレを 知るために 語源辞典を用いる

認識の成り立ちと 表音 との関係を知るのに
なぜ用いることが出来ないかを 考えると 糸口に立つ

漢詩 では 韻を踏むことが なぜ重要視されるかを
よくよく 考えるとよいでしょう 、、、、

日本語が なぜ これほど 哲学的思考に向いているかを
知る者は・知ろうとする者は “哲学” に 住処を構える

住 と 衆 と 主 と 中 との 関係をつなげるとき
事物の関係に 気が付く糸口  に ある
糸のように 長く続くのが 道であり  真理  である理由が ワカルカナ ?


[10511] Re:[10510] 独と毒 投稿者: 春間 則廣   投稿日:2017/12/09(Sat) 10:11   [返信]

> 日本の音でのダジャレですね。

似た音は似た意味を表す


[10510] 独と毒 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2017/12/09(Sat) 09:15   [返信]
単語家族からすると

独は蜀の単語家族でTUG,TUK
毒は熟や粥と同じ単語家族でTOK,TOG,TONG

日本の音でのダジャレですね。

[10509]   「 同行二人 」      投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/12/09(Sat) 08:44   [返信]

大徳よ  それは   「 ・・・・ です 」

と 釈迦牟尼の 講義で 修行者たちは 繰り返す
繰り返しているのは 「縁起」 の 道筋の仕組みです
( サンガ  で 行われる修行だと  勘違いする )


行住坐臥 すべて 禅  です
あらゆるところ あらゆるとき  が サンガ  に ある

サンガ という 家 にあるとき 在家 と 呼ぶ

サンガ に おいて 仏 は 説く
( 独り  ということを知る者は 「独尊」 をしる )

そこを ナザレのイエス は 「 二人して歩みを進めよ 」  と 教える

「 同行二人 」  とは

一人あるとき そこに親鸞がいる
二人あるとき  親鸞とか仏 とか がいる 
という意味です



言葉は 必ず 「偏」 に ある
偏にあるから 「空」 なのです



「 経 」 を 言葉として聞く時
 「偏」 を 聞いているとは 思いもしない  = 「 偏 」 に あって 聞く

言葉を聞いている と 修行を勘違いすると 「空」 に 囚われる
行いを見つつ 言葉を 実践しているのです 、、、、

見ても見ず
聞いても聞かなければ
その者は 「 顛倒 」 に ある

顛倒にない者は 永遠を知り 知ったところに 住処を持つ

「永遠」      に “住処” を もてば
「 一処不住 」 と   なる  のが  分かるでしょうか 、、、、


[10508] Re:[10507]   出定後語    投稿者: 春間 則廣   投稿日:2017/12/07(Thu) 09:59   [返信]

> 毒言 他者を無視する場合

禅門 では 「 毒 」 は 大事にされます
毒鼓 などと 打ち鳴らします

>  独言 他者が無視する場合

無視されて 独存 が 起きます

無視しなくても 「独尊」 は 起きます

 ・

[10507] Re:[10505]   出定後語    投稿者:管理人エム 投稿日:2017/12/07(Thu) 09:50   [返信]

> ドクゲン  が なぜ 毒 と 独 とになっているか 読み込みましたか ?

毒言 他者を無視する場合

独言 他者が無視する場合


ということかなと。

[10506] Re:[10505]   出定後語    投稿者:管理人エム 投稿日:2017/12/07(Thu) 07:27   [返信]
> 釈迦牟尼と 「 平等 」 に 批判の矢面に立つ

「批判」って、入ってますね。釈迦牟尼を空と見て、この言葉を読む。


> “わたし”の言葉が 「空」 でなければ
> 何 に なりますか ?

「有」に見えます。
>
> 言葉 を 「空」  に するのは  わたし  ですか ?

そうです。

> どこかを 見出そうとするから 「 空 」 が 説かれます
> ここに 見出したから どこかにある  と したのではありませんか ?

「空」を見いだしたとは限りません。「わたし」を見いだしたかもしれません。



「空性」は、言葉で表せるものではありません。
縁起的に成り立っている語りの中に、示されてきます。


「縁起的に成り立っている語り」とは、どこかにコミュニケーションを含む語りです。
だから、問答などがあげられますが、ジャンルはそれだけではありません。
ブッダは、九分法をあげています。


また、「空」ということばも、あります。
「空」と語ったからと言って、「空性」を示せるとは限らないことは、多くの人の語りからわかります。



「無常」と「無上」は、まったく全然違います。

「無上」を知らないと、「空性」にはいけません。
「縁起」を知らないと、「無常」にはいけません。

道元流にいえば、この二つで、「眼横鼻直」という表現になって現れます。


真っ直ぐな鼻は、無常の匂いをかぎ分ける。仏教と非仏教の。
横にある眼は、虚空の広がりを見渡せる、道(パダ)を持たないブッダの。


[10505] Re:[10504]   出定後語    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/12/06(Wed) 05:24   [返信]

> >       あなたに対する批判は  釈迦牟尼に対する批判である
> > そうでなければ 何の文句 を 言うことか 、、、、

あなたは何ら  批判されるところにない
すべて 釈迦牟尼 の せいです

あなたが 文句をつける筋合いではない
ただし あなたが 「 釈迦牟尼 」 であると知って そうであるなら
釈迦牟尼と 「 平等 」 に 批判の矢面に立つ


> 以上を、要点と認めるなら、さらに、この中にあることばで、気になるところをあげるとすれば、

> > (  これが 「 他人ごとだと自分を見つめるのをあいまいにするとは、何なのか? )」  に対する   オコタエ    です )
     これが 要点  です
> > 毒言 に 聞こえるのなら 毒言と聞く あなたがいる 、、、、
> というところでしょうか。

ドクゲン  が なぜ 毒 と 独 とになっているか 読み込みましたか ?

> その中で、さらに、しぼると、「批判」と「毒言」に集約されてきます。
> 消えないことばになっている。
> これら二つは、空ではない、ように見えます。

“わたし”の言葉が 「空」 でなければ
何 に なりますか ?

言葉 を 「空」  に するのは  わたし  ですか ?

> 思うところは、必ずあらわれてきます、どこかに。

どこでもない  いつも ここに住むから 「無住」 です
どこかを 見出そうとするから 「 空 」 が 説かれます
ここに 見出したから どこかにある  と したのではありませんか ?

> どこであっても、自他平等であれば、それを「空観」によって見るでしょう。

「 自他平等 」 でなければ  “ ソレ ”  を 見ますか ?  (  無住なるソレ  )
( 道場に戻って “ ソレ ” を 見直してみたらどうですか ? )

「 平等 」 でないところは 存在しますか ?

その存在場所は 存在していますか ?

「 空 」 という 名字は 自我を構築するときに 便利な言葉です

いみが 「 空 」 だから 、、、、


[10504] Re:[10503]   出定後語    投稿者:管理人エム 投稿日:2017/12/06(Wed) 02:21   [返信]
> 仏教者 を   批判しているのではなく
> 仏教者 だと  自認にある者  を  批判しているのです

>       あなたに対する批判は  釈迦牟尼に対する批判である
>
> そうでなければ 何の文句 を 言うことか 、、、、
>
> “独” はない 人々の為に   わたしは生きる  と  言い切るのなら
>        “わたし”の為に   説いてください 、、、、
>
> 毒言 に 聞こえるのなら 毒言と聞く あなたがいる 、、、、
>
> (  これが 「 他人ごとだと自分を見つめるのをあいまいにするとは、何なのか? )」  に対する  オコタエ  です )

以上を、要点と認めるなら、さらに、この中にあることばで、気になるところをあげるとすれば、

> 仏教者 だと  自認にある者  を  批判しているのです

> 毒言 に 聞こえるのなら 毒言と聞く あなたがいる 、、、、

というところでしょうか。

その中で、さらに、しぼると、「批判」と「毒言」に集約されてきます。

消えないことばになっている。
これら二つは、空ではない、ように見えます。

思うところは、必ずあらわれてきます、どこかに。
どこであっても、自他平等であれば、それを「空観」によって見るでしょう。

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