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ゲルマン魂 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/06/28(Thu) 07:57 No.10761

苦(ドゥッカ)なりとワールド(カップ)を観ぜよ
無常(アニッチャー)なりとワールド(カップ)を観ぜよ
空(スンニャー)なりとワールド(カップ)を観ぜよ

龍樹が仏教を作った 投稿者:えび天サンバ 投稿日:2018/06/28(Thu) 01:41 No.10760

と、いうことなんだが。

それがどうした?(笑)

Re:[10758] 空なりと壊界を観ぜよ 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/06/13(Wed) 08:26 No.10759


> > 苺屋毒蛙さまも、だんだん大乗っぽい??

大乗 とは 摩訶衍  のことです
マハーヤーナ

サンスクリット で 紐解くと良いでしょう

> そういう用語はあんまり関わりあいたくないなぁ。

自らの (したい・したくない)欲望  は 
欲だから
欲するままにすれば
いつかは
本当に善くするところに 突き当たります


> そろそろお暇の時が来たようです。

取り敢えずは
また逢う日まで  ご機嫌ヨウ

Re:[10757] 空なりと壊界を観ぜよ 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/06/13(Wed) 05:39 No.10758

マニカナ先生、おはようございます

> 苺屋毒蛙さまも、だんだん大乗っぽい??

そういう用語はあんまり関わりあいたくないなぁ。
そろそろお暇の時が来たようです。

Re:[10755] 空なりと壊界を観ぜよ 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/06/13(Wed) 00:26 No.10757

苺屋毒蛙さま

> お釈迦様が親切にスンニャーという言葉を使ったから
> 2500年経ったらこんなになってしまったわけですね。


ほんとよね。

それに、スンニャと言ったのかスンニャタと言ったのか、何かわからないのも、話しが込み入る元です。
スンニャターも言ってるねん。

でも、おしゃかちゃんが悪いんじゃなくて、私たちがちゃんとしてないから悪いんだと思う。。
>
> ドゥッカとアニッチャーだけにしとけばよかったのに^^;

アナッタンは?

やっぱ、4つ必要だったのね。
>
> 苦(ドゥッカ)なりと壊界(ローカ)を観ぜよ
> 無常(アニッチャー)なりと壊界(ローカ)を観ぜよ
> 空(スンニャー)なりと壊界(ローカ)を観ぜよ
>
> このように壊界(ローカ)を観るものは
> 死神に魅入られない

苺屋毒蛙さまも、だんだん大乗っぽい??

空なりと壊界を観ぜよ 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/06/12(Tue) 03:05 No.10755

お釈迦様が親切にスンニャーという言葉を使ったから
2500年経ったらこんなになってしまったわけですね。

ドゥッカとアニッチャーだけにしとけばよかったのに^^;

苦(ドゥッカ)なりと壊界(ローカ)を観ぜよ
無常(アニッチャー)なりと壊界(ローカ)を観ぜよ
空(スンニャー)なりと壊界(ローカ)を観ぜよ

このように壊界(ローカ)を観るものは
死神に魅入られない

Re:[10753] 石飛道子 『十二門論』「観性門」の偈と『中論頌』第13章第3偈をめぐって 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/06/11(Mon) 05:42 No.10754

> (大)龍というのは、世間に染まらずに世間を行く聖者に与えられる呼び名ですね。だから、大衆部に属していても一時のことではないでしょうか。


522 世間の中で、いかなる罪悪も作ることなく、一切の結縛と束縛を捨てて、あらゆる処で執着することがなく、解脱している者、このような者が、真実に<龍(ナーガ)>と言われます。(『スッタニパータ』)

845. (第九経第11偈)
世間でひとり遊行している人が離れているものを、執り上げて語ることのないようにするのが、龍(行の完成者)なのです。茎に棘のある睡蓮が水の中に生じて、水にも泥にもけがされないように、同じように、聖者は、寂静を説いて貪らず、欲にも、世間にもけがされないのです。(『スッタニパータ』)

あと、「寂静を説く」という点も、「龍」の特徴です。
『般若経』や「大衆部」は、ブッダを完全に離れているのではなく、まだブッダにはっきりと属しています。
でも、龍樹は、「龍」の系統だから、世間を行く、群れない、蛇なのだと思っています。

ディグナーガもそう。

Re:[10752] 石飛道子 『十二門論』「観性門」の偈と『中論頌』第13章第3偈をめぐって 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/06/11(Mon) 05:31 No.10753

pocketさま おはようございます。

> > いや(笑)、違うと思いますっ!
> > チョー鼻息荒いですね。
>
> すいません、鼻息が荒くならざるを得ないのです

ああ、ごめんなさい。これ、わたしのことです。
でも。。pocketさまも鼻息荒かったんだ(笑)

> > 何と言いますか、そう思って読むとどんどんそう見えてくる世界のような気がします。
>
> むむ…そのように弱腰でいいのでしょうか、

まあ、空性ですからねぇ、「そんなことない」と一言いわれたら、そのまま済んでしまうところがあります。
でも、「なるほど!」と思う人も、必ずいるのが空性の世界でもあります。こう思ってしまうと、どうしてもこうなるようになっていくのが、インドの哲学世界なので、じみぃぃぃにやってても、やがて変わっていくと思っています。


> 『般若経』にはブッダから来たものではない「空性」もあるのでしょうか、っとツッコミ。。。

おお、そう来ましたか。でも、ブッダから来ているのなら、「ブッダから」って言わなきゃならないけど、そう言っている人にはお目にかかったことがありません。

『般若経』は、ブッダから来ている

と、わたしが書いておこう。
大乗の基本は「空性」だとよく言われますが、それは、一番最初からあります。ブッダが人々に教えを説き始めたその頃からすでに「空性」は説かれています。

『中論頌』は、そのことを明らかに説いています。
『般若経』は、一切智を捉えたのではなく、ただブッダの教えを捉えたけれど、龍樹は、ブッダと同じ「一切智」の方に行ったので、「サンブッダ(等覚者)」の教えを敬礼する事になったと思います。

> 龍樹は大衆部のような一瞬で一切法を認識対象にするというようなブッダの全知性などを否定してない、と思います。

部派を作りかけて、やめた、という記述が、『付法蔵因縁伝』にありましたよね。
出家の菩薩であった、という点も、確かであると思います。

> 私は龍樹は大衆部(から派生した大乗仏教)に所属していた、という現実があると思ってます

> 大衆部系列でなくとも、師である大龍菩薩に連なるような何等かの流れに属していた、とみるのが自然ではないかと。

派閥に入っていたのかどうかは、わからないですね。
大衆部であっても、そこにおさまりきれないことは確かであると思います。
(大)龍というのは、世間に染まらずに世間を行く聖者に与えられる呼び名ですね。だから、大衆部に属していても一時のことではないでしょうか。

Re:[10750] 石飛道子 『十二門論』「観性門」の偈と『中論頌』第13章第3偈をめぐって 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/06/10(Sun) 19:52 No.10751


龍樹は 小乗・上座部(説一切有部)の輩 を 救うために
空を説き 中論頌 を 表したのです

それら(小乗)があるから、 大乗がある

小乗仏教 と 仏教(大乗仏教) とが あり
大乗仏教 が 単独であるわけではない( 小がなければ 大はない )

しかるに 小乗仏教は 単独で 正しい とする (偏にあるから成仏しない)

阿含経から 見出そうと、般若経典 から見出そうと
どちらでも 同じことです
仏教から 大乗仏教が 起きているのであって、
小乗(仏教)は 仏教ではない

小乗が 仏教なら オーム も 正しく仏教です

仏教は 全ての者が 分け隔てなく 成道する道を示す

一人一人が 有情を 認め なおかつ
  山川草木を 自らの思惟に乗せるから
「 悉有 仏性 」 であると 知る

人の生を離れて “ 悉有 ” は存在しない
もし存在しようと  人の生には なんら関連しない

仏教は 一つ(の真理)を説く
二つから 一つを見ようと
一つを見る者は 二つが一つと知る
( 二つがあるから 一つが分かる )
「縁起」 とは そこを言います

Re:[10749] 石飛道子 『十二門論』「観性門」の偈と『中論頌』第13章第3偈をめぐって 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/06/10(Sun) 17:39 No.10750

pocketさま
これはもう反応せざるを得ないです。

> やはり大乗仏教徒が広く認める所であるように(?)『般若経典』がないと『中論』は書かれなかったと思います。
>
> 『阿含経』からは空性を語ることはでないだろうな、と。


いや(笑)、違うと思いますっ!
チョー鼻息荒いですね。

龍樹は、『阿含経』から空性を見いだしたと思います。
そこを、今回、九州の講演の時に語ってきました。いずれ、雑誌に載ると思います。

何と言いますか、そう思って読むとどんどんそう見えてくる世界のような気がします。
もちろん、『般若経』もよくよく読み込んではいるけど、ブッダから来るものでなければ、「空性」も意味がありません。『般若経』が、根源ではなく、ブッダの直説が根源で、そこから『般若経』が生まれ、そこから龍樹がうまれ、そこから唯識が生まれてくる、と見いだしました。


> 辛嶋静志先生によると、龍樹の部派は大衆部だそうです。
>
> (辛嶋静志20017『大衆部と大乗』)

そうですか。。

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