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Re:[11099] それでは 投稿者:spinobuddhist 投稿日:2018/10/15(Mon) 22:01 No.11100

> 苦の因の探求の同志ではないということで
> ここまでで。

議論をするときは、常に相手に敬意を払わないと。

議論が不要というのなら、一人で進まれることをおすすめします。

苦の因を探究しているのはあなただけでは無い。それがわからなければ、
どこに行っても同志は得られないでしょう。

それでは 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/10/15(Mon) 21:44 No.11099

苦の因の探求の同志ではないということで
ここまでで。

Re:[11095] 二諦説 投稿者:spinobuddhist 投稿日:2018/10/15(Mon) 21:16 No.11098

> あなたは 真面目なつもりでも
> 結構 不真面目  ともいえる

私は、不真面目です。

> >  これ以上黙認しても莓箭毒蛙様のためにならないから、敢えて言わせてもらいます。
>
> >  自分の誤りを責められて怒ったりもする。
>   というけれど
> 敢えて言う その因 は 怒って ではないのですか ?
>
そう、怒ったりすることも、また人生の一部である。
>
> 言葉というモノは 論理に沿って 置かれます
> “ 日和見主義者みたいな書き込み ”  などと、非論理的に片づけず
> その論の 非論理性を 指摘したらどうですか ?

それでは指摘しましょう。
仏陀が言っていないから二諦は無いとか、われわれはそんな文献学のレベルじゃなくて、二諦の置かれる論理構造を議論している。
二諦が無いというのなら二諦が無いという論理構造を示せ。
それが出来ないなら、議論に首を突っ込むな、ということです。


>      Su. 824
> かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えが清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみを善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執している。
>      Su. 796
> 世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を「最上のも」のであると考えて、それよりも他の見解はすべて「つまらないものである」と説く。それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。   
>      Su. 798
> ひとが何か或ものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と<真実に達した人々>は語る。それが故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。
>
見解や議論はただ捨てるだけで良かったなら、龍樹は何も語らなかったはずである。
阿羅漢ならそれで良いだろう。
しかし龍樹は菩薩だから、見解や議論の中に戻ってきた。
見解や議論を捨てるために。
これがわれわれの立ち位置である。
原始仏典の覚者のことばに同化して、悟り目線に立ったところで、実際に悟っていない事実は変わらない。

Re:[11096] 二諦説 投稿者:spinobuddhist 投稿日:2018/10/15(Mon) 20:28 No.11097

> そもそもお釈迦様が言っておられないのだから
> 議論のしようがないじゃないですか。
>
> 「諸々の法は因によりて生ずる。如来はその因を説きたもう」
>
> 苦の因を探求すれば、そもそもは部派仏教に遡るのではないないですか?
>
> 「生ずる性質のものは滅する性質のものである」
>
> 誰によって作られたものであるかを見破れば、それで終了なのではないかと思います。

これはあなたの論だから、ここであなたは議論をしている。

Re:[11094] 二諦説 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/10/15(Mon) 19:20 No.11096

そもそもお釈迦様が言っておられないのだから
議論のしようがないじゃないですか。

「諸々の法は因によりて生ずる。如来はその因を説きたもう」

苦の因を探求すれば、そもそもは部派仏教に遡るのではないないですか?

「生ずる性質のものは滅する性質のものである」

誰によって作られたものであるかを見破れば、それで終了なのではないかと思います。

Re:[11094] 二諦説 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/10/15(Mon) 19:19 No.11095


管理人エム 様 

一言 頂戴したい

> 議論をすれば、先生も私もそうだが、自分の誤りを責められて怒ったりもする。
> でもそんな人間としての愚かさを、先生も私も引き受けている。
>
> 春間様とやり方は違うが同じパターンで、絶対他人に責められない安全な場所から他人を見下しているに過ぎない。

あなたは 責めているんじゃないのですか ?

> そんな処に逃げ込んでないで、本当に議論が不要なら日和見主義者みたいな書き込みは今日限りでやめて、

そういう風に
自分の立場を 正当化することが、
逃げ込んでいる  ということです
( どこに 逃げ込もうとしているかが 分かりますか ? )

日和見主義者みたいな書き込み  であろうと
天気が悪い から 天気が悪い と  日和見   する

> 無言行者になって真面目に修行したらどうですか。

あなたは 真面目なつもりでも
結構 不真面目  ともいえる

>  これ以上黙認しても莓箭毒蛙様のためにならないから、敢えて言わせてもらいます。

>  自分の誤りを責められて怒ったりもする。
  というけれど
敢えて言う その因 は 怒って ではないのですか ?


言葉というモノは 論理に沿って 置かれます
“ 日和見主義者みたいな書き込み ”  などと、非論理的に片づけず
その論の 非論理性を 指摘したらどうですか ?

“ 絶対他人に責められない安全な場所 ”  から あなたが 書き込みをするなら
あなたは 責められることはないが

     Su. 824
かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えが清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみを善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執している。
     Su. 796
世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を「最上のも」のであると考えて、それよりも他の見解はすべて「つまらないものである」と説く。それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。   
     Su. 798
ひとが何か或ものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と<真実に達した人々>は語る。それが故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。

そういう場所は 存在しない

Re:[11093] 二諦説 投稿者:spinobuddhist 投稿日:2018/10/15(Mon) 18:39 No.11094

> 最初の部派仏教バラモン比丘たちの業は重いですね。

一番業が重いのは莓箭毒蛙さんでしょうね。

議論はしないという議論をし、アイロニカルに他人を見下す。
本当に議論が不要なら、こんなところに出てきて他人のやることにチャチを入れてくることはないでしょう。

われわれは悟っていないから、議論が必要だし、真剣に議論している。
悟った人間には、議論は必要ないだろう。
議論をすれば、先生も私もそうだが、自分の誤りを責められて怒ったりもする。
でもそんな人間としての愚かさを、先生も私も引き受けている。

春間様とやり方は違うが同じパターンで、絶対他人に責められない安全な場所から他人を見下しているに過ぎない。
そんな処に逃げ込んでないで、本当に議論が不要なら日和見主義者みたいな書き込みは今日限りでやめて、
無言行者になって真面目に修行したらどうですか。

これ以上黙認しても莓箭毒蛙様のためにならないから、敢えて言わせてもらいます。

二諦説 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/10/15(Mon) 15:58 No.11093

テーラワーダ(分別説部)も二諦って言うんですね。

現代仏教の議論って十中八九はお釈迦様がひとことも
言われなかった言葉を定義も人それぞれであいまいなまま
延々と議論しているような気がします。

最初の部派仏教バラモン比丘たちの業は重いですね。
それ以降はハレーションみたいなものでしょうか。

断定しない議論しない議論に勝ちたいとも思わない
そもそも議論したと思わない部派が起こらなかったのが残念。

現代仏教徒は究極の真理が好きですよね。
キリスト教徒は造物主のオールマイティが大好き。
両者に良くている感じがします。

Re:[11091]   どの道からでも    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/10/15(Mon) 07:23 No.11092


> >  直視できてから
> >  語ってほしい

>   スマ長老は無常を直視したら阿羅漢の悟りを得るといっていますから、

スマナサーラ が どのように言おうと それは スマナサーラ の 今 
あなたの今  を 保証しない

>   厳密にはちらっと垣間見た程度ですが、一応自分で4〜5年前に経験したことです。

ちらっと垣間見た  のが  直視  であるなら 阿羅漢 である

阿羅漢は 阿羅漢の境地を 住処とするから
“ 住処 の ありよう ” を  “ あるがまま ” に  語り得る

あなたの 住処( あなたが 語る “ところ” ) は  何処ですか ?

> >   直視しなければ
> >  ( 直視したことがなければ、 直視とは どういう事かを分からない )

直視したことがある = 直視している
直視したことがある = 直視していない

その どちらが あなたの住処 に ありますか ?


誰かが 成就者 である 
その者は このように語っている

ということは
あなたの 語ることを なんら保証しません

もし 経に残る 言葉たちが 釈迦牟尼の言葉で
あなたが 如実に それを 聞いて、 語るのなら
あなたは ブッダ そのモノ で、 
語り、語るという「行」 は ブッダのそれ です


「 唯仏与仏 乃能究尽 」
    そう聞く者にとっては すべての人の言葉は
    仏陀 の 言葉 ( 如来蔵 )

如来 を 蔵する 者
       が  
如来 である



ドッカ 逸れて いませんか ?

( ひとかたはたらぬ と  覚ゆるなら それを踏まえての 語りとなります )

正しく語られている  と  覚え     て  いますか ?


  「 正法眼藏 」  <現成公案> 

「  さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。
   人のさとり を  ケイ礙せざること、
    滴露の天月を ケイ礙せざるがごとし。
   ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を 點し、天月の廣狹を辨取すべし。 」
     ************
     「  仏道もとより豊険より跳出せる  」
     ************

と 語るが、 “  ふかきことはたかき分量  ”  と 深浅 高低 を 置く

それは 深き 理や 否や ?

豊検より 跳出する 仏道に

真中  や 端  が あろうか ?

悟りを得た者  は こういうところを  タガワナイ 、、、、

Re:[11090]   どの道からでも    投稿者:spinobuddhist 投稿日:2018/10/15(Mon) 00:31 No.11091

>
> 直視できてから
> 語ってほしい
>
> >  本当に無常=世俗諦を直視したら、普通の人間は精神が破綻します。
> > それほど怖いものだということです。
>
> 直視しなければ
> ( 直視したことがなければ、 直視とは どういう事かを分からない )
>
スマ長老は無常を直視したら阿羅漢の悟りを得るといっていますから、
厳密にはちらっと垣間見た程度ですが、一応自分で4〜5年前に経験したことです。

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