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[10851] Re:[10847] どこの誰が何を見るのか? 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/08/09(Thu) 05:08   [返信]
> > おじゃるさまは、ブッダではなく
>
> ブッダ って どういう 人か( 仏陀か )
> 会ったことがあって、分かるのかな ?
> >  凡夫ではない、
>
> 凡夫の言うことかな ?
>
> >  中道にて おじゃる ぼさつ (_ _)
>
> 中道にいる時にだけ
> 一緒にいると知られる

こんな風に細切れに分けてはいけない。もともと、こうあったのです。

=====
> どこの誰が何を見るのか?
> 無明に依存している、おじゃるが見るのか?
>
> 般若の智慧と慈悲(としての、おじゃる)が解脱智見を知るのか?
======

大乗の視点を問題にしている、と見て、そこに答えたものです。
「原因から結果へ」 という方向だけでは語りきれないものがあるのが、大乗です。
「結果から原因へ」という法のあり方を知って、実践することが必要になってくるので、 そういう地点に立つとすれば、中道ということになるでしょう、ということです。

どういう中道かと言えば、「ブッダではなく凡夫ではない」というところです。
ここを進むと、実践的な道が行けると思って、こう書いたのです。

ブッダってどういう人か  ブッダは「空」
凡夫ってどういう人か     凡夫は「空」

ブッダではなく凡夫ではない  こういう中道もある、と思うな  ぼさつ です。

[10850] 無題 投稿者:おじゃる? 投稿日:2018/08/08(Wed) 21:17   [返信]
 
>君が何処に居ようと
>それを 問題とはしていない

たとえば
大乗とかの場合は
  _  _  _

無明に依存している世界と

 − これを対処するための −

本来自性清浄涅槃というものを前提とした

無住処涅槃という世界観がある

という大乗としての対機説法です

もっとも
「(とりあえず)大乗の世界観を理解しよう。というつもりもない」のかもしれないけど

(「(とりあえず)大乗の世界観を理解しよう。というつもりがないのなら
  大乗の世界観を理解するのは難しい」ということかもしれない)

[10849] Re:[10848] 無題 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/08/08(Wed) 20:02   [返信]

ズレ ているよ

あなたに
答を求めてはいない

> 無明に依存している、おじゃるのことではなくて
> (無明薫習に依存している縁起のことではなくて)

>  − これを対処するための −

君が何処に居ようと
それを 問題とはしていない

一緒にいる
管理人エム 様 の 問題です

言っている意味が
分かるようになったら
応えてください

( 分かったつもりは  わかります )


[10848] 無題 投稿者:おじゃる? 投稿日:2018/08/08(Wed) 18:50   [返信]
 
>中道にいる時に…

無明に依存している、おじゃるのことではなくて
(無明薫習に依存している縁起のことではなくて)

 − これを対処するための −

無明している世界を手放して超えて

般若の智慧と慈悲によって観照して

智慧によって − 煩悩障と所知障とを離れ
大悲をもって − 迷いの世界の中で活動する

(無明に依存することのない)
仏そのもの
仏性からの真如縁起としての

『無住処涅槃としての菩薩』という意味なんじゃないかな?

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように m(_ _)m

[10847] Re:[10837] どこの誰が何を見るのか? 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/08/08(Wed) 15:21   [返信]

>  答えましょう( 厳か風味 )

風味という  好みは要らぬ

> おじゃるさまは、ブッダではなく

ブッダ って どういう 人か( 仏陀か )
会ったことがあって、分かるのかな ?

会ったこと が ないのに
会うって ( どういうことかが ) 分かるのかな ?

その照らし合わせの基準は
正しい基準ですか ?

顛倒の数だけ 真理の数がある

>  凡夫ではない、

凡夫の言うことかな ?

( 凡夫  以下は存在しないから )
凡夫でなければ 凡夫が見える

>  中道にて おじゃる ぼさつ (_ _)

中道にいる時にだけ
一緒にいると知られる

一緒にいないと 凡夫だと分かる基準がない


[10846] 無題 投稿者:おじゃる? 投稿日:2018/08/08(Wed) 10:01   [返信]
>差異をどのように揀択(商量)しますか

たとえば
おじゃるの場合は

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明に依存して
遍計所執性に依存して

妄想して分別して
我所もある・我もある
客観もあり・主観もある
(客体もあり・主体もある)

と掴もうとしている『想い』が、現れ変化して滅している

>煩悩に 世俗 勝義は ありますか ?

縁起している世界の中において
掴もうとしている『想い』が、現れ変化して滅している

>神 とは 仏と(如来と) どう 並立していますか

たとえば、仮に
有為法としての神と
無為法としての仏(如来)の世界は違う

有為法としてのブラフマンの世界も手放して超えて
無為法としての涅槃の世界に戻る帰る
というような対機説法も、わかりやすくて良いかもしれない

[10845] Re:[10844] 無題 ー 言ってから得ても、得てから言っても  同じこと    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/08/08(Wed) 09:19   [返信]
 
> おじゃるは僧侶ではないので

僧侶とは 何を指しますか

あなたの理解にある 僧侶 は 何を指し、
何を得ている者ですか ?

僧侶は どこに、どのように 存在を明かしていますか ?

得ている者と 得てはいない者との
差異を
どのように揀択(商量)しますか

その揀択に対して  の
  選び取られる モノ(得ているモノ) は
  いかなる    モノ ですか

> それゆえに阿闍梨でもないです

阿闍梨に出会ったことはありますか ?

その出会った 阿闍梨 ・ 阿闍梨という規定(認識) は
 本物で、疑いえないモノですか ?

もし 堅固でなければ  
あやふやに あやふやを 乗せただけになりませんか ?

> 世俗諦の煩悩まみれのオッサンです

煩悩に 世俗 勝義は ありますか ?

> スッタニパータ 21
> 神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ

神 とは 仏と(如来と) どう 並立していますか

神の望むことを、神ではない者が望んで 
得ることは適いますか ?

適う道は 得られていますか ?


[10844] 無題 投稿者:おじゃる? 投稿日:2018/08/08(Wed) 02:51   [返信]
 
おじゃるは僧侶ではないので
それゆえに阿闍梨でもないです
世俗諦の煩悩まみれのオッサンです

>意味不明だ

解脱(涅槃)という『想い』は
仮設としての
仮の現れとしての『想い』という意味で

掴もうとしている『想い』を手放して
縁起している世界を手放して超えているのなら
その時は
本来自性清浄涅槃そのもの

↓おじゃるは禅宗系も専門外なので、わからないけど、それでも、とりあえず
http://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
坐禅中の心構えを一口にいうならば,坐禅の姿を骨組と筋肉でねらい
そうして「思いを手放しにしている」という言葉が一番あたるかもしれません
ところが今
その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって
何ものをもつかまないでいることです。すなわち思いの手放しです
実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう

http://enlighten.fc2web.com/fukanzazengi.html
(掴もうとしている『想い』を手放して
  縁起している世界を手放して超えているのなら)
仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもないはずである

スッタニパータ 21
師は答えた
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している
(掴もうとしている『想い』を手放して
  縁起している世界を手放して超えているのなら)
もはや筏の必要はない
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ

[10843] Re:[10842] 無題 投稿者:えび天サンバ 投稿日:2018/08/08(Wed) 00:09   [返信]
> ↓「仮設としての」という意味で
> 解脱(涅槃)は達成され得ない

阿闍梨の書いていることは意味不明だ。
何をしたいのかを明確にした方が賢明だろう。

[10842] 無題 投稿者:おじゃる? 投稿日:2018/08/06(Mon) 16:11   [返信]
 
↓「仮設としての」という意味で

(青目の)中論 觀如來品 第二十二
如来は戯論を超過する
人は戯論を生じる、戯論して慧眼を破れば
是の人達は皆、仏を見ることはない

(青目の)中論 觀涅槃品 第二十五
諸の因縁を受けるが故に、生死の中で輪転する
顛倒を如実に知らないが故に
五陰を受けることに因って生と死とを往来する
顛倒を如実に知るのなら生と死とを往来することはない

無明薫習
衆生は無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生ずる

中論 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為、言葉による行為、心による行為を行う(カルマを積む)

遍計所執性
縁起している世界の中において
変化しないものは、存在しないにも関わらず
変化しないものが、有ると思う虚妄の執著である

中論 第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察
勝義諦・世俗諦
この二つの真実の間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう

世俗諦の中に存する根拠なしに
勝義諦なるものの重要性は説き得ない
勝義諦なるものの重要性を理解することなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない

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