Magical Board


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[11835] Re:[11833] 中村哲医師 投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/12/14(Sat) 07:26   [返信]

ナイチンゲール が どのような人かは
どのような人であるか を 決める人 の 
決めることによって得られる
 “ 果 ”  に対する 欲求( 願望 ) に よって 決められる

人は 欲望に沿って、 思惟を運ぶものです 、、、、

 
中村哲医師 が バプテスト であるかないかは、 
わたしには なんら 影響を及ぼさないが、
キリスト教徒 である  ということは、 大きな問題を提起する

「 キリスト 」   という語 は  “教会用語”  です

わたしは、 「 キリスト教徒  です 」 と 言いますが
それは 「 空 」  です
突き詰めると ナザレのイエス  も 「 空 」  ですが
少なくとも、 キリスト であるかどうかは、 まだ  考慮の余地  が ある

仏教徒 が ためらいなく存在出来ているから、
わたしは キリスト教  を  口上にあげることが出来る

「 教え 」 は 解釈によって、 いくらでも 表情を変える

行ないは、 解釈しなければ、 一つ  です

教え を 見てはいけない
行ない を  目に映し、  行ないに移す のです

行ないは 無常 ですから、
道の途中で、 姿を変える
しかし、 解釈することをしなければ、
姿は変わろうと、  行ないは “ 一つ ”  です


一つしか存在しないこと  を 「 真理 」 とも呼ぶ



[11833] 中村哲医師 投稿者:苺箭毒蛙 投稿日:2019/12/13(Fri) 17:24   [返信]
本人はキリスト教のバプテスト派のようですが、現地のモスクやマドラサを再建するなど、本物のやることは融通無碍ですね。

NPOが布教目的なのが多いですが、中村医師は用水路建設も医療の延長だと言う。
純粋な医療は普遍性があるので現地の人にも受け入れられる。

ブッダも「大医王」と言われますが、本質はこっちにあるのではないかと。

[11832]  したいようにする   投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/12/13(Fri) 09:30   [返信]

やりたい放題 言いたい放題


“ やりたいようにやって、やりたいように悩む ”
(  したいことをして、   思いたい放題    )

やりたくないことを、 やりたい放題

悩んでいると、 思いたい 放題

これがやりたいことだと、 思い放題
やってはいないと、    思い( “込み” ) 放題

“ したくないことだけれど 強制されるからする

強制されることを しない よりも
強制されるままに する  方が ( 選びやすい ) したいこと

だからと言って、 強制することに、 何の問題もないわけではない 、、、、

自分の選択に、 自分で “ 理屈 ” を つける
( 自分の中でだけ なら、 それは 他から 構われることではない )
( 人に ああだこうだ 言われたくない という時には、 他人 に 関わっている )

自他不二  である時のみ
他について、 自分が語ることが出来る

しかし、 語られることは、
   通常
自分に、 都合の良いことだけ

自分がされたくないことを、
   他人に するな と いう ( 要求する )
自分が してほしいこと を  要求する( “シロ” と言う )

自分の “城” を ジブンデ キヅク
“城” の周りには 自分が 築いた( 気付きたくない ) ジョウヘキ( 情壁 ) が ある


[11831]  ノーム・チョムスキー を読み返して、 確認できること  投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/12/10(Tue) 09:45   [返信]

疑いのないこと  には
    疑うという姿勢 が 起こされない 
言うまでもないこと     にも
   何故言うまでもない  か  
ということ への 疑いが 起せてはいない

“ 言うまでもないが、 言うまでもないことを言う必要はない ”

必要のないところに、反省・慚ること  は 起せない

こういう 組み上げの 構造は
非常に単純ではあるが、
複雑さに 慣れ切っている 人  には
 さらに複雑さ を 増すのみとなる

故に  慣れ切っている 単純さを 適用している

“ 言うまでもない ” は、 “ 言うまでもないことを言う必要はない ”
   ということを  言っている



必要は 需用に起きる


[11829]  スマナサーラ は 阿羅漢 か ??    投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/11/29(Fri) 19:58   [返信]

アーチャン・チャー 「 手放す生き方 」   

> 「 欲望というものは 本当に狡猾です 」
   欲を起こすと  狡猾になる
      狡猾に 実現しよう とする

> 「 さまざまな思考や感覚によって・・・・ 思考の構築作用が発生し、幻想が作り出されます 」
      思考は 構築された 幻覚・幻想 である

> 「 歩くことを身につけなければいけません  」
> 「 その後でなら、あなたは瞬く間に飛行機にも乗れるようになり、世界中を旅することもできるでしょう 」
      ( 心で )歩くことを 身につければ、あなたは 瞬く間に 世界中を旅することが出来る
      世界は 心が 作り出しているのだから

> 「 自分自身で経験したことだけが、あなたに 信(サッダー)をもたらす 」
     自分自身 という 者   は ないけれど
     それでも、自分自身で経験したことだけが、あなたに 信(サッダー)をもたらす


> 「 信仰には、 二種類のものがあります 」

    “ 信仰 ” は たった一つ(唯一) の モノです
    ブッダ の教えを 盲目的に信じること です

> 「 打ち勝つべき他の煩悩をまだ持つ人であっても ・・・・ 確信を得ることが出来ます 」

    煩悩のない人を 成就者と呼びます
       信仰 を 持つ人は 無碍の一道であり 成就者です
    煩悩を持つ人にだけ 成就が起きます
        だから 時を 「 縁起 」 と 知る時
    「 煩悩即菩提 」  が 起きます


さらっと 出だしを 読みます
スマナサーラ は アーチャン・チャー を 阿羅漢 だと言います

「  唯仏与仏 乃能究尽 」


[11828] Re:[11827]  お気楽 から 転記    投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/11/26(Tue) 08:22   [返信]

> あなたは 自由にはばたくけれど
> それが 觔斗雲 の 上でのことだと 気が付きませんか ?

あなたは
あなたの道具である キントンウン(キントウン)に乗って
仏教の そとへ 飛び出す


( という意味で 漢字が 変換されていませんでした )


[11827]  お気楽 から 転記    投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/11/26(Tue) 08:15   [返信]

Re: 55719 『歴史上の仏陀など... 投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/11/26(Tue) 08:07 No.55772

>  そのような過去の失敗も成功もどんな記憶も、わたしでも、わたしのものでもないのです。
> どんなものでも泡のようなものだなあと実感します。
> そして、それが仏陀のメッセージだと私は確信しています。  <

どのような 思いも  あなたのモノ です
あなたの  アルタ  なのです

過去の “ 成功 ” が  あなたのモノではなく
過去 を 自分のモノではない   
     ( という “ モノ ” が すでに あなたのモノtごして 積まれています )
     ( こういうことを サンスカーラ と 言います )
そういう風に、
自分の 都合の良いモノ を 自分( のすべて )だとします

( そうではない という 都合の良いことを 自分だとします )

あなたの “ 今の実感 ” が  “ 泡のようなもの ” ではない のは
“ あなたが 解釈する 仏教 ” に 拠るのみです

あなたは
あなたの解釈が  “ 仏陀のメッセージ ” だとする

そうすると、
あなたの解釈は 「 仏教 」 である  ということになります

あなたが   “ 教 ”  える 
あなたが   “ 仏 ”  です

仏 は  確信しない
仏 は   「 無量 」 にあるから 「 揀択 」 という “解釈” を しない

“ 解釈 ” は すべて 「 無明 」に起きている のです

だったら、 わたしの記述も 解釈 ではないか と あなたは思う
( そうではないけれど、 そうだとして置いても )
「 無明 」に起きる 解釈を
「 無明 」 に起きて 解釈して、
何 が 起きていますか ?

>   法然や一遍は素晴らしいと思いますしもっと歴史上の評価が高くていいと思いますが、

親鸞は 法然を 評価していません
帰依 しているのです

その 帰依 を 、 
あなたは 否定するわけです ( あまり と言いつつ、 否定するわけです )

>  世間の評価が抜群に高い親鸞は私はあまり評価しません。

評価するところを 
評価してごらんなさい
 ( 道元の言う 「 毫釐も差有れば 天地懸に隔たる 」 という言葉 が 分かってきます )

( あなたが 正しいと思うことが 「 無明 」に起きて は いますが )
間違ったことを 掘り返さず、
少しの 評価 を 掘り下げてごらんなさい

評価 ばかり  になります ( 評価の 遊園地や ! )

> 親鸞は私はあまり評価しません。

言葉尻を捕らえる  と とろうと(とられようと)  構いませんが   
“ 親鸞は私はあまり評価しません ” の  “ 助詞を 正す ” と
   “ 親鸞 を 私 は あまり評価しません ”  と               A
   “ 親鸞 は 私 を あまり評価しません ”  とに なります        B
A は “ あなたの 解釈の仏教 ” からの  「 縁起 」 に外れる 解釈です
B は  あなたの想像( 妄想 )に過ぎません

妄想を否定するのは あなたの自由にあるとするなら、
 Bは 否定されます( 存在を拒否されます )

常識を 重んずるなら  親鸞は 重んじられます

常識を否定するなら
あなたの “ 思い ” は “ あなたの常識 ” で 出来ていると知ることです

自分が正しい道にある  ということが
 “ 常識 ”  の  “ 核・中心 ”  です
   ( 中心 は 執着 である ということが 「 仏 」 の 説くところです)

“ 自分は 間違っている ”  と “思う”  その思い が 間違っていますか ?
“ 自分は 正しい ”      と “思う” その思い  は
 自分の思い  ではありませんか ? ( どちらも 自分の思い ではありませんか ? )

あなたが思う  成功  も  失敗も 反省も すべて 自分の思い
    ではあるけれど
あなたは  “ 好きなモノ だけ ” ピックアップ し
それを 
>  それが仏陀のメッセージだと私は確信しています。
と “ 確信 ” に 置くのです

借金を全部返しても “ 借金をする  その構造 ” は 返されてはいません
会社を続けようと、止めようと  その構造は 続くのです

その構造  に 親鸞 は マナザシ を 注ぎます
( いわんや 悪人をや )

> 禅僧ではあまり有名でない長沙と普化を最も素晴らしいと思っていますし、有名な道元はがんじがらめのように見えます。

あなたは 自由にはばたくけれど
それが 觔斗雲 の 上でのことだと 気が付きませんか ?


こうしたことが、
あなたへの わたしからの 回答 ですが
あなたは、 好きなように読む



[11826]   マニカナ へ いらっしゃい    投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/11/25(Mon) 14:48   [返信]

あなたを 「 マニカナ 」 に 誘ったのは
見つめなければならない あなた自身  を
見つめることを  起こして  モライ

その もたらされ(恵)ている あなたが 齎す ものを 受け取るためです

消えていく 掲示板 で その場限りに 置いてほしくはなかったのです
( マニカナ の Magical Board と 新マジカナ道場 は
     永久保存で、 いつでも、 以前の書き込みに タッチ 出来ます  )


あなた自身が、
あなたから 齎されている ことの 本当の姿を 見ることが出来る時
わたしが あなたから 恵みを受けているということが、 分かり
わたしが 「 報恩 ・ 報仏恩徳 」  に ある  ということも 分かります

わたしにとって、 あなたは 「 まさしく仏となるべき人 」 なのです

 「 まさしく仏となるべき人 」  から 「 仏 」 までに、 道程がある とするなら
      それに対して 
わたしは 全行程が 「 道 」 である  と 教えられています

繋がっていない道は ないのです
どこからが 悟りの領域かを 問わず
道にあるかどうかを 問うから 道にあると 知ります

「 法華経 」 は そういうことを 強く説きます
だから、 歴史上で 「 経王 」 と 呼ばれるのです

大乗に於いて 「 法華経 」 から はみ出す教えは ありません


「 法華経 」 を 生きる  ということが 「 阿弥陀経 」 を 生きるということです



[11825] Re:[11824] 認識論的観点から 投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/11/25(Mon) 14:29   [返信]
> 石飛先生の仏教への真摯な姿勢は尊敬しています。


それは   否定したい 従来の仏教  というものを
認識するときの
あなたの認識

その認識の下での “ 尊敬 ” に 過ぎません

否定されるべき 従来の仏教認識 は
あなた自身の 認識の産物です

あなたが、 自分で 自分の “ 悪し” を 食べている

食べた  “ アシ ”  で 尊敬する


[11824] Re:[11823] 認識論的観点から 投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/11/25(Mon) 14:18   [返信]


*******************

Re: 55719 『歴史上の仏陀など... ショーシャンク 2019/11/25(Mon) 11:40 No.55724

私は、今までの仏教理解をいったん白紙にして、歴史上の仏陀が本当に言いたかったことは何かを探求してきました。
そして、それが見えてきています。
あとは、仏陀が本当に言ったことを実践していって顛倒夢想から180度転回した明=慧 に到達できるか、だけです。
自分なりに見えてきた道を行くしかありません。

たまたま春間さんが、『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』という言葉を出してきましたので、どのような解釈をされているのか知りたいと思っただけです。

私は、求道の上では仏陀の真意以外には関心がないのです。

ですから、法然の言葉にも親鸞の言葉にもとらわれることは一切ありません。

>もし法然・親鸞がそう言ったのであればそれがあなたを拘束します

というのは杞憂です。


私は、仏陀が本当に言ったことを知るために、いったん仏教なるものを全否定したところから出発しました。
ですから、従来の仏教理解に導こうとされても、否定しか出てこないと思います。
それは『知識を駆使して春間氏に対抗しようとしている』わけではなく、『これこそが仏陀が言おうとしたことだ』という強い思いがあるからです。
しかし、その同調者がほしくてここに書き込んだわけではありません。

春間さんがこの掲示板で誰に対しても否定の石つぶてを投げるのを見て、そういうやりかたではなく、いっしょにテーマを考えて共有していけばこの掲示板も盛り上がるだろうと思ったので、春間さんへの全否定のようになりました。

今朝の石飛先生の書き込みを見て、石飛先生も春間さんやそのやり方を認めておられるようですので、それであれば私がどうこう言う必要はありません。

石飛先生の仏教への真摯な姿勢は尊敬しています。
ですから、この掲示板がますます発展していくことを祈念してます。

*******************




>  私は、仏陀が本当に言ったことを知るために、いったん仏教なるものを全否定したところから出発しました。

あなたが ( 今までに )知った “ 仏教 ” なるモノは
すべて、 あなたの読み方による あなたの 解釈 です

仏教を否定するのではなく
あなたの解釈を 否定しなければならない
(   あなたは、 この意味を あなたの解釈で 解釈する  )

否定すべきことは
  あなたの解釈を生む  あなたの“解釈方法”  です
そういうことを 「 無我・非我 」 と 言います

あなたの 知力 で あなたの知力 が 生み出した 「 知 」 を 否定することはできません

蛸 は 自分の足を食べて、 飢えをしのぎますが
人は 自分の 「 揀択 」 を 食べようと、 “ 飢え・ 渇き ” を 増すのみです

「 四食 」 ということを 知る時です

その 「 四食 」 は 常に あなたの すぐ傍に あります
あなたは  “ 自己の中 ” で それを探しているのです
そういことについて、 スッタニパータ で 牟尼が説きます  

   Su. 1068    ( 出典 中村元 訳  岩波文庫 「 ブッダのことば 」 )
「 上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、─ それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」 」

白隠禅師 は 和讃 で 
    http://sybrma.sakura.ne.jp/470hakuin.zazenwasan.html

「  衆生(しゆじやう)本來佛なり
水と氷のごとくにて
水をはなれて氷なく
衆生の外に佛なし
衆生近きを不知(しらず)して
遠く求(もとむ)るはかなさよ
譬(たとへ)ば水の中に居て
渇(かつ)を叫(さけぶ)がごとくなり
長者の家の子となりて
貧里に迷ふに異ならず
六趣輪廻(ろくしゆりんね)の因縁は
己(おのれ)が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏(ふみ)そへて
いつか生死(しやうじ)をはなるべき
夫(そ)れ摩訶衍(まかえん)の禪定(ぜんじやう)は
稱歎(しようたん)するに餘(あま)りあり
布施や持戒の諸波羅蜜(しよはらみつ)
念佛懺悔修行等(とう)
其(その)品多き諸善行(しよぜんぎやう)
皆この中(うち)に歸するなり
一座の功をなす人も
積(つみ)し無量の罪ほろぶ
惡趣いづくにありぬべき
淨土即ち遠からず
辱(かたじけな)くも此の法(のり)を
一たび耳にふるる時
さんたん隨喜(ずゐき)する人は
?b?得(う)る事限りなし
いはんや自(みづか)ら回向して
直(ぢき)に自性(じしやう)を證すれば
自性即ち無性(むしやう)にて
すでに戯論(けろん)を離れたり
因果一如(いちによ)の門ひらけ
無二無三の道直(なほ)し
無相(むさう)の相(さう)を相として
行(ゆく)も歸るも餘所(よそ)ならず
無念の念を念として
謠(うた)ふも舞ふも法(のり)の聲
三昧(ざんまい)無碍(むげ)の空ひろく
四智(しち)圓明(ゑんみやう)の月さえん
此時何をか求むべき
寂滅(じやくめつ)現前するゆへに
當所即ち蓮華國(れんげこく)
此身(このみ)即ち佛なり  」

と うたいあげます 
( 漢字 や ひらがな に 囚われてはいけません )
( 音 のみを 真っ直ぐに 直心に 受け止めることが 大事のことです )

> ですから、従来の仏教理解に導こうとされても、否定しか出てこないと思います。

“ 従来の仏教 ” は あなたにだけある “ 仏教 ” です

他の誰が、 “ これが従来の仏教 ” だと 示しても
あなたが 納得しない限り 
あなたにとっての “ 従来の仏教 ” は ありません

あなたが 解釈することが、 あなたの “ 従来の仏教 ”    です

それを 捨てるということは、
“ 判断を起こす 自我   を  捨てる ”  ということです

そういうこと を  「 南無阿弥陀仏 」 と 言う    のです

「 仏 」 は 商量を起こしません →  「 無量 」  ですから 「 アミタ 」 です

自らを捨てて、 アミタ  に  ナム する
そこに 「 仏 」 が おわす

「 ナム アミタ → ブツ 」

仏とは何かを 商量するところには “ (商量)仏 ” はいても 「 仏 」 は おわしません

「 仏 」 が アミタ だから  大きいいことを 超越して 「 マハー 」 なのです

「 マハー ヤーナ 」 が 「 大乗仏教 」 です

自分で知る  という 自分の解釈の世界があるから  世界は 区切られ、
区切ることに因り、 区切られた中(小)  と 区切り切れない“ 大 ”   が 起きます

自らの修行 が ある限り 大小 があり
大小 が ある故に 、 「 ヒーナ ヤーナ ・ 小乗 」  が 起きます
 
部派 は 自らに “ 卑小 ” を 起すのです

水と氷  は 一つのモノの  “ 違う 側面( 正面 ) ”    です

渇きを 訴える者 の 周りは  “ ミズ ” に 満たされています が
“ ミズ・見ず ” には 見ることは 起きませんから  “ 水 ” は ないと されます


釈迦牟尼 は 「 見よ 」 と 説きます
何を 見るのかを
あなたが 解釈する時、 あなたの解釈に沿った “ 見られるモノ ” が そこに起きます

「 仏教 」 の 大事な修行である 「 唯識 」 では
そういうことを  “ 見る ” ことを
「 瞑想 」 を 通して ( 怠りなく ) 修行します

怠っているところには  「 唯識 」 の 「 修行 」 は 起きてはいません

“ ヴィーリヤ ” を  保ってください ( 総持 してください )

「  ガーテーガーテーパラサンガーテ ボーディースーヴァーハー 」
(  羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶  )


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