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[10042] Re:[10041]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:みどり 投稿日:2017/03/09(Thu) 16:01   [返信]
> 「誰もが皆、気違いなんだ。だったら神を愛する気違いの方が良い」

この言葉は、その人が好んで口にしていたヒンデュー教の宗教家
(ヴィヴェーカーナンダ)の言葉の一部分です。

その部分のみをよく口にしていましたので、思わず、そこだけ出てしまいました。

全体は、もう忘れました。

確か、

「全て、あの方(神)が持っておられる。あの方に比べると、誰もが皆、気違いなんだ。
だったら神を愛する気違いの方が良い」だったように思います。

正確に、本文を紹介することができず、申し訳ありません。

[10041] Re:[10040]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/03/09(Thu) 12:03   [返信]

> 「誰もが皆、気違いなんだ。だったら神を愛する気違いの方が良い」

キチガイの元にあるときには
元は見えない

気違い の 言 

みんな キチガイ なら
だれも キチガイ ということを規定できない

良いワルイは
悪いことが 違いにあると 規定できることが  必須

ダレモ なら
ダレモ あてはまらない

[10040] Re:[10038]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:みどり 投稿日:2017/03/09(Thu) 11:32   [返信]
「仏教を東大で学んだお前は「貪瞋痴を棄て」の意味を知らなかったのか?」
「知っていたなら、その時、お前は「貪瞋痴」を棄て去っていたと自覚していたか?」

裁判官に尋ねられて、その人は、平然と、こう答えるのかも知れません。

「誰もが皆、気違いなんだ。だったら神を愛する気違いの方が良い」

[10039]  ころあい という 頃  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/03/09(Thu) 10:56   [返信]

セッソウ ガ ナイ

ソウ ジャナイ 者に 言っても
ソウ とられることはない

[10038] Re:[10037]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:みどり 投稿日:2017/03/08(Wed) 22:07   [返信]
二〇 經文を誦むこと少なしと雖も、法を遵行し、貪瞋癡を棄て、知識正當に、心全く解脱し、此世他世ともに執著することなき、彼は宗教家の列に入る。

「その人は<騙された!!!>とわたしを繰り返しなじりましたが、わたしのほうが、その人に騙されたのです」
として、真理の法廷に出されたこの経文。

これ一つだけなのです。

目に見える形のものとして出せるものは。

よくぞ、これが、流転する記憶の中に、残っていたなと思っています。

[10037] Re:[10036]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:みどり 投稿日:2017/03/08(Wed) 18:39   [返信]
月20万円を超える高級マンションに住み、集められた豪華な調度品に囲まれ、
高級な衣服に身を包み、美味なる食事をする、労働のない優雅な時間が流れる生活。

いつの間にか、わたしは、その人のその生活の一端を担っていました。

その人の口から放たれる「信仰」や「真理」と言う言葉の内容を、
掴みたくて。

[10036] Re:[10035]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:みどり 投稿日:2017/03/08(Wed) 18:15   [返信]
中村元氏の『ブッタのことば』が新刊された時、書店で手にとり、
数ページ見たあと、こう言い放ちました。

「あんな俗物の本なんか読んでやれへんねん!!!」

わたしは、本人が気に入らないからといって、新しく研究された本が読まれなければ、
どのようにして仏教を学べば良いのか?少し、疑問でした。

[10035] Re:[10034]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:みどり 投稿日:2017/03/08(Wed) 17:49   [返信]
そう言えば、その人が東大の学生の時、卒論の師である中村元氏に対して、
こう言ったそうです。

「先生は罪をしているのですよ!!!」
「分かってますか!?」
「いいですか!」
「先生のやっていることは本当に罪なのですよ!!」

その人から言えば、信仰を持たない者が、学問として経典を研究することは
とても罪なことだ、ということらしいです。

一方で、わたしには、たびたび
「何もやることが無かったら仏教を勉強しなさいと言いますね」
とも言っていました。

その人の信仰の内容が厳しく問われるはずだと思います。

「宗教の本質は狂気だ!」という言葉をどこからか拾ってきて、
嬉しそうに話していたことを思い出します。

[10034] Re:[10033]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:みどり 投稿日:2017/03/08(Wed) 16:58   [返信]
そのどちらの言葉も、実はわたしにはピンと来ませんでした。
人々に「怒り」を煽り立てて喜ぶ、その人は仏教の何を知ったというのでしょうか?

「いつも、死ぬ準備をしなければならないのですよ」と言っていましたが、
その人は、本当に死を前にして、恐れないのでしょうか?

「天に行けばバッハ以上の音楽が流れているだろうから、
わたしは、それを聞くのが、楽しみなのです」

その人は、そう言っていましたね。

悩み苦しみ、そして、痛み苦しむ世界を、いまだ、知らない人は幸いです。
そういう世界は、知るより、知らないほうがいい。克服できないのなら。

[10033] Re:[10032]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:みどり 投稿日:2017/03/08(Wed) 14:28   [返信]
『死に際には役立つのは仏法のみ、これを忘れることなく、仏法の修行をするのです。』

このチベットの高僧の言葉は、その人の言った、次の言葉を思い起こします。

「誰も死ぬ時には何も持っていけないのですよ」と、穏やかに語っていたこと。

「仏教を知って死ぬのと、知らないで死ぬのと雲泥の差なんだ!!!」
と何か怒りを持って言っていたこと。

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