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[10669] あれ 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/04/21(Sat) 09:39   [返信]
顔文字が化けてますな。ま、いいか。

[10668] Re:[10667] 有名コピペ 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/04/21(Sat) 09:19   [返信]
pocketさま、おはようございます

こちらこそ、自説に拘泥しておりました(๑´ڤ`๑)テヘ

> 自分はジャン・クレーゲルやハイマン・ミンスキーといった主流派じゃない経済学者のファンなもので。

そのあたりはあまり知識がないので調べてみたいと思います。

> これ、実証実験では疑われてるみたいですね〜
>
> http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20151129/1448881587
>
> 自分も好きなんですけどハイコンテクスト文化論

なるほど反駁されているのですね。面白いですね。
日本文化論ではなくて日本語と他言語の比較なんですが、
文化論全体になるとたしかにエッセイみたいなものですね。
根底に優劣の感情が入ったりするでしょうし。

> 無記は日本人の美徳でもあるけど、オウム真理教事件みたいなときは、どこかの智慧の菩薩に頼りたきものなり…

現実の世界では集団の暴力の方が強いですからね。
警察に任せるしかないですかね〜

[10667] Re:[10665] 有名コピペ 投稿者:pocket 投稿日:2018/04/20(Fri) 23:11   [返信]
莓箭毒蛙さま

この間は暴言失礼しました。
自分はジャン・クレーゲルやハイマン・ミンスキーといった主流派じゃない経済学者のファンなもので。

しかし宮哲さんには流行りの理論だけじゃなくて、もうちょっといろんな理論に食指を伸ばして欲しいこのごろです。


> 高文脈文化の言語っぽいですね。

これ、実証実験では疑われてるみたいですね〜

http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20151129/1448881587

自分も好きなんですけどハイコンテクスト文化論

> 無記で牟尼が一番。

無記は日本人の美徳でもあるけど、オウム真理教事件みたいなときは、どこかの智慧の菩薩に頼りたきものなり…

[10666] Re:[10665] 有名コピペ 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/04/19(Thu) 15:13   [返信]

> > 15日の日曜日は、札幌でスマ長老さまの冥想会があって、お手伝いに行きましたが、一神教の神と同じく、観音、大日などもぼろくそでした。
> >

テーラワーダ の 宗派用

もし本気なら
(そんな程度の) 低能な理解者 に 当てはまる

本気で 大乗を否定するなら
お話にならない
( 自分の言っていることが 大乗だと知る由もない )

「生きとし 生けるものが幸せであるように 」
これが 大乗です

上座仏教 が 説くことを 大乗が説いていたとしても
事は一緒です


理趣経も分からず
仏教を説くのと ことは同じ



[10665] Re:[10661] 有名コピペ 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/04/19(Thu) 00:38   [返信]
> 日本語で主語を言わないのは、仏教の影響もあるかなと思ったことがあるけど、もともとなんでしょうか。どうなんだろう。

もともとじゃないですかね。
書き言葉ではなくて、対話者間の関係や背景で意味が変わる
高文脈文化の言語っぽいですね。
話し言葉というべきか。

> お、「よいっしょ」されちゃった。
> 15日の日曜日は、札幌でスマ長老さまの冥想会があって、お手伝いに行きましたが、一神教の神と同じく、観音、大日などもぼろくそでした。
> 「観音が救ってくれたことがあるんですかね」って。

スマナサーラ長老はとても正直ですよね。よいっしょ!

ただ、日本人だったら他人の大事にしているもの
信仰にはとやかくいわないのが作法なんで、
そこらへんが微妙ですね。

無記で牟尼が一番。

[10664] Re:[10663]  得たものすべてが C&P  Re:有名コピペ 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/04/17(Tue) 14:33   [返信]

> > 観音菩薩や阿弥陀仏は、「空」とセットでないと、本気で恐ろしいことになりますね。
> > 「我に関して空である」を徹底しないと、他の一神教と区別されないことになってしまう。
>
>
> 他の一神教とされるモノでも
> 全て そこにいる人に 教えとして存在する 、、、、

そのとき、「他の一神教とされるモノ」は、そこにいる人には、空である。
もし、だれか空でない人が、一神教を使ったり、見たりするならば、やはり問題が生ずるのではないかと思います。


> 同じではありませんか ?

スマ長老さまには、一神教も、観音も同じであるように見えます。
あるいは、それぞれを、ほんとうに真摯に受けとめる人にも、受け止め方としてはそれぞれ同じであるように見えます。

純粋に信仰している人には、その人自身としては大きな問題は起こらないけど、他者に対するときに問題が起きてきそうです。

[10663]  得たものすべてが C&P  Re:[10661] 有名コピペ 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/04/17(Tue) 13:14   [返信]

> > 日本語は主語が空白になるのがいいですね。

> インド人も、ブッダの説き方だと主語が「人」でないことが多いです。思想は、言語の形式によって表現される、というのがはっきり出てくるのがいいです。
> 日本語で主語を言わないのは、仏教の影響もあるかなと思ったことがあるけど、もともとなんでしょうか。どうなんだろう。


> 15日の日曜日は、札幌でスマ長老さまの冥想会があって、お手伝いに行きましたが、一神教の神と同じく、観音、大日などもぼろくそでした。

「 馬鹿っていう人が馬鹿だって ままが教えてくれたモン ! 」

> 「観音が救ってくれたことがあるんですかね」って。

それは 救われたと感じる人が
「救ってくれた」 と 言うこと

救われた ・ 救われている と 感じない内は
救いの外 から 動こうとはしない

そのままの位置で  救われる位置にいるとも知らず 、、、、

> テーラワーダは、本気で自力なんだなぁ、って実感し続けました。

自力  って  教えられて  自力 っていう言葉を使う

阿弥陀様以外に
チャッタ
あみだしたこと以外に あみだされたことは見つけられない 、、、、

> 観音菩薩や阿弥陀仏は、「空」とセットでないと、本気で恐ろしいことになりますね。
> 「我に関して空である」を徹底しないと、他の一神教と区別されないことになってしまう。

出来ない者は
しないからできないと知らない
ここを掘り下げることもしない 、、、、

他の一神教とされるモノでも
全て そこにいる人に 教えとして存在する 、、、、

同じではありませんか ?


[10661] Re:[10660] 有名コピペ 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/04/17(Tue) 08:25   [返信]
> インド人のアートマンって
> 「お前は見られている」の宗教寄りじゃないですかね。
> アナートマンの方はその反動で過剰に分析的で科学寄り。

「見る・見られる」の分け方だと、主体に属することになるので、たとえ、客体として扱っても、主体の意識で見てました。ふうむ、あまり考えるとこんがらがるなあ。
>
> 日本語は主語が空白になるのがいいですね。
> 欧米人やインド人に比べて自我意識が希薄でいい感じ。
> そもそもインド人の極論に日本人が付き合う義理はないです。

インド人も、ブッダの説き方だと主語が「人」でないことが多いです。思想は、言語の形式によって表現される、というのがはっきり出てくるのがいいです。

日本語で主語を言わないのは、仏教の影響もあるかなと思ったことがあるけど、もともとなんでしょうか。どうなんだろう。
>
> 旧約聖書を読むとこんな神さまはおらいやだぁとなりますが、
> 阿弥陀様はもうそこいらへんの人間の理想にも近くて
> すばらしい。
>
> 日本が一神教の惨禍から逃れられているのは
> ひとつにはもっと洗練された救済型宗教があったからですかね。
>
> ヤハウェと阿弥陀様の二者択一ならそりゃ後者でしょ。
>
> よいっしょ!

お、「よいっしょ」されちゃった。
15日の日曜日は、札幌でスマ長老さまの冥想会があって、お手伝いに行きましたが、一神教の神と同じく、観音、大日などもぼろくそでした。
「観音が救ってくれたことがあるんですかね」って。

テーラワーダは、本気で自力なんだなぁ、って実感し続けました。
観音菩薩や阿弥陀仏は、「空」とセットでないと、本気で恐ろしいことになりますね。
「我に関して空である」を徹底しないと、他の一神教と区別されないことになってしまう。

[10660] Re:[10658] 有名コピペ 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/04/16(Mon) 18:19   [返信]
マニカナ先生、こんばんにゃ

> 「どう見ているか」ですと、「自分は」がほのめかされるようでもあり、また、五蘊を語る体系でも対処できるので、哲学的だと見えるのかも。
> 「自分は」と採ると、我(アートマン)の哲学。
> 「五蘊」を想定すると、無我(アナートマン)の哲学。

インド人のアートマンって
「お前は見られている」の宗教寄りじゃないですかね。
アナートマンの方はその反動で過剰に分析的で科学寄り。

> 「どう見ているか」

空なりと観ぜよ、無常なりと観ぜよ、苦なりと観ぜよ
日本語は主語が空白になるのがいいですね。
欧米人やインド人に比べて自我意識が希薄でいい感じ。
そもそもインド人の極論に日本人が付き合う義理はないです。

> 「お前は見られている」いうより、摂取不捨(すくい取って捨てないわ)の阿弥陀仏。
> 阿弥陀仏の眼になったことはないけれど、阿弥陀仏は「誰も」見てないかもしれないな、という気がする今日この頃。声(心の声も)だけ聞いてる? なんまいだ、なんまいだの声。

旧約聖書を読むとこんな神さまはおらいやだぁとなりますが、
阿弥陀様はもうそこいらへんの人間の理想にも近くて
すばらしい。

日本が一神教の惨禍から逃れられているのは
ひとつにはもっと洗練された救済型宗教があったからですかね。

ヤハウェと阿弥陀様の二者択一ならそりゃ後者でしょ。

よいっしょ!

[10659] Re:[10657]  アマサン  アマチャン アマ チュア   投稿者:えび天サンバ 投稿日:2018/04/15(Sun) 00:29   [返信]
> “ 寺 ” というところに 違う “名称” を入れ
> 注意深く 論を運ぶと
> 見方 という 塵に 埋もれているのが分かる

天台の尼さんのことは知らないが、例えば“寺”のかわりに
自己を入れてみよう。

ま、わたし的には自我と自己の二つの言葉の持つコンテキストには興味があるな。思い浮かぶのは宮元氏の話だったりもするが。。

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