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[10821] Re:[10817]    唯識     投稿者:PL 投稿日:2018/07/31(Tue) 06:22   [返信]
莓箭毒蛙さま、pocketさま、こんにちは。

> 大学の先生が自分の概論書を読むだけの講義をしているようですので歴史的事実としては疑問が残ります。

なるほどなぁ…

文献学的に説かれているから明らかだ、では納得できないのは、私も同じタイプなので、よくわかります。

これから仏教学者に求められるのは、ブッダが文献学的に、それを語ったかどうかだけではなく、そういう語りを可能にするブッダの論理を、はっきりと示すことでしょうね。エム先生のように。



今回の話題も、ちょうど、エム先生の、以下の回答がぴったりな気がしますが、いかがでしょう。

>>> 考えてみれば、いくら微細に分析しようと、それが人間存在の役に立たなければ、分析する意味はないわけで、そういう意味からも、知識は、我々にとって役立つように分類される一種の「仮説」である、ということができます。それを、ブッダはよく知っているのだろうと思っています。

結局、四元素が事実であるかどうかが問題なのではなく、それを喩えとしてブッダが説いたということ、そのことによって弟子たちが利益されること…という、ここが大事なのかな〜っと。


そういう意味では、ブッダが四元素を説いたのも、なにかを説いていると見せかけて、莓箭毒蛙さまのいうところの、プラグマティックでストイックな姿勢、真摯な態度がそこに示されているととっても、矛盾はでないように見えます。語りではなく、姿勢、態度ですよね。


ここを、姿勢や真摯な態度ではなく、事実がどうかということで言葉を実体視してしまうと、むしろプラグマティックではなくなり、先生もいってますが、原爆で人が死んだりしてしまうのかなーっと。

[10820] Re:[10818] 諸注意 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/07/31(Tue) 06:15   [返信]

“わたし” と 文脈を綴って
“たわし” と 入れ替えても
たわしから離れることは出来ない

わたしは仮称だから 、、、、

どう消化を ヨクして 苦痴 に 運び 
四食の代わりとする
     ( ソンナコトデ ドウ シヨウ カ 、、、、  )
     ( ヒトゴトと聞くとドウショウモナイ )
     ( 自分事なら ドウニカシヨウ   ) 

ドウ  ショウモナイ  ?

消化(ガイカナルかを)キカン


じっくり読めば よく噛みしめる
急ぐと 回る
回ると 日常に戻る  、、、、

どういう 日常かを キカン キ ?  ( 自らに問う )


あなたの生 だから
わたしの生を わたしが どうにかできる

どうする抗する言う前に 抗いを捨ててごらん 、、、、

あなたの生に抗いがあるなら
わたしの生にあるかどうかはまだ決まってはいない

わたしの生にあろうと
あなたが認めて あなたのモノとする 、、、、


どうしてたかを 省みる時
学而 4   三省 が あり
Su.77  鋤棒 を 手にしている

三省 を 三つと読む
一つの事を “VI” できなくて 三つにどう至る 、、、、
「 伝不習 」 ( 自ら作り出すモノが 顛倒です )

チャクチャクト伝わるモノを 身に受けるから
釈家があり 嫡流があり
繰り返し繰り返し 開き閉じるモノが起きる 、、、、


[10819] Re:[10818] 諸注意←「暑中お見舞い」 投稿者:おちゃらけ 投稿日:2018/07/31(Tue) 02:08   [返信]
すんません、ひとりで受けちゃいました

「暑中お見舞い」ってタイトルに入れよとして「しょ・・」と入力したら変換候補の選択違いでこんなタイトルになってしまいました

熱帯夜のせいです
パソコンのせいです

[10818] 諸注意 投稿者:おちゃらけ 投稿日:2018/07/31(Tue) 02:00   [返信]
フト、この偈が浮かんできました・・・

Kenassu nIyati loko, kenassu parikassati?

(上と違うお経ですが浮かんで来たレスポンス)
AkkheyyasaJJino sattA, akkheyyasmiM patiTThitA
AkkheyyaJca pariJJAya, akkhAtAraM na maJJati
TaJhi tassa na hotIti, yena naM vajjA na tassa atthi

「語るわたし」は「このわたし」じゃないよと「そのわたし」は主張します(わたし作)

たわしにみえてきた・・・(わたしじゃないからあなたのせい)

[10817] Re:[10816]    唯識     投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/07/31(Tue) 01:21   [返信]
> 仰りたいことを推測すると「プラグマティックでストイック」だと自分が判断した『カーラーマ経』や『箭喩経』だけがゴータマ・ブッダの真説であって、他の現代科学で説明できない教えを含む経典はほぼ完全に後代の捏造あるいは改変である、

『箭喩経』はエッセンスだと思いますよ。
経の元になった対話は歴史的事実としてあったと思います。
もちろんお経を長くするためにいろいろ増やしているところはあると思います。

それに対して今回該当の部分はどうでしょう。
整った分類の羅列ですが歴史的事実としてはどうでしょうか?
他所ではサーリプッタ尊者も似たような分類の羅列をされます。
大学の先生が自分の概論書を読むだけの講義をしているようですので歴史的事実としては疑問が残ります。

[10816] Re:[10814]    唯識     投稿者:pocket 投稿日:2018/07/30(Mon) 22:43   [返信]
> > ではゴータマ・ブッダの何を信じるのですか?
>
> プラグマティックでストイックな姿勢です。
> 弟子に対する真摯な態度。

別に莓箭毒蛙さんの考えるゴータマ・ブッダ像を質問したのではないですけど

仰りたいことを推測すると「プラグマティックでストイック」だと自分が判断した『カーラーマ経』や『箭喩経』だけがゴータマ・ブッダの真説であって、他の現代科学で説明できない教えを含む経典はほぼ完全に後代の捏造あるいは改変である、
ということですかね?

個人の信仰として何を信じようと勝手ですが、
根拠もなしに文献学的事実であるかのように語るなら、強引な牽強付会もいいところでしょうね。

[10815] 仏教と仏教学 投稿者:o 投稿日:2018/07/30(Mon) 21:27   [返信]
仏教はたぶん受け手というか、信者が苦を無くす教えと取って、それを行じ苦がなくなるなら、どんな道でもいいんじゃないかと思ってきました。
数年行じても苦が無くならないなら、間違っていると思った方がいいですが。

しかし、仏教学、文献学だと、それでは通らないでしょう。
例えば、シュミットハウゼンは、仏教の前提に輪廻と業因果は認めなければならないみたいなこと言ってますが、
これは文献学に立つなら、輪廻と業因果を認めないような学者は文献の読みができないか、文献以外の前提を読み込んでいることになって信用できない学者になります。

この典型が日本では清沢満之と和辻哲郎に見られます。
清沢は廃仏毀釈期にあって方便としてプロテスタント化したようだし、信者としての説き方に見えますから、ありかもしれません。
ですが、和辻はないでしょう。あれは始めから自分語りのネタ拾いにしか思えません。

もちろん、信仰として輪廻と業因果は認めない道もあるという意味ですが、和辻はそうではないでしょう。学に拘ってますし。

[10814] Re:[10812]    唯識     投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/07/30(Mon) 20:53   [返信]
> ではゴータマ・ブッダの何を信じるのですか?

プラグマティックでストイックな姿勢です。
弟子に対する真摯な態度。

[10813] Re:[10812]    唯識     投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/07/30(Mon) 20:22   [返信]

> ではゴータマ・ブッダの何を信じるのですか?

あなたは何を信じて 行いの指針としていますか

行いの指針は
行いに顕われることが そのことそのもの です
あなたが “信じて” 選ぶことが、
あなたの行いのすべてです

何々を信じているという “お題目” ではありません
何をしているかが 選択の末の行いです
“ 分かっちゃいるけど やってられない ” で すませますか ?

> > 蛙的には四元素説にはきちんと疑問をもって盲従せず
> > 否定も肯定もしない態度の人がいいですね。
> > 当然みずからは積極的に語らない。

行いは 雄弁です
(行いを)聞く ということと、 食べる ということとが
乖離すると
四食 は 得られません

> テクストを離れて、解釈を持ち込むならそれなりの妥当性を示さなければなりません。

解釈は 常に テキストを離れています
離れていない  ということが
( テキスト を 作る者においても 顛倒です )

解釈なしで 読むということは起き得ません

> 科学に反するからブッダは説かなかった、というのは
> テクストに誠実な読みではなく、自分の信念体系をブッダに仮託しているだけですね。
> どうしてそこまで、ゴータマ・ブッダの威光を借りようとするのか理解に苦しみます?アジタ・ケーサカンバリンではダメなのですか

あなたは 誠実に読んで
その読みに従って 不誠実な日常を送っていませんか ?

そうではなければ
あなたが 信じるに値する人となります

信じるに値しない人の言うことを
信じることは 顛倒ではないですか ?


ここにおいて 言葉は仮称  ということが
意味を持ちます

意味を持つ  ということが
  仮称だから 、、、、
 
あなたはこれを読んでも
何とも思わないどころか
自ら見る指針ともしない


[10812] Re:[10810]    唯識     投稿者:pocket 投稿日:2018/07/30(Mon) 17:18   [返信]
> 経典に書いてあったら丸々信じるというのは、
> コーランやバイブルの信仰と変わらないじゃないですか

ではゴータマ・ブッダの何を信じるのですか?

> もうバラモン種の比丘たち大成功って感じです。
>
> 蛙的には四元素説にはきちんと疑問をもって盲従せず
> 否定も肯定もしない態度の人がいいですね。
> 当然みずからは積極的に語らない。

テクストを離れて、解釈を持ち込むならそれなりの妥当性を示さなければなりません。

科学に反するからブッダは説かなかった、というのは
テクストに誠実な読みではなく、自分の信念体系をブッダに仮託しているだけですね。
どうしてそこまで、ゴータマ・ブッダの威光を借りようとするのか理解に苦しみます?アジタ・ケーサカンバリンではダメなのですか

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