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[10434] Re:[10433] 『十二門論』における論法の用語をめぐって の UPありがとうございます。 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/10/10(Tue) 00:06   [返信]


> >   “ 同じ根拠 の 成立を構成する構造 ”  
>      他者のために『中論』が書かれていることが、はっきりしてきましたね。

誰のために書かれたか を
はっきりさせるために
>   はっきりしてきましたね。
と 確認していますか ?

わたし (というものが存在するという仮定で) は
誰かの為に書かれたとは しません

自らの為に 書いた  と  はっきり理解します

わたし  と あなた  との  差異を 規定してください

エルンスト・マッハ は 
    自己を 他と区別 する点は 自らが 自らの体に触れると
    他の物体に触れる時と 違う感覚を観察できる  ( 「認識の分析」 法政大学出版局 6p. )
としています

感覚 は 熟達すれば 想念にも 適用可能です 、、、、

・ 

[10433] Re:[10431] 『十二門論』における論法の用語をめぐって の UPありがとうございます。 投稿者:管理人エム 投稿日:2017/10/07(Sat) 10:35   [返信]
> > >論争の中で反駁を行うとき、空性をもちだして語る人は、何ものをも反駁できていないのであって、ただ成立すべきものに等しいものが生じているだけである。
> > >論証の中で非難を行うとき、空性をもちだして語る人は、何ものも非難できていないのであって、ただ成立すべきものに等しいものが生じているだけである。
>
> その事が成り立つなら、
> それに反する ことも  
> “ 同じ根拠 の 成立を構成する構造 ” によって 成り立つ ( 縁起に類する )
> それは「 空性 」 を 持ち出すことになります


「空性」ということについては、この文章に集約されていますね。


> そういう仕組みを知って、 空性に関わる 成立すべきものに等しいものを “生じ” させているとき
> 生滅(無常) の 縁起   は そこにおいては 成り立たない
>
> 反駁 と 非難   は  “  (その語を使う人の)訳  ” における
>  用語 であって
> その用語    は  「名称」 であることを 知って
>  思考の上に 乗せることが
>  “ 同じ根拠 の 成立を構成する構造 ”  を 知ることになります


そうなんですよね。
「反駁」と「非難」は、チャラカの「論議道」から採った言葉です。ここに対機して語っていることが分かります。

>  “ 同じ根拠 の 成立を構成する構造 ”  

他者のために『中論』が書かれていることが、はっきりしてきましたね。

[10432] Re:[10430] 『十二門論』における論法の用語をめぐって の UPありがとうございます。 投稿者:管理人エム 投稿日:2017/10/07(Sat) 10:26   [返信]

> 『十二門論』は、全く読んだことがないのですが、UPされた、論文をみて思ったこと。
>
> 方便心論、ヴァイダルヤの頃は、【過時語】などといって、いきがっていたのに、
> いまは、
>
> >論争の中で反駁を行うとき、空性をもちだして語る人は、何ものをも反駁できていないのであって、ただ成立すべきものに等しいものが生じているだけである。
> >論証の中で非難を行うとき、空性をもちだして語る人は、何ものも非難できていないのであって、ただ成立すべきものに等しいものが生じているだけである。
>
> こんなことをいえるようになったんだね。
> 成長したね、おかあさん(?)うれしいよ。
>
> などという観想を持ってしまいましたw

ありがとうございますww
二つにしてみましたwウフッ

じつは、「こんなこと」は、『ブッダと龍樹の論理学』のころから言ってるのよ、おかあさんはね。

何でしょうね。。やはり、【過時語】などのように、時をかけて、こういうものを過ぎていかないと語れないものがある、ということかと。

『ブッダと龍樹の論理学』を書いたとき、(時代の趨勢より)ちょっと先取りしたかなと思いました。たぶん、龍樹の論調の「ここ」(=空性)までは追いついていかないだろう、という感覚があったのですが、今や『十二門論』にいたって、だいぶ浸透してくるだろうという感触があります。

無宗ださまに、

> 成長したね、おかあさん(?)うれしいよ。

こう言われているくらいですもん、やったぜ!イェィ〜 v(^^)!

[10431] Re:[10430] 『十二門論』における論法の用語をめぐって の UPありがとうございます。 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/10/06(Fri) 11:11   [返信]

独白調  に関わります

論争 しようとするのではなく
断定しようとするとき、
独白   と 言い替えること も でき
御宣託  と  宮本氏 は  センタク します

> >論争の中で反駁を行うとき、空性をもちだして語る人は、何ものをも反駁できていないのであって、ただ成立すべきものに等しいものが生じているだけである。
> >論証の中で非難を行うとき、空性をもちだして語る人は、何ものも非難できていないのであって、ただ成立すべきものに等しいものが生じているだけである。

その事が成り立つなら、
それに反する ことも  
“ 同じ根拠 の 成立を構成する構造 ” によって 成り立つ ( 縁起に類する )
それは「 空性 」 を 持ち出すことになります

そういう仕組みを知って、 空性に関わる 成立すべきものに等しいものを “生じ” させているとき
生滅(無常) の 縁起   は そこにおいては 成り立たない

反駁 と 非難   は  “  (その語を使う人の)訳  ” における
 用語 であって
その用語    は  「名称」 であることを 知って
 思考の上に 乗せることが
 “ 同じ根拠 の 成立を構成する構造 ”  を 知ることになります

「 中論 」 とあるから 論じている  と 短絡するのは 自己 過信です
アナタ(?) に 論じているのではなく
(受ける)菩薩に 論を起こす (龍樹)菩薩の 所行です

アナタ ( 貴方・彼方 )に 菩薩があれば コナタ(龍樹) に 菩薩が 存立して
ナタ でもってして 煩悩を 断ち切る


菩薩が 仮に いないとするなら  どこにも論は 存在しないが
論争を起こすことは どこにおいてもできる ことです

( 形而上 の 組み立てですから 分かりにくい文章 となりますが
     しっかり と 読み取れば “ 御宣託 ” では なくなります  )


[10430] Re:[10429] 『十二門論』における論法の用語をめぐって の UPありがとうございます。 投稿者:無宗だ 投稿日:2017/10/06(Fri) 07:34   [返信]
管理人エムさま、レスありがとうございます。

> 『廻諍論』は、大した内容だと、あらためて思いました。
>
> 『十二門論』が想定している読者は、空を説いていますが、仏教が相手ではなく、ニヤーヤ学派のアクシャパーダとかチャラカとか、そういう人じゃないかと思わせられます。

『十二門論』は、全く読んだことがないのですが、UPされた、論文をみて思ったこと。

方便心論、ヴァイダルヤの頃は、【過時語】などといって、いきがっていたのに、
いまは、

>論争の中で反駁を行うとき、空性をもちだして語る人は、何ものをも反駁できていないのであって、ただ成立すべきものに等しいものが生じているだけである。
>論証の中で非難を行うとき、空性をもちだして語る人は、何ものも非難できていないのであって、ただ成立すべきものに等しいものが生じているだけである。

こんなことをいえるようになったんだね。
成長したね、おかあさん(?)うれしいよ。

などという観想を持ってしまいましたw

[10429] Re:[10428] 『十二門論』における論法の用語をめぐって の UPありがとうございます。 投稿者:管理人エム 投稿日:2017/10/03(Tue) 05:34   [返信]
無宗ださま おひさの書き込み、ありがとうございます。

> 『十二門論』における論法の用語をめぐって の UPありがとうございます。
>
> 廻諍論[63]の理解には、ずっともやもやしたものがくすぶっていましたが、ようやくすっきりしました。
> 美しい!!

お、ありがとうございます。
『廻諍論』は、大した内容だと、あらためて思いました。

『十二門論』が想定している読者は、空を説いていますが、仏教が相手ではなく、ニヤーヤ学派のアクシャパーダとかチャラカとか、そういう人じゃないかと思わせられます。

この書は、龍樹にはっきりと対抗できる相当な猛者(外教徒)を相手にしているのだなと実感します。
『方便心論』の「相応品」の最後の「不生」というところと、『十二門論』の最後の「不生」が重なるように、意識されている感じがします。

あらためてすごい論争が起こっていたんだなと、鳥肌が立ちますね。

> [2]のUPも楽しみにしております。ご自愛を

こちらも頑張ります。

[10428] 『十二門論』における論法の用語をめぐって の UPありがとうございます。 投稿者:無宗だ 投稿日:2017/10/01(Sun) 17:31   [返信]
管理人エムさま
『十二門論』における論法の用語をめぐって の UPありがとうございます。

廻諍論[63]の理解には、ずっともやもやしたものがくすぶっていましたが、ようやくすっきりしました。
美しい!!

[2]のUPも楽しみにしております。ご自愛を

[10427] Re:[10426]   10406 ・ 10407削除分   投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/10/01(Sun) 10:47   [返信]

> これを削除したのですか。

なければ 読まない人に は  必要  としたわけです

読んだ人にも やはり “ 不要 ” だと
せざるを得ないこと  が   起きました

要不要 は 時に起きる

あなたが ( 理を )起こせば 削除は 起きていない

> いつも     素直に語ってくれればいい。

素直か    素直でないかを
あなたが  “素直” に 判断する

基本的に 素直の基準が あなたにあるわけです

( こういうことを あなたが 素直に受け入れることができないから 揀択を起こす )


[10426] Re:[10419]   10406 ・ 10407削除分   投稿者:pocket 投稿日:2017/10/01(Sun) 01:54   [返信]
これを削除したのですか。

これは春間さまの信仰告白といってもいいのではないですか。

自分をあからさまに出すことを躊躇われたのでしょうか?

興味深いです。

いつもこれくらい、素直に語ってくれればいいのに・・・なんて。


> 生きている  ということは  確かめるまでもない( こととされて 検証でさえ 別の階梯で起きさせられる )
>
> 「生」 が あるから  「死」 が  (現前に)あるが ( 「生」 のみを 現前のこととする )
>   それを見なければ 「 死 」 という 意味は わからず
> 縁起する 「 生 」 も 確かめられていない
>
> どう生きているか が  死んでいないこと と  重なる
>



> > > 「 信 」  とは 「真」 そのモノであり  「仏陀」 とも呼びます
>
> 仏陀  は 永遠 の 生  にあり
> 死んでいるモノ には 生  が ない
>
> たとえ 物  であろうと  見るという 行いの意味は 見ることの前に 存在している
>
> ただし 「 唯 見 」  「 揀択 」  というときは
> 「 揀択 」 を  見つめる( 慚ることを 自らを 鋤棒 に ユーガする  縄とする ) 永遠の生にある
>
> ・

[10424] Re:[10423] 文明の衝突と宗教戦争 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/30(Sat) 09:43   [返信]

>  結局、宗教は宗教でイスラムも仏教も似たようなものなんでしょうかね。

そういう 宗教というカテゴリー で
      宗教内 の  考え方の構造  を
      仏教内 に  対して とると
オーム真理教  も   マゴウことナキ  仏教( 内の 仏教 )
  となります

仏教  とは 釈迦牟尼の (如来に起きる)  説くこと(を聞くこと) です


聞き方によって 変わるのではなく
聞き方が 語られた事 “そのモノ” = 如実 で 自性を持つ 真理  です
( 想像 や 推測 は  想像であり推測である  如実な自性=自我 に起きる事です )
( 如実・自性      実在  が ないということを
     釈迦牟尼 は 瞑想を通して 知ったわけです= 如実智 )

二つの 括弧内の ことが   二律(背反)しないことを
 瞑想で   智 られ ます

知るまでは 智る こと  は 存在 事(モノ) ではない


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