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[11801]   気付き    投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/11/15(Fri) 09:06   [返信]

気が付かないときには どうしようもない
気付こうとはしない ( ≠ 気付かない ) のだから
しかし
気付いた時 = 気付くことが出来ている時  には
“ 不味いモノ ” を 食べなければ 、、、、

美味しいモノ が ある限り、
それを 目の前にして、
人は 自らの無力を知る
知って、 打ち負かされるのか
知って  酷睡 から 起きるのか
(   「 痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。 」  )
(   「 哀れなる哉、哀れなる哉、長眠の子。 」       )

わたし は 哀れむ者 ではなく、 哀れみ を 受け入れる者 


[11800]  「 行住坐臥」 すべて 「 禅 」   投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/11/11(Mon) 07:45   [返信]

どのような 一つの言葉 に対しても
人にそれがある時
 「 行 」 は 積み重なっていて、 
人は、 さらに 思いを積み重ねていく

「 無明 」 は 一つの言葉を起こすときに 起きる

“ 言葉は 寂滅している ”

起こす思いが、  「 縁起 」 に 立ち上がる

「 定 」 にある時には
“ 言葉は 寂滅している ” と “分かる” のです
(  “分かる”  という言が 思いを起こす 、、、、 )


どのように言葉をつづけようと、
「 定 」 にある時  には  寂滅している



[11799] Re:[11798]  佐保田鶴治   投稿者:管理人エム 投稿日:2019/10/18(Fri) 10:21   [返信]
> 鶴ジー の 「 ウパニシャッド 」 を 読み返しています
>
> ヨーガ を 修したものの 足下には 修したヨーガ が あります
>
>
>
> どのような 「 洲 」 に ありますか ?

平成7年の新装版第8刷ですが、大きな落丁か乱丁か分かりませんが、混乱があります。

信じて読んでいましたが、何かおかしいなと思ったら、いろいろおかしいです。

・p.50   後ろから二行目。「 〔七〕「父上、もっと重要なことを教えて下さい」 」

この〔七〕の字の直後に、欠落があります。つまり、六・八・七という部分の前半が欠落しています。
    また、六・八・六 の最後の部分も欠落しています。

・p.143 「二つの境地を往反する神人」以下の個所は、〔一五〕という番号がふられているとおり、四・三・一五の個所なので、p.143後ろから5行目からp.144,5行目までは、p.139の〔一四〕とある文章の後ろに投入されます。

・p.148の10行目までは、四・四・七にあたりますが、
次の行が、〔二二〕とあって、ここは、四・四・二二の内容になっています。
つまり、間が抜けて飛んでいるのです。
 
節が飛んでいると、それでも変だなと思いますが、節の中の前半が抜けていたり、部分的に抜けていると、ちょっとお手上げです。

佐保田先生が亡くなった後にでも出されたのかしら、とか、いろいろ憶測してしまいます。
さすがにご本人なら、これを出版しないと思うので。どういうことなんだろうと思っています。

ということで、鶴ジーの『ウパニシャッド』は、読めるところもあるのですが、?のつくところもあります。

想像するに、原稿もらった人が、風で原稿飛ばしてしまって、急いでかき集めて、これで良いか、って並べたのかな、なんて。。。そんな感じ。
まあ、鶴ジーだから、風で飛んでも、それなりに価値あり、ってことかなぁ。

[11798]  佐保田鶴治   投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/10/16(Wed) 09:54   [返信]
鶴ジー の 「 ウパニシャッド 」 を 読み返しています

ヨーガ を 修したものの 足下には 修したヨーガ が あります



どのような 「 洲 」 に ありますか ?



[11797]  天龍寺 滴水 投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/10/16(Wed) 09:47   [返信]
WIKI

儀山善来に一喝をくらった。『一滴の水をも活かせ、
一滴の水を無駄にすることこそ殺生なり』と叱責
その思いが、遷化の時の次の遺偈になる
『曹源一滴 七十余年 受用不尽 蓋地蓋天』


一滴ではなく
たくさんの ミズ(見ず)が 手桶にある

テンテキ( 天敵・十滴 )は 眼前の眼後 に ある


[11796] Re:[11794] 声聞 投稿者:spinobuddhist 投稿日:2019/10/16(Wed) 07:59   [返信]
山から下りてきた縁覚の托鉢を覆す前世の釈迦牟尼(菩薩)。
何も言わず山に帰っていく縁覚。
縁覚と菩薩が交差する、これもエピソード=生き様である。
このエピソードが意味のある者にとってのみ、縁覚も菩薩も意味をもつ。

生き様が空である。言葉はついに空となったことはない。

[11795] Re:[11794] 声聞 投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/10/16(Wed) 07:59   [返信]
> > ここからしみじみと考えると、仏教って、ある意味、エピソードなんだなあ、って思います。
> > エピソードを受けとめられないと、言葉に意味が出てこないんだわよ。

エピソード だと 知る人の言葉ですから
エピソード を 辿ることが出来る

> 縁覚も菩薩も「生き様」=エピソードだから、意味がある人間にとってのみ意味がある。
> 意味がないと思う者は単に自分の生き様を生きれば良い。

常不軽 菩薩  は 軽んじない
軽んじる  という 言葉のエピソード  には   「 縁起 」 が 起きている

> >  これを「空」という。

空 は 空ではない  ということを言っているけれど 、、、、
聞きようは、 聞く者の道に起きる

>   言葉は空ではない。言葉を空じても空とはならない。

「 空 」  を知らぬ者には 「 空 」 はない
言葉を空じても空となる


[11794] Re:[11792] 声聞 投稿者:spinobuddhist 投稿日:2019/10/16(Wed) 07:48   [返信]
> 声聞も、縁覚も、菩薩も、意味だけを知りたがる人がいろいろ言うのかもしれません。分類名だと思っている人が、何かを言うのかも。
>
> ここからしみじみと考えると、仏教って、ある意味、エピソードなんだなあ、って思います。
> エピソードを受けとめられないと、言葉に意味が出てこないんだわよ。
>

縁覚も菩薩も「生き様」=エピソードだから、意味がある人間にとってのみ意味がある。
意味がないと思う者は単に自分の生き様を生きれば良い。

>
> これを「空」という。

言葉は空ではない。言葉を空じても空とはならない。

[11793] Re:[11792] 声聞 投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/10/16(Wed) 06:55   [返信]

> 講義をしてたら、「そんなエピソードはいいから、言葉の意味を教えてください。例えば、梵天勧請とか解脱とか。」と、要望がありました。

エピソード は 自分で作りたい
と 思えば、
要望の意味も 変わって聞こえます

ただし、
あなたの記述の エピソード は 「 要望 」 に 集約されているけれど 、、、、

「要望」  の エピソード は
記述の仕方で、 拘束される 、、、、

> こんなことが知りたいんか、って聞きたくなります。

「 こんなことが知りたいんか、って 」 聞いたか どうか を、 聞きたい

聞けなかったでしょう ?

ただ、 「梵天勧請」 の 意味を エピソードから 述べればよい

そうすれば、 二度目と、 三度目 の 道が起きる

( 五たび 旅 を 繰り返す 、、、 )

> ここからしみじみと考えると、仏教って、ある意味、エピソードなんだなあ、って思います。

言葉は、 すべて エピソード  です

> エピソードを受けとめられないと、言葉に意味が出てこないんだわよ。

受け止めようで、 意味が決まります

「 解脱 」  釈迦牟尼が 苦行を経て、至りたる 安寧の境地
( 例えば、 安寧  って どういう意味 ? )

> これを「空」という。

そのように  教えて あげること は、 出来ましたか ?


人には それぞれの 状況があります

その全部に 応えられるように 牟尼は 説きます

瓦礫 を 投げつけられても、 説くこと は 自分に聞こえます ( 常不軽 )
“行ない=行”  は いつも 自分の道 に ( 他によって起こされて ) 起きている



どのように 共有しているかを 聞かせていただきました 、、、、



[11792] Re:[11791] 声聞 投稿者:管理人エム 投稿日:2019/10/16(Wed) 06:24   [返信]
> 声聞・縁覚・菩薩という分類について慎重な人が善友ですな。
> 釈迦牟尼の言葉かどうか慎重に考える人が善友。

講義をしてたら、「そんなエピソードはいいから、言葉の意味を教えてください。例えば、梵天勧請とか解脱とか。」と、要望がありました。

梵天勧請   梵天のお願い
解脱     解き脱すること(そのまんまじゃ)。解き放たれて自由になること。

こんなことが知りたいんか、って聞きたくなります。
声聞も、縁覚も、菩薩も、意味だけを知りたがる人がいろいろ言うのかもしれません。分類名だと思っている人が、何かを言うのかも。

ここからしみじみと考えると、仏教って、ある意味、エピソードなんだなあ、って思います。
エピソードを受けとめられないと、言葉に意味が出てこないんだわよ。


これを「空」という。

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