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[9997] 暴流をわたる  投稿者:管理人エム 投稿日:2016/12/29(Thu) 10:31   [返信]
> 受け入れがたい 他人の行動に対する 自らの基準は 
> “ 真直ぐ ” 釈迦牟尼(から)の 真直ぐ か ?

「受け入れがたい」 と かならず そこで、滞りますね。

受け入れてみると 自らの基準が 真っ直ぐになりますね。

あれ、受け入れられる。。

と、気づくとき 滞るものはなく 流れていける


流れるものは、どんなに曲がって進んでいっても 進むものには 真っ直ぐだな、って感じる


たしかに曲がり角ではぶつかるけど、超えていければ彼岸は近い。

[9996]  ひねくれ 曲がり者 より   投稿者:  春間 則廣   投稿日:2016/12/29(Thu) 09:41   [返信]

よくよく  考えてほしいのです
( 考えたいということです )

“ ヨク ” とは 善く  か 欲 か それとも
ヨク を ヨク してか 、、、、

真直ぐが 何故良くて 曲がっていると 何故良くないか を 、、、、

真直ぐを基準とするとき
曲がっていることは 基準に沿わないことになる

なぜ ぶつかり合って 生きてはいけないのか ?

滞ることに どういう 滞ること以外に 障害が起こるか ?
障害が起きて 滞りなくできないことが 何故良くないのか ?

真直ぐを基準とするから
沿わないことlは起きる

釈迦牟尼 は 真直ぐとはなにかを 見せるけれど
見る者に 沿わない見方があるのではないか ?
沿っている時 真直ぐとは 何処にあるのか ?

ある“ところ”は 沿わない“ところ”
そこは 釈迦牟尼 に あるのか ?

ムニ とは 唯一 に あるのではないか ?
唯一は二つの見方があるときに一つに起きて二つを縁起とする

受け入れがたい 他人の行動に対する 自らの基準は 
“ 真直ぐ ” 釈迦牟尼(から)の 真直ぐ か ?

思い違いの人生において 真直ぐとは 如何に認識されるか ?


まっすぐ考えてみる 、、、、、


[9995] Re:[9994]    論理  を はき違えると 先端の カーブに沿わない   投稿者:  春間 則廣   投稿日:2016/12/19(Mon) 08:59   [返信]

>  これは?
>  できないのではなく、したくないのではなく、してもいます

出来てはないことを 指摘されていても
出来ていることを 主張しています

して も いる
して も いない
>   春間さまも、「大きく乗らなきゃ」と、ノってくれている(?)
“ も ” が 同じ理論の組み方の上で 使われています

出来てはいないだろう と “も” を 存在させる
どちらも かけがいのない 人の生に起きる 歩みです
「 願 」 が なければ 価値ということは 起きない
価値 と “ねがい” を 顛倒するから
ひとの “ねがい” は 安楽にある  ということを 
安直に 顛倒する
聖者は 楽であることに 困難を見出す 、、、、


こんなにしているぞ !
「 あんなにしている ! 」    賞賛が欲しければ 金持ちになりなさい
( ひとは 金をうらやむ  金を恨む  恨む心を 守り持ち続ける 、、、、 )


襟元の チンターマニ は
 白く澄んで 白蓮の蕾の如く 机の上に 存在を示す 、、、、


************

ひも理論  というモノを知っていますか


あらゆる 位置において マキ揚がる “局面”が起きている モノの見方です

何度も  衛藤即応  を 引いていることを 見逃す 、、、、
( 見ていても 生きざまを見逃す )

二つとも 自らに起きる 自らの 大事な “局面”  であれば
( ほんの僅かで 見出すのも困難なことでも 「 毫釐も差有れば 天地懸に隔たる 」 )
と 知って 対処するのです 

繕いきれないほどの 大きな穴であろうと
 何処にでも まくれ上がる局面があり
局面と局面は 心中側近 にあり 
容易に その端を 繋ぐことができ
繋ぐことを重ねることにより
穴はふさがっていく 、、、、、

繕う必要がない 平らかな あなたの優しさは
そのまま ほかっておいて 為されるがままにしておきなさい 、、、、
( あなたは 自らの価値を “自ら” いつでも 受け取ることができる 、、、、 )
行いを為すのは 自分 という 自我 ではなく
自分はないから 自分がしているのではなく させられて、させて戴いている
頂き物は 「願」 という 、大事とする 商量において 上におかれているから
イタダキ にあり
 真直ぐ チャクチャク と  受ける こと が “ 適 ” う

どう受けているかを 受けることをいただいて チャク量 するのです

大きくできている方を 取り上げずに
 出来ていない 蟻の穴を 堤 の 対処“点”  として 取り上げなさい
   
大事に対処しなければならない方を 取り上げなさい

出来ていることが 大事ではないというのではなく
大事にできていることであれば それは あなたにとって 普通のこととなっています

疎かにしていること、見たくないところ を 観なさい
どちらも同じであれば マズイ 方 に 自らの生きざまを 対処させなさい

普通のことと する ということです 、、、、


[9994] Re:[9993]    論理  を はき違えると 先端の カーブに沿わない   投稿者:管理人エム 投稿日:2016/12/19(Mon) 01:31   [返信]

> “唯識” が 出来ないのは したくないからです
>
> したいけれど 出来ないのではなく
> したくないから 出来るを しない  のです
> 出来るとは、 出来るを選んで (選択本願) そちらを向いて 歩を進めるということです

これは?

できないのではなく、したくないのではなく、してもいます。

[9993] Re:[9990]    論理  を はき違えると 先端の カーブに沿わない   投稿者:  春間 則廣   投稿日:2016/12/16(Fri) 13:41   [返信]

あなたの 能力的 限界近くでの 論の展開です
( 危ういところ ですが、限界を超えてはいないから、超えないように語る 、、、、 )

> > 春間さまも、「大きく乗らなきゃ」と、ノってくれている(?)
>
> 聞くからには
> (わたしに 二面性があり)二つがある
>
> 乗ってる と 乗ってはいない
>
> どっちかわからない時には、どちらでもない

あなたは 二面性を問うているようで
一面しか見えてはいない
( どちらでもない  ということは あなたは 偏に依るしかないということです )

> ここに 衛藤即応 は 唯識の学び を 教える
> どっちもあるなら、「 ない方を取りなさい 」

“唯識” が 出来ないのは したくないからです

したいけれど 出来ないのではなく
したくないから 出来るを しない  のです
出来るとは、 出来るを選んで (選択本願) そちらを向いて 歩を進めるということです

> ないのがよければ、 “ 好きにしなさい ”
> あるのを揀択するなら 揀択を起こす その “好き嫌い” を 捨てなさい
> その “ところ” は 唯一 です

「 至道無難 唯嫌 揀択 」
願を選ぶとは 揀択を捨てるということで
嫌(う) ということは 「 善哉 」 です
善哉は 善悪には乗りません

> “ そこにいれば、そこにいると分かる ”
> そこにいる時 そこにいると 知る ( 何を知るかを 教えられて知る )
> 親鸞が 知ったことです 、、、、

自分 と いう  者  は ない
ない 者 に  独自  は ない

*********
> > しかし、まきがはいになる、と見えるのは、その人の習慣的な見方で、それは、教えられてそう見てきたり、その人自身がそう見たりするものです。
>
> まあ、そう…ですね。「その人自身が」というのが、抽象的でよくわかりませんが。

子供の頃から習慣的にそう見てきた以外にも、その人自身の独自の見方で、いろいろな見方が可能になってくることを言っています。たとえば、三次元を二次元的に見たりするようなこともそうです。手前にあるものを大きく、遠くのものを小さく描いたりするような感じかな。独特の見方でしょう?
*********

習慣 も 獲得させられて 習慣となります
真理も 繰り返すことによって 真理となっていき 真理そのものとなってしまいます
繰り返さなければ 、、、、 繰り返されてはいないものは 真理ではない

瓦は 磨いても 瓦である限り(薫習に慣れ親しむうち) 鏡とはなりません
はひ は 薪とはなりませんが
はひ も 薪 も 一つの世界の 一つの表現で
顛倒 は そこに 差異を見出し 「平等」 を 離れます


あなたは 警告の意味もかねて 疑問符を 出したつもりでしょうが
その出すところを 顛倒している

わたしが 顛倒 していても
あなたが 顛倒しても

同じことですが、あなたには 違ったことと映る(写る)

だから、 「 鏡 」 です

六祖壇経 に 道元のひく 鏡があります
「 明鏡 」 など ない


[9992] Re:[9991] ブッダの優しい論理学 増補改訂版 投稿者:管理人エム 投稿日:2016/12/14(Wed) 21:28   [返信]
PLさま こんばんは。

雪の影響で、道路は渋滞、道はつるつる。
ほんとに難儀な季節です。

> 自分磨きにしても、どんどん自分を売り込んで影響力を大きくしていく、という方向性の努力の方が、世間では圧倒的にメジャーで、奨励されてますよね。ので、縁起的に生きるという形での努力というのは、はじめみたとき、ほんとうに新鮮でした。誰も傷つけないで、しかも目いっぱい力を入れる方法があったか!みたいな。
世間は、縁起的な生き方を知らない。。か。。

何となくわかるかな。自分を売り込むタイプの生き方が蔓延してくると、売り込まない生き方って、考えられなくなってくるかもしれないですね。
仏教的な思考法がないところには、いつも苦しみが多いですね。
何か、潜在的に怒りがくすぶっているような気がしてなりません

> そういうのを精進っていうのかしら。

うん!そういうのを、精進っていうんだと思います。

[9991] Re:[9989] ブッダの優しい論理学 増補改訂版 投稿者:PL 投稿日:2016/12/14(Wed) 13:18   [返信]
エム先生、おはようございます。

> あの部分は、「全然誰も質問してくれない 、って 。やむを得ませんね 。その場合は 」の部分は、筆がすべった感じで出てきたのですが、ええっと、その場合は、どうすればいいんだろ、と考えて、やっぱり自分を磨くしかないか、って、「もろ、そのまんまだ」って思いながら書きました。
> そうかぁ、新興宗教とは違ってきますか。ブッダも「怠ることなく精進しなさい」って言ってますもんね。
>
> 「遊びがないですよね」、って書きましたが、遊ばないで精進する場面ですね(笑)

自分磨きにしても、どんどん自分を売り込んで影響力を大きくしていく、という方向性の努力の方が、世間では圧倒的にメジャーで、奨励されてますよね。ので、縁起的に生きるという形での努力というのは、はじめみたとき、ほんとうに新鮮でした。誰も傷つけないで、しかも目いっぱい力を入れる方法があったか!みたいな。そういうのを精進っていうのかしら。

> わはは! 大きくノってくれましたね。 やっぱ、大乗 はええな (^_-)-☆

ええな、って、なんか先生のキャラが(笑) ほんと、大乗はいいっすね。

[9990] Re: [9989]  論理  を はき違えると 先端の カーブに沿わない   投稿者:  春間 則廣   投稿日:2016/12/14(Wed) 07:26   [返信]

> 「遊びがないですよね」、って書きましたが、遊ばないで精進する場面ですね(笑)

「 遊 」 の 意味を 知らぬわけでは ないのでしょう 、、、、
精進することを 遊ぶ  と 言います

「 遊説 」 転輪 まわって めぐって 法は 法となる

笑ってないで 真剣の 刃先の上で スベルことなく 精進しなさい

> 春間さまも、「大きく乗らなきゃ」と、ノってくれている(?)

聞くからには
(わたしに 二面性があり)二つがある

乗ってる と 乗ってはいない

どっちかわからない時には、どちらでもない

ここに 衛藤即応 は 唯識の学び を 教える
どっちもあるなら、「 ない方を取りなさい 」

ないのがよければ、 “ 好きにしなさい ”
あるのを揀択するなら 揀択を起こす その “好き嫌い” を 捨てなさい

その “ところ” は 唯一 です

“ そこにいれば、そこにいると分かる ”
そこにいる時 そこにいると 知る ( 何を知るかを 教えられて知る )
親鸞が 知ったことです 、、、、

> わはは! 大きくノってくれましたね。 やっぱ、大乗 はええな (^_-)-☆

エエ ・ アカン は  好・嫌
何が良いかは 民意に沿う
ジャンヌダルクは 人殺しであって 魔女だという民意に沿って火あぶりとなり
バチカンにおいて 聖人 と 位置される

こういうことを言うと 物議 を かもす
仏義 は ソジョウ に “ 乗せられる ”

乗せてますか ?  乗ってないモノを 、、、、
乗ってないモノを どう乗せる ?
来るものは来ず ( そんなことを 言ったものはいなかったかな ? )
乗ったモノは 何故 乗っているのですか ?
( ノア の 箱舟に つがいで乗せるのは 何故かが分かりますか ? )

二つで一つ は 「 縁起 」 なのです
「 縁起 」 は 「 法 」 であると 教えを受けています
「 法 」 とは 宇宙の成り立ち の ことです

すべての 有情は 対になって 生きる ( 単性 も そうなのです )

違うというのなら その実例を 真理に乗って 教えてください 、、、、


[9989] Re:[9986] ブッダの優しい論理学 増補改訂版 投稿者:管理人エム 投稿日:2016/12/14(Wed) 04:48   [返信]
PLさま おはようございます。

> あのフレーズですが、たとえば、新興宗教の人の勧誘が、なぜ煩わしく思えたのか、世間からもあまりよい印象を持たれていないのかの謎が溶けたような気がしたからです。また、それと比較して、ブッダの法がどのように広まるのかを、よく表しているように思えました。

なるほど、そういうことだったのですか。
と、こちらも、認識を新たにしました。
あの部分は、「全然誰も質問してくれない 、って 。やむを得ませんね 。その場合は 」の部分は、筆がすべった感じで出てきたのですが、ええっと、その場合は、どうすればいいんだろ、と考えて、やっぱり自分を磨くしかないか、って、「もろ、そのまんまだ」って思いながら書きました。
そうかぁ、新興宗教とは違ってきますか。ブッダも「怠ることなく精進しなさい」って言ってますもんね。

「遊びがないですよね」、って書きましたが、遊ばないで精進する場面ですね(笑)
春間さまも、「大きく乗らなきゃ」と、ノってくれている(?)

> けっこう、仏教を知らない友達に話してみても、ウケがいい部分でしたよ(笑) そうきたか!みたいな。

わはは! 大きくノってくれましたね。 やっぱ、大乗 はええな (^_-)-☆

[9988] Re:[9987] ブッダの優しい論理学 増補改訂版 投稿者:えび天サンバ 投稿日:2016/12/13(Tue) 20:51   [返信]
> > けっこう、仏教を知らない友達に話してみても、ウケがいい部分でしたよ(笑) そうきたか!みたいな。
> 仏教を知ってる君が 知らない者に話をするから 受けるのです
> 仏教を知らず、仏教を分かっていない わたしにも 知らないということを 規定することができる きみ が  教えてください
> 慢 が どうある かは 慢 に あると   分からない

目くそが鼻くそを笑っている。(*´∀`*)
いや、それは僕のこと〜♪(笑)

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