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[10050] Re:[10049] 遺伝子と言語 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2017/03/11(Sat) 23:27   [返信]
> 根拠(関係) を 示してください

>ウイルス学専門の崎谷満は「ハプログループDに属する人々は、日本語の文法の特徴である、SOV型の語順の言語を話していた」とする説を唱えている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)

日本語とアイヌ語はかなり違いますが、それでもSOV型。
琉球語は日本語にかなり近いSOV型。
琉球諸島は弥生系の影響はかなり小さいと思います。
ですので、縄文時代に日本列島に広がった人々の言語が日本語の文法を形作ったと思います。

チベット語もSOV型で膠着語の名残りがあるとか。

鬼界カルデラの大噴火後に、人口の減った西日本に渡来系弥生人が浸透してきましたが、言語の基本は縄文時代のものが残ったのではないかと推測してます。

>ちょうど 東海地方で 縄文と弥生が交わる

縄文人の人口密度が低かった濃尾平野まで弥生人が広がったけれども、
縄文人の人口密度の高い三河あたりでストップしたみたいですね。
弥生時代になると、殺傷された人骨の出土が格段に増える。
春秋戦国時代の争いに慣れた渡来系弥生人の影響が高まったからと説明されていますね。

[10048] 遺伝子と言語 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2017/03/11(Sat) 20:39   [返信]
人種と言語の伝播は違うと言われていますが、
古代日本語と原日本人である縄文人との関係は濃いと思います。

縄文人のハプログループDのグループは、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
ドラヴィダ系とは近縁種ではないのですよね。
チベット系と兄弟。

最終氷期(〜1万年前)の過酷な気候を赤道付近のスンダランドで耐えて、
氷河が後退した完新世に黒潮にのって北上した縄文人が
古代日本語に大きな影響を与えているのではないかなと。

天孫降臨が何故に北九州ではなくて、日向なのかというのも
黒潮にのって日本列島にやってきた縄文人の物語が
影響しているのではないでしょうか?

天皇家が縄文系か弥生系かはよくわかりませんが。

[10043] Re:[10042]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:管理人エム 投稿日:2017/03/09(Thu) 19:22   [返信]
> 「全て、あの方(神)が持っておられる。あの方に比べると、誰もが皆、気違いなんだ。
> だったら神を愛する気違いの方が良い」だったように思います。
>

『スッタニパータ』の最後から二つ目の詩を訳そうと悪戦苦闘していたら、上の文が目にとまって、感慨深く思いました。

1148 神を超えたところで了知して(アディデーヴェー アビンニャーヤ)、(師は、)一切種々の願望を知りました。
疑いをもって公言しているものたちの諸々の質問を、師(ブッダ)は終極させてくれるのです。

中村先生訳ですと

神々に関してもよく熟知して、あれこれの一切のことがらを知っておられます。
師は、疑いをいだきまた言(ことば)を立てる人々の質問を解決されます。


「アディデーヴァ」は、「神の中の最高のもの(至高神)」を指すとみてもよく、また、「神を超えているもの」としてもよいかもしれません。

ブッダは、神を超えているところで了知する、つまり、至高神をもよく知っている存在なのだから、「あの方」を超えてるということか。
こんなにはっきり書いてあるなんて。。。

[10041] Re:[10040]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/03/09(Thu) 12:03   [返信]

> 「誰もが皆、気違いなんだ。だったら神を愛する気違いの方が良い」

キチガイの元にあるときには
元は見えない

気違い の 言 

みんな キチガイ なら
だれも キチガイ ということを規定できない

良いワルイは
悪いことが 違いにあると 規定できることが  必須

ダレモ なら
ダレモ あてはまらない

[10039]  ころあい という 頃  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/03/09(Thu) 10:56   [返信]

セッソウ ガ ナイ

ソウ ジャナイ 者に 言っても
ソウ とられることはない

[10015]  真理ようと 真理まいと 真理ではなく 信自である  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/03/06(Mon) 03:02   [返信]

わかっていることに真理はありません
真理は 分かることではないのです

言い替えると
分かったことはすべて 悪趣 にある ということです

分からないところに 真理があります
真理があるところには 分かることはありません
真理 は 真理には ない

もし
わたしの言うことが分かるのなら、それは(わたしの言うことは)真理ではない
もし 分からなければ
それは(わたしの言うことは) ( 必ず! ) 真理です

真理ではないと分かったことは 真理ではない
(このことは、自分を例外とすれば、だれでもそう思うことです)
分かった対象も、真理ではなく
分かるということが起きる所在(自分の理解)も 真理にはない
( ここが 大事の 対自の 対峙する “ところ”です )

真理を分かれば 真理は 存在をなくす
あるない は あるない を 言う人にある
ある と ない とは 「縁起」 です  ( 空です )

「空」 と 分かれば それは 「空」 ではなく 「有」 です

「苦」 の 「有」 を PPAP のように続けると 「 くう うく 」 となる

分かるなら これは 真理ではない
分からないなら 真理ではないとは 言う根拠にない
もう一度繰り返します
どのように部分的であろうと、全体であろうと
分かることは真理ではない

真理が分かる 理由がない


[10014] Re:[10013] 心にしみる原始仏典 投稿者:管理人エム 投稿日:2017/02/28(Tue) 08:23   [返信]
pocketさま

パーリ語もありがとうございます。

「夜煙を出す」ってのが、わたしだなあって、思って親しみを感じます。

これは、龍樹が歩んだやり方ではないかと思ってます。
> namo karohiで「帰依しなさい」なんですね。
>
> 日本語の語感の問題かもしれませんが、私は「帰依」という言葉に信じていなかったものを新しく信仰するようになる、みたいな感じを受けました。
>
> 私なら「礼拝しなさい」と表現するかなあ

なるほど。名詞にすれば、ナマスカーラで、そのものずばりですものね。
「挨拶しなさい」とか「礼拝しなさい」とかでいいかもですね。

「帰依しなさい」だと「サラナン ガッチャティ」ということばを連想してしまうか。。

うーん。。。そうかあ。。たしかに。。

よし! pocketさまの意見を採用して、訂正しておきます。

「礼拝しなさい」を採用します。

[10013] Re:[10011] 心にしみる原始仏典 投稿者:pocket 投稿日:2017/02/28(Tue) 00:37   [返信]
ナゾナゾみたいで楽しいお経ですね!
ベリーナイスです(´・ω・`)b

こういう話だったら経典を読むのが楽しくなっちゃいますね


パーリ文も貼っておこう。著作権的にやさしいスリランカ版です

1.3.3.
Vammikasuttam.

http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/MN_I_utf8.html#pts.142

ところで
namo karohiで「帰依しなさい」なんですね。

日本語の語感の問題かもしれませんが、私は「帰依」という言葉に信じていなかったものを新しく信仰するようになる、みたいな感じを受けました。

私なら「礼拝しなさい」と表現するかなあ

[10012] 案外 案内    案内不要    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/02/27(Mon) 13:23   [返信]

わかって  そして  止める  のではなく
止める から それがわかる のでもなく

分かる と やめる  とは 同時に起きています

やめたときには 分かる対象がすでにない
( やめなければならないことが 存在しない )

自分にないのに 他にあると分かる根拠はない
自分にあれば  わかっていない

顛倒にあるとき(無明にあると)
わかれば やめることができると 思い間違う
やめることができるのなら、やめないことも選択できる

選択肢にある “内” は どちらも 「 真理 」 ではない

内外  が あるとき には  外  という  偏にある

外から見た “内外” なのです
( 外の 外にある とは 思いつかない 、、、、 )

それは 内の内 といっても 何ら変わりがない 、、、、


[10011] Re:[10010] 心にしみる原始仏典 投稿者:管理人エム 投稿日:2017/02/26(Sun) 01:50   [返信]
> 「蟻塚の喩え」(『マッジマ・ニカーヤ』第23経)を入れました。
>
> おもしろい経典ですよね。龍(ナーガ)が出てくるのがいいな!

リンクしておきますね。

http://manikana.la.coocan.jp/canon/vammika.html

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