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[11122] Re:[11120] 廓然無聖 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/10/22(Mon) 20:29   [返信]
マニカナ先生、春間様、こんばんは

> 確かに、おっしゃるとおりで。。。すみません。

野良蛙のたわごとなので流して下さい。恐縮です^^;
中村元先生も正田大観先生も二諦説から逆流して訳していらっしゃるのでみんなそうなんでしょう。
どうしてそんなに二諦説がみんな好きなのか。

>“全く清らか”  って こと  を  清らかに知りましたか ?

全く清らかではない蛙としては、まだよくわからない境地ですが、
廓然無聖の廓然がいいなぁと思います。

禅宗はなんか型にはまりすぎで興味がないのですが、
達磨さんはいいなぁ。なんかこう釈尊につながるものがあるような。

[11121] Re:[11120] 廓然無聖 ・  11118 境界 境地   投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/10/22(Mon) 08:00   [返信]

58 学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。

友と交わり “つつ” も  犀の角
友  とは  ただ独り  との いかなる関係 にあるかな  ?

************
219 世間をよく理解して、最高の真理を見、激流を超え海をわたったこのような人、束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

(Sn. 219)世間をよく了解して, 最高の真理(paramattha)を見, 激流と海とをわたったこのような人, 束縛を破って, 依存することなく, 煩悩の汚れのない人, 諸々の賢者はかれを聖者であると知る。
***********
        賢者 は 聖者  ではないが  賢者 を 聖者 と知る


> スッタニパータ68のように最高の目的=涅槃ですっきりなのに、なんで最高の「真理」になっちゃうのかなぁ
> ダンマパダ184のように「涅槃は最高!ヽ(。>∀<)ノ」って
     184  「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。
           勤勉によって苦しみをを超え、知慧によって全く清らかとなる。」
> それだけなんじゃないかと。

智慧を 得る“ところ”までは 清らかではない “境” です
   が
しからば その道にある 賢者 は 清らか か 否か ?
“全く清らか”  って こと  を  清らかに知りましたか ?

                   ****
> 涅槃って真理truthではなくて境地state,stageなんじゃないの?

涅槃  は   「 境 」 ではありません
  「 真理 」  です

「真理」 であり 「法」 です

法 を 所縁 として 認識 = 識  が 起きます

「 法をみる 時 我を見る 我を見る 時 法をみる 」

( 時  って  誰にある  モノ  で  だれの界にある ? )
( “我”  って 誰にでもある 自分自身の 五蘊の 存するところ )
( 自他不二 です )
                   ****
 
>  ここだけ禅宗

「 只管打坐 」   = 「 行住坐臥 四威儀 すべて 禅 」


[11120] Re:[11118] 廓然無聖 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/10/22(Mon) 06:45   [返信]
> > 最高の真理(paramattha)を見,
>
> スッタニパータ68のように最高の目的=涅槃ですっきりなのに、なんで最高の「真理」になっちゃうのかなぁ

確かに。。どうして、「真理」なんでしょう。うっかりしてました。

「最高義」とか、訳されることばですよね。
atthaは、事柄、目的、事象、意味、利益など多義ではありますけど、「真理」というのはお目にかかったことがありません。

そして、第一義諦(勝義諦)は、まだ涅槃そのものというわけではないですよね。
ここを通って、涅槃に行くのだから。

> ダンマパダ184のように「涅槃は最高!ヽ(。>∀<)ノ」って
> それだけなんじゃないかと。
> 涅槃って真理truthではなくて境地state,stageなんじゃないの?

確かに、おっしゃるとおりで。。。すみません。
>
> > 「如来所説」経にある、「聖ならざる」「聖なる」の語を見ていて思いました。
> > http://manikana.la.coocan.jp/canon/tathagata.html
>
> ここの対語は、アーリヤ(聖なる)⇔アナーリヤ(聖ならぬ)
> ですが、スッタニパータ219はムニ(聖者)ですよね。
> paramattha(最高の)⇔sammuti(世俗の)の対応で、
> 聖俗の二元対立に落とし込もうとしすぎなのではないかと。

「如来所説経」で、聖・凡を強調しているのは、比丘たちに向けたことばであるからだと思っていました。
世俗諦と勝義諦の区別ですと、「聖ならざる」、「聖なる」の価値は読みとれませんが、ことばの領域が同じになるのではないかと思って、そう述べたのです。

世俗諦と勝義諦という分類は、ことばを用いて議論などに向かいがちな論者に向けて語っていると思います。
比丘たちには「聖なる」と言うことばを用いたけれど、そういう見解をもつ論者たちには「聖なる」では、聞く耳をもたないので、paramatthaやsammutiという語で語っているのではないかと思います。

>
> 漢語の「聖」「俗」に引きずられすぎなんじゃないですかね。

いや、それはないです。
「顛倒」していることを、理解させようとして、こう言っているのではないかと思っていますが。
しかし、語れば語るほど、混乱して行きそうなので、このあたりでだまるダルマ。

[11119] Re:[11117] 二諦説 投稿者:えび天サンバ 投稿日:2018/10/21(Sun) 23:57   [返信]
> 凡夫に属するものは世俗諦、でも、世俗諦を通って、中道である勝義諦に行く、こうして、聖ならざるものが聖なるものへと転換して行くのではないでしょうか。

中道である勝議諦。

引用先まで全部読めていないのに書いています。
でも、
ありがたや〜

合掌

[11118] 廓然無聖 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/10/21(Sun) 20:01   [返信]
> 最高の真理(paramattha)を見,

スッタニパータ68のように最高の目的=涅槃ですっきりなのに、なんで最高の「真理」になっちゃうのかなぁ
ダンマパダ184のように「涅槃は最高!ヽ(。>∀<)ノ」って
それだけなんじゃないかと。
涅槃って真理truthではなくて境地state,stageなんじゃないの?

> 「如来所説」経にある、「聖ならざる」「聖なる」の語を見ていて思いました。
> http://manikana.la.coocan.jp/canon/tathagata.html

ここの対語は、アーリヤ(聖なる)⇔アナーリヤ(聖ならぬ)
ですが、スッタニパータ219はムニ(聖者)ですよね。
paramattha(最高の)⇔sammuti(世俗の)の対応で、
聖俗の二元対立に落とし込もうとしすぎなのではないかと。

漢語の「聖」「俗」に引きずられすぎなんじゃないですかね。
達磨さんが漢語を理解されたかどうかわかりませんが、
「廓然無聖」の方に率直に惹かれますね。
とりあえず、ここだけ禅宗でいこうと思います。

[11117] Re:[11114] 二諦説 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/10/21(Sun) 16:03   [返信]
> 二諦説は説一切有部の世俗有、勝義有からきているようですね。
>
> 説一切有部の認識論(平川彰先生)
> https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/33118
> 二諦説について(清水光幸先生)
> https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/37/2/37_2_842/_pdf
>
> 説一切有部の理論は本当になにがなんだかわかりません。
> スッタニパータ219がこんなことになっちゃうのか〜困っちゃうぅ

世間をよく了解して, 最高の真理(paramattha)を見, 激流と海とをわたったこのよ
うな人, 束縛を破って, 依存することなく, 煩悩の汚れのない人, 諸々の賢者はかれを
聖者であると知る。(Sn. 219)

コンピュータで、検索したものらしいですが、「良いかも」と思います。

というのは、二諦説は、ブッダのことばで言うと「聖ならざるもの」と「聖なるもの」を分けることばではないかと思うからです。
219にも、「かれを聖者であると知る」とあるので、第一義諦に到達したら、聖者の領域だということで、おかしくないのではないかと思います。

「如来所説」経にある、「聖ならざる」「聖なる」の語を見ていて思いました。
http://manikana.la.coocan.jp/canon/tathagata.html

凡夫に属するものは世俗諦、でも、世俗諦を通って、中道である勝義諦に行く、こうして、聖ならざるものが聖なるものへと転換して行くのではないでしょうか。

[11116] Re:[11115] 二諦説 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/10/21(Sun) 15:56   [返信]
分別説部や中観派は説一切有部のアンチテーゼなんだなというのは、
理解できるのですよね。要は論破したいと。
蛙視点ですと、ミイラ取りがミイラになった感じはしますが。

ところが、肝心の説一切有部はなんでそうなったのか理解ができません。
どうひねったらお釈迦様の言行からこんな煩瑣で難解な理論になるのか。

やっぱ輪廻を肯定しながらアートマンを否定するので
輪廻の主体は何かということで困っちゃったのはどこも同じとか。
そこで、勝義有というものに行っちゃったのかな。

法楽寺様の解説:説一切有部が主張する究極的実在
http://www.horakuji.com/treasures/sarvasthivadin_cetasika.htm

こんなんが流行っていいのか!当時のインド人!って感じです。

結局、いつの時代も輪廻の主体があってくれないと耐えられないようですよね。
苦の因の探求のためにはどうでもいい話だと思うのですが。
そっちは流行らなかったようですね。

[11115] Re:[11114] 二諦説 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/10/21(Sun) 09:54   [返信]

> 説一切有部の認識論(平川彰先生)
>   https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/33118

> 説一切有部の理論は本当になにがなんだかわかりません。

なにがなんだか わからない
と 言っているのに
たずねる のは  不適当かもしれませんが

少なくとも、 どこが 分からない始まり  かを
示すことは出来ませんか ?

倶舎 を する ( 倶舎に取り掛かる )こと自体
最低限  読み下しに 精通( 読み下しを 理解 )できなければ 難しい

倶舎を 理解できなければ  唯識 は さらに増して 難しくなる
( 倶舎での 理論操作になれないと 唯識は 論を組み立てにくい )

世一切有部 の 組み立て違いが 理解できて 倶舎が 建てられる
その建てられた 倶舎 から 唯識が起きている

しかし
唯識を 極めなければ 
     仏教は 知られことなく 理解されることがない
ということ  では  ない  
同様に
倶舎論 は 仏教の 必須ではない

しかし  “ 自らの 心を 見る ” には     
     それらに相当する  “ 繊細なる 心理状態の継続 ”    が
  “ 必須 ”  である  こと

“それ”  を  言い替えると  「  瞑想  」 と 呼ばれる


[11114] 二諦説 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/10/19(Fri) 21:36   [返信]
この掲示板に書き込むことも、このハンドルネームも苦の因の探求の道具にすぎないので、
目的を達すれば消えてなくなるので存在しないのと同じなのでご安心を。
だいぶ煮詰まってきたのでもう少しでいなくなります。


二諦説は説一切有部の世俗有、勝義有からきているようですね。

説一切有部の認識論(平川彰先生)
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/33118
二諦説について(清水光幸先生)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/37/2/37_2_842/_pdf

説一切有部の理論は本当になにがなんだかわかりません。
スッタニパータ219がこんなことになっちゃうのか〜困っちゃうぅ

[11113] Re:[11094] 二諦説 投稿者:管理人エム 投稿日:2018/10/16(Tue) 22:52   [返信]
spinobuddhistさま

> 議論をすれば、先生も私もそうだが、自分の誤りを責められて怒ったりもする。
> でもそんな人間としての愚かさを、先生も私も引き受けている。

すみません。わたしは、怒ってないです。
昔は、ムカッとしたりもしましたが(spinobuddhistさまと語るよりだいぶ以前のことです)、それは、わたしの弱点(理論上の)を突かれたりしたからです。自分が弱いところは、突かれると腹が立つものだ、ということを知って、弱点をなくすように努力してきました。だいぶ減ってきました(笑)。突かれてはじめて弱点とわかるのも、まあ、ありがたいものです。

ですから、最近は、spinobuddhistさまとの議論も含めて、腹が立ったりしたことはありません。ゼロではないかもしれませんが、腹が立つような気配を感じると、むしろ、自分の説に欠陥がある、と思うようになりました。

> 春間様とやり方は違うが同じパターンで、絶対他人に責められない安全な場所から他人を見下しているに過ぎない。
> そんな処に逃げ込んでないで、本当に議論が不要なら日和見主義者みたいな書き込みは今日限りでやめて、
> 無言行者になって真面目に修行したらどうですか。

苺屋毒蛙さまも、春間さまも、けっこう突っ込みますが、見下して、そうしているのではないと思います。
どの程度答えられるかな、と、思ってはいるかもしれませんが、そこにどれだけ食いついていけるかは、こちらの問題なので、自分の問題として、取り組む限り有効だと思っています。

つまり、関心が違うことはありますので、その異なる関心から話されると、こちらがついていけないことはあります。こちらの話の展開を押し通すか、相手の言うことを聞いて合わせるか、それはその時々ですが、自分の語りだけしか通用しないという態度はまずいと思い、なるべくさまざまな視点を学ぶようにしています。

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