Magical Board


[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]
おなまえ
Eメール
タイトル
メッセージ
参照先
削除キー (英数字で8文字以内)   クッキー保存
画像認証 (右画像の数字を入力) 投稿キー
Page: | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |

[10801] Re:[10800]    唯識     投稿者:管理人エム 投稿日:2018/07/28(Sat) 09:18   [返信]

> >『この身には、地の要素、水の要素、火の要素、風の要素が存在する』と。
> http://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn01/mn01c20.htm
>
> どうなんですかねえ。

ブッダのことばも、仮説ですから。
ブッダは、身体と心とをしっかり区別しようとしているのだな、と思っています。

[10800] Re:[10796]    唯識     投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/07/28(Sat) 00:35   [返信]
春間さま、こんばんは

> 阿含経典 には、その類いの言葉があります

>『この身には、地の要素、水の要素、火の要素、風の要素が存在する』と。
http://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn01/mn01c20.htm

どうなんですかねえ。

Fin

[10799] Re:[10798]    唯識     投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/07/27(Fri) 18:45   [返信]
赤沼智善  『漢巴四部四阿含互照録』 が 見当たりませんので
南伝等において 詳しく 
四大cattaro maha-bhuta
互照( 9巻329p 中阿含 30 )  出来ていませんが 間違いはないとします

      付け加えます

中部経典 28 大象跡喩経  春秋社 中部経典4巻 421p


[10798] Re:[10796]    唯識     投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/07/27(Fri) 18:26   [返信]

> 阿含経典 には、その類いの言葉があります

> 雑阿含・中阿含・増一 等に 4大・六処 で 表記されます


赤沼智善  『漢巴四部四阿含互照録』 が 見当たりませんので
南伝等において 詳しく 
四大cattaro maha-bhuta
互照( 9巻329p )  出来ていませんが 間違いはないとします


[10797] Re:[10794]    唯識     投稿者:えび天サンバ 投稿日:2018/07/27(Fri) 18:21   [返信]
エム先生

> > 先生から具体的にこの道理を伺ってみたいものです。仏教思想史的展望というか。
> お尋ねなので答えないわけにはいかないですよね。。。

しまった、句読点が三つもある。(苦笑)
先生の強靭なサービス精神に報いるために、刻苦勉励いたします。

> 原始仏教(ブッダ)では、地水火風の四大を説いています。
> また、瞑想の段階ですが、四禅の後に空無辺処定と識無辺処定が説かれています。無色定なので、色とは関わらないのですが、このような境地にいたった者には、そのような境地の結果(異熟)は生じているわけです。
> このような定を、衆生のために生かそうとすると、般若波羅蜜の無辺、平等が得られていくのではないかと思います。『大智度論』に「諸波羅蜜品」という節があり、そこでは、
> 「虚空の如く無辺であるから、般若波羅蜜も無辺なり」とか、「菩薩は法忍を得て一切法を観ずるに皆平等なり。この故に一切法は等しきが故に等波羅蜜というと説く」とあって、これらの波羅蜜を用いれば、「空無辺処定」「色無辺処定」から、虚空を「元素(大)」へ、識を「元素(大)」へと転換させることも可能ではなかろうか、と思っています。
> 粗い思考ですし、自分で得ているわけではないので、イマイチ確信は無いのですが、しかし、「無辺」というのは、また、衆生を救う側からすれば「一切」にも通ずるわけで、これを利用しない手はない、というのが菩薩の心情かと思います。
> 最終的には、すべての生類が無上道を完成することがねらいなので、そこを押さえればすぐれた行者の行によって、このような理論は生まれてくるかもしれないと思っています。
> 我々の生きる世界の解釈は、だいぶ変わってくるとは思いますが、しかし、仏法を根拠にしているので、突拍子もない考えにはいたらないのではないかと思います。
> まあ、もう少し、詰めてみないと何とも言えないところですが、青写真としてはこんな感じです。何かまずいことでも起こってくるかどうか、よく考えてみないといけないですね。

今の僕には、雰囲気程度にしか分かりませんが、じっくりと考えるための材料として参考にさせていただきます。

ありがとうございました。

[10796] Re:[10795]    唯識     投稿者: 春間 則廣   投稿日:2018/07/27(Fri) 15:56   [返信]

> ブッダはそんなこと言ってましたっけ?

 ブッダが言ったかどうかは、聞いた人が 言うことです

阿含経典 には、その類いの言葉があります

雑阿含・中阿含・増一 等に 4大・六処 で 表記されます

> この手の古代のあいまいま元素論は
> ブッダの避けるところだと思うのですが。

曖昧かどうかは、読み取る者の 対処 によって 決まります

( 出先で PADで 作ったので、言い回しが 雑になりました )

[10795] Re:[10794]    唯識     投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2018/07/27(Fri) 09:45   [返信]
マニナカ先生、おはようございます

> 原始仏教(ブッダ)では、地水火風の四大を説いています。

ブッダはそんなこと言ってましたっけ?
沙門果経(7)第二章 六師外道の話(四)パクダ・カッチャーヤナの教え
http://www.j-theravada.net/explain/syamonka-5.html

この手の古代のあいまいま元素論は
ブッダの避けるところだと思うのですが。

[10794] Re:[10793]    唯識     投稿者:管理人エム 投稿日:2018/07/27(Fri) 07:30   [返信]
えび天サンバさま

> > 密教では、六大を説きますよね。識を外界に移行させたので、転生などが説きやすくなったように思います。部派は四大、大乗は五大、密教になると六大と、次第に要素を広げて、一般の人々の願いに応えようとしていることがわかります。
>
> >>(o氏)管見では六大は弘法大師独特ではないかと思います。
>
> >そうですか。なるほど。チベット仏教は、五大でしょうか。六大を説くのは、道理だなあと思って、密教全体そうなっているのかと思いました。
>
> 先生から具体的にこの道理を伺ってみたいものです。仏教思想史的展望というか。

お尋ねなので答えないわけにはいかないですよね。。。

原始仏教(ブッダ)では、地水火風の四大を説いています。
また、瞑想の段階ですが、四禅の後に空無辺処定と識無辺処定が説かれています。無色定なので、色とは関わらないのですが、このような境地にいたった者には、そのような境地の結果(異熟)は生じているわけです。
このような定を、衆生のために生かそうとすると、般若波羅蜜の無辺、平等が得られていくのではないかと思います。『大智度論』に「諸波羅蜜品」という節があり、そこでは、

「虚空の如く無辺であるから、般若波羅蜜も無辺なり」とか、「菩薩は法忍を得て一切法を観ずるに皆平等なり。この故に一切法は等しきが故に等波羅蜜というと説く」とあって、これらの波羅蜜を用いれば、「空無辺処定」「色無辺処定」から、虚空を「元素(大)」へ、識を「元素(大)」へと転換させることも可能ではなかろうか、と思っています。

粗い思考ですし、自分で得ているわけではないので、イマイチ確信は無いのですが、しかし、「無辺」というのは、また、衆生を救う側からすれば「一切」にも通ずるわけで、これを利用しない手はない、というのが菩薩の心情かと思います。

最終的には、すべての生類が無上道を完成することがねらいなので、そこを押さえればすぐれた行者の行によって、このような理論は生まれてくるかもしれないと思っています。

我々の生きる世界の解釈は、だいぶ変わってくるとは思いますが、しかし、仏法を根拠にしているので、突拍子もない考えにはいたらないのではないかと思います。
まあ、もう少し、詰めてみないと何とも言えないところですが、青写真としてはこんな感じです。何かまずいことでも起こってくるかどうか、よく考えてみないといけないですね。

[10793] Re:[10784]    唯識     投稿者:えび天サンバ 投稿日:2018/07/26(Thu) 23:29   [返信]
エム先生

いつもありがとうございます。

> どこに行っても、そんな感じです。壁に穴を開けようとすると拒否される。仏教という全体を見透すカギ、壁に穴を開けるドリルになるのが、「ゴータマの法」である「法随法の実践」だと思っています。

> > 宮坂宥勝先生の訳した密教経典(講談社学術文庫)を読んでいても、やはり唯識が前提になっているんだろうなぁ、とか思いますが、いきなり出てくる感じなので、やはり時代的に先駆けている当時の基本的な考え方を知りたいと思ってしまいます。
>
> だいたい、わかってきてるんですが、ちゃんとやってないので、何とも言えません。唯識は、ブッダの法から確実に出てきます。これも一つの「一切智」のあり方ですね。
> 密教では、六大を説きますよね。識を外界に移行させたので、転生などが説きやすくなったように思います。部派は四大、大乗は五大、密教になると六大と、次第に要素を広げて、一般の人々の願いに応えようとしていることがわかります。

>>(o氏)管見では六大は弘法大師独特ではないかと思います。

>そうですか。なるほど。チベット仏教は、五大でしょうか。六大を説くのは、道理だなあと思って、密教全体そうなっているのかと思いました。

先生から具体的にこの道理を伺ってみたいものです。仏教思想史的展望というか。

> 部派から密教まで、実は、この、わずかな違い(?)によって大きく展開が異なってくるようにも思います。まあ、この辺は、はっきりとした根拠を示すまでにいたっていないのですが、「唯識」を「唯識」という壁で囲んで見ないで、仏教の中の、一切智の一つの展開として考えるならば、密教は、すでにブッダの教えの中に胚胎しているのを見ます。

>『スッタニパータ』の中でも、ここから密教にいくなあ、という個所がいくつかあって、そういう意識で見るからか、ブッダが「ここに気づきなさい」と促しているようにすら見えます。

>真言については、わたしは『スッタニパータ』にある 「宝経」を基本的に知る手がかりにしています。たしかに、「聖者人為のサマヤ」と言われますと、そうだなと思います。そこに真実が現観されるわけですから、「法」ということになります。法=真実と見ますと、首肯できます。

ふむふむ。大変勉強になります。

> 仏教の教えが、いかにインドの人々を魅了していたのか、ひそかにしかし素早く進展していった仏教の変容と拡大に感慨が湧きますね。ブッダもすごいけど、煩悩具足の人々のパワーもすごいです。

僕も先生から教えられて、密教経典から十地経、三昧王経などと遡って確かめようと、それらをボーっと眺めています。
安かったのと、だいたいそんなところか、といった大雑把な見当ではありますが。上記の先生の記述を指標とすれば、鬼に金棒かと。

という訳で、暑さがまだまだの折、よろしくご自愛くださいませ。

感謝合掌

[10792]    サティヤ    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2018/07/25(Wed) 13:45   [返信]

> 逆にいうと、ガンジーが注目されるのは、西洋的な自由・平等の精神に合う部分があるからなのかもしれません。だから、そこにだけ目がいくのかも。。

自由平等は 西洋( “的”な精神 )にはありません
仏教のみが 自由と平等を 涅槃から 説きます
( 似たような思想は 前期ウパニシャッド にありますが、 似て非なるモノです )
( どう違うかは 自分で見つけるまで 違いにはなりません )
( 決して 教えること は 出来ないことです 、、、、 )
( 「平等」 の 行い が あって 初めて その行いを支える思想 を 持つ )

> しかし、かれの評価も、西洋的な見方で解釈できないところについては、何だかもやもやしているように思います。以前から、そこを知りたいなと思ってきました。

仏教は
    教え という “教”であるから
    論理である と 思い込まれますが、
論理ではなく (仏の)実践(そのもの) です

> 現代に近くなると、タントリズムは欠かせなくなってきますね。また、それを取り入れたヨーガも忘れてはいけないし、ヒンドゥーの正統としてはヴェーダーンタも意識しなければならない、となると、インドの思想の全体構造を知っておく必要が出てきて、すべての底辺に潜む仏教を解明しないといけなくなる。。たいへんですよね。

ウパニシャッド にもあります(プリハダーラニヤカ・ウパニシャッド 4)
ヤージェニャバルキャ は 
     一つを知ればすべてを知ることが出来る
        すべては必ず一つに発する (多様性は一なるモノから発する)
    正否を問わずこの仕組みに支配される
ということを 明らかにします

> > 資料読んでも、結論は先行研究の方向に添っている、そういう研究が多すぎですね。

多かろうと そこに起こす研究(究竟) が 正しき一つになればよい

> なんでしょうか、先行研究にしたがうということは、そこを頼りにすることにもなります。先行研究を知って、それを超えるところがほしいです。

ほしいモノは 自ら 掘り出し 手にする以外にない
出ているのではなく、 埋蔵 仏(経) だからです

> 仏教が、智慧の宗教・智慧の思想だということを、みんな忘れているのかな。

みなが忘れているから
忘れない一人に チャクチャク と 伝わっているのです
嫡流 は 多くとも
自らは たった一つの流れに沿って 岸を置く

> 智慧ということは、方便ということでもありますが。

そんなことはありません


嘘に 本当がないように
( ただし 本当に嘘 という 本当はあります )
本当には 嘘も方便もありません
( 嫡流 は多く とも どの一つでも 本流ではないモノはない )

( ちょっと 混乱するかな ?? )


Page: | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
記事No 削除キー

- LightBoard -