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[10333] 蛙的善知識 投稿者:莓箭毒蛙 投稿日:2017/07/30(Sun) 16:02   [返信]
やっぱ箭喩経の無記がわかっている人ですかね〜
無回答と沈黙に耐えられる人

あとは、自分のドゥッカの因果関係に集中している人

ドゥッカの滅を語っている人はちょっと^^;

そういう善知識は見当たらないので残念ですが
まあネットのブログや掲示板にそういう人は
あんまり書き込まないですよね〜あたりまえか

[10332] あっちの事が こっちになる  先後の顛倒  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/07/13(Thu) 14:30   [返信]

*************
「困るのは、ぼくは時間があるときは日本刀もつくるんやけど、あれは材料が玉鋼やさかい
全然違うねん。だから、一度日本刀をやってしまうと、目が戻るのに少し時間がかかる。その時は調整が必要なんよ」
 別のものをつくった後には、パソコンのモニターのキャリブレーション(色調整)のような作業が必要とは思わなかった。それほど職人の目は機械のように正確に温度を見極める。池田さんは十度単位で温度を見極めることができるそうだ。
*************

この記事 から 何を思いますか ?


基本的に 釈迦牟尼は 大衆と呼ばれる
煩悩の中で  煩悩に まみえる こと  を 厭わないモノには
教えは説きません

説いていると聞くのは 自由です が
“ その自由 ” は  釈迦牟尼の(説くところの) 「自由平等」 を 踏みつけている

菩薩は 常に 釈迦牟尼(諸仏) に  面を向けて 語る

玉鋼 に 語りかけると
包丁は 調理に向かなくなる


[10324] Re:[10322]  ナンボ ノ ホン  投稿者:管理人エム 投稿日:2017/07/07(Fri) 02:39   [返信]
> 存在(する) ということ を あなたは 絶対視 している
> 存在していない  という 存在も   絶対    なのです

うーん、何かちょっと違うような気がする。

> そう言えば、 西蔵訳 該当箇所は  川口著作集 8巻30p にあります

pocketさま サンキュー。

こちらも「諸法は如何なるか…」というような訳になっていますね。

むしろ、このような訳の方が、そのような「存在」が強く出てくるような感じがしますね。

「如来だけが知っている」と続くので。

また、散文の後にある 詩の方になりますと、菩薩を除いては、それを理解するものはいない、ということが説かれていますね。

如来だけが知っている(衆生にはわからない)、ということを強調すると、「如何なる」という訳になり

菩薩は理解できると、いうことをニュアンス的に含めようとすると、「如是」という訳になるような気がします。


どうして、こう言うかというと、宮澤賢治は、この「如是」を示すように作品を著しているように思えてならないからです。かれは、菩薩だったんだなとあらためて思っています。

[10323] Re:[10322]  ナンボ ノ ホン  投稿者:pocket 投稿日:2017/07/06(Thu) 20:56   [返信]
川口とは河口慧海でしょうか?
こちらも国立国会図書館デジタルコレクションにありますね…

梵蔵伝訳法華経. 上
河口慧海 訳

「諸法は如何なるか、
諸法は如何様にあるか、
諸法は何に似たるか、
諸法の相は如何なるか、
諸法の性は如何なるか、」

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977549/24

[10322] Re:[10317]  ナンボ ノ ホン  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/07/06(Thu) 13:49   [返信]

> 植木さんは、南条文雄の訳を参考にしたかもしれませんね。
>  何で、疑問文のようになっているのかな?

疑問に した  からです
(  唯仏与仏 乃能究尽 )

> > 国立国会図書館デジタルライブラリー
> どうもありがとうございます。これで見ました。

> > 諸法において唯如来のみ現在の守護者なり  四一

> > >  あなたの訳が絶対であれば わたしの挙げる 五つは 存在しない
>    そうとも言えないでしょう。

存在(する) ということ を あなたは 絶対視 している
存在していない  という 存在も   絶対    なのです

あっても 意味がなければ 無いと言われる
意味があっても 如来がそれを知る

縁起を知る者は 「如来」 であり 「仏」 です

>    訳というのは、気持ちも入っているから。

入っていると 思うと  入っている(と思う)気持を
 自らの中から 取り出す

白  と書いてあれば 白(蓮華)ですか
蓮華 とされるとき   色付けしますか ?

そう言えば、 西蔵訳 該当箇所は  川口著作集 8巻30p にあります


[10321]   一切種智    仏 の 知見 の 道    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/07/06(Thu) 09:05   [返信]
妙法蓮華経 方便 品 第二


如来 は 但 一仏乗 を 以 って の 故 に、 衆生 の 為 に 法 を 説き た もう。 余 乗 の 若し は 二、 若し は 三 有る こと 無し。


未来 の 諸仏 の、 當 に 世 に 出 で た もう べき も 亦 無量 無数 の 方便、 種種 の 因縁、 譬喩、 言辞 を 以 って、 衆生 の 為 に 諸法 を 演説 し た もう。 是 の 法 も、 皆 一仏乗 の 為 の 故 なり。

是 の 諸 の 衆生 の 諸仏 に 従い たてまつっ て 法 を 聞か ん も、 究竟 し て 皆 一切種智 を 得 べし。

仏 の 知見 を 以 って 衆生 に 示さ ん と 欲する が 故に、 仏 の 知見 を 以 って 衆生 に 悟ら しめ ん と 欲する が 故に、 衆生 を し て 仏 の 知見 の 道 に 入ら しめ ん と 欲する が 故 なり。 舎利弗、 我 も 今 亦 復 是 の 如し。 諸 の 衆生 に、 種種 の 欲、 深心 の 所 著 有る こと を 知っ て、 其の 本性 に 随 って、 種種 の 因縁、 譬喩、 言辞、 方便力 を 以 って の 故 に、 而 も 為 に 法 を 説く。 舎利弗、 此 の 如き は、 皆 一仏乗 の 一切種智 を 得せ しめ ん が 為 の 故 なり。 舎利弗、 十方世界 の 中 には、 尚 二乗 無し、

伏見友貴. 妙法蓮華経 (法華経) (Kindle の位置No. No.321-338).

[10320]  不思議だ 霧の中を歩むのは 、、、、 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/07/06(Thu) 08:42   [返信]

みんな 一人ぽっちだ 

霧の中  
ヘルマン・ヘッセ詩 高橋健二訳  
不思議だ、霧の中を歩くのは!
どの茂みも石も孤独だ、
どの木にも他の木は見えない。
みんなひとりぽっちだ。
私の生活がまだ明るかったころ、
私にとって世界は友だちにあふれていた。
いま、霧がおりると、
だれももう見えない。
ほんとうに、自分をすべてのものから
逆らいようもなく、そっとへだてる
暗さを知らないものは、
賢くはないのだ。

( 続く )



> > たとえば、ここかな。

> ここ は 如是  です
> あなたが ここ  と 言ったとき
> わたしは ここ  を 見る

そこ かしこ を 見ても
“ ここ ” ではない  時も  ある ( ここ を 読んでほしい )

どう読むかによって “ここ” は 位置を得る( 位置 という 場所の意味 を得る )

> > 不思議で、如是、といいたくなる。
> (したくなる)という 思議にあると知る

そのまま受けると
不思議である   ・  如是である   ・   言いたくなる 気持ちにある
と 受ける

何が言いたいかは、 わたしの位置によって 見え方を変えるがごとく 、、、、

> > そのまま見えるような気がするところが、もっと不思議です。

不思議 と して 思議に乗せる  のは
不思議  です 、、、、
( わたしが乗せる時もあれば あなたが乗せる時もある )
( どちらが はたまた  どちらも  どのようにあるかは  あなたの思議にある )


[10319] Re:[10318]   言いつくした気持ちで 気持ちがよい   投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/07/06(Thu) 08:25   [返信]

> > >  如是に触れています。
> > どう触れているかを 如是 と 示せますか ?

>  688.
> 神々は、数多くの傘骨をもち千の円輪のある傘蓋を空中に差し出しました。黄金の柄をもつ払子が上下に飛んでいますが、払子や傘蓋をもっている者たちは見えません。

> たとえば、ここかな。

ここ は 如是  です
あなたが ここ  と 言ったとき
わたしは ここ  を 見る

> 不思議で、如是、といいたくなる。

(したくなる)という 思議にあると知る
>
> そのまま見えるような気がするところが、もっと不思議です。

気がすることは 不思議  です
ここは(あなたの) 如是 と 受ける

> 北伝も南伝も、この風景を共有してきました。

わたしは 共有していない
嫡伝 によるから

> これは本当にあるのです。その説明は、宮澤賢治のことばから、理解することができます。
> 宮澤賢治の場合は、狐小学校の話しなのですが、同じように考えることができるでしょう。

物語 は 物語とする 中 において 
如是   です
読む者は 菩薩を除いて 物語の外から 中を窺い知ります

優れた描写力を持つ者は 中に引きずり込むがごとく 、、、、
中かどうかは 「 修羅にいる 」 と 聞く時 (自らが)修羅に いれば 修羅にいると分かる
( それは 修羅にある  と いう=見る 立場
    の  もとで      ( 菩薩の )優れた求道を そのとき共に 歩むからです )

> 「茨海小学校」より
> 大丈夫 狐 小学校 が ある という こと が わかり ます から。 ただ 呉れ 呉れ も 云っ て 置き ます が 狐 小学校 が ある と いっ ても それ は みんな 私 の 頭 の 中 に あっ た と 云う ので 決して 偽 では ない の です。 偽 で ない 証拠 には ちゃんと 私 が それ を 云っ て いる の です。 もし みなさん が これ を 聞い て その 通り 考えれ ば 狐 小学校 は また あなた にも ある の です。

「狐小学校がある」  と言えば  「狐小学校がある」 と わかります(分からない人もいる)
あると聞き、 あると受けるから あると知る
証拠 とは 脚下照顧 の 洲 にあり
洲にあるモノによって 洲において 述べられ そこで聞くことです (  唯仏与仏 乃能究尽 )
菩薩 は 究尽 の 道を歩む 、、、、
 ( それこそ   究尽 であり
    その道は 「 仏道もとより豊検より跳出せる 」 という時の 「仏道」 そのモノで 遠近 にない )

> このように、如是なのです。

あると言ったとき 証拠もありながら
あると言った気持である  と言っても 何ら問題は起きませんか  ?


( ここ以降は [10318] を 読む前に 作っています  )
起きていることは 同時です
( 読む前 だけれど 読んだ後に あなたに起きる )


**********


している と あれば している  と知ります
しているという気持である  と あれば している気持だと 知ります

翻訳者が 何故 している気持と 訳したか  を
     察すること そう探るべきだ       と するときもあります

仏の 気持ち を 忖度しません
仏のしていることも 忖度せず
している と あるままに 受け知ります
( その為に 翻訳を 忖度すること は あります )

為されたこと 言われたこと は
為したこと   言ったこと   と 受けます

どういう気持ちで言ったかは わたしの気持ちでない限り 忖度しません
わたしの気持ち は わたしが 忖度します
 ( だから 「空」 と なる   と 教えられ受けています )
わたしが 「忖度している」  と  言ったとき
聞いたあなたは それを 忖度 しても 何ら不思議はありませんが
「忖度していない」  と言ったときにも 
わたしの言は 忖度される

わたしが 仏 であるかどうかは あなたの 揀択にある


[10318] Re:[10315]   言いつくした気持ちで 気持ちがよい   投稿者:管理人エム 投稿日:2017/07/06(Thu) 05:57   [返信]
> > 如是に触れています。
>
> どう触れているかを 如是 と 示せますか ?

688.
神々は、数多くの傘骨をもち千の円輪のある傘蓋を空中に差し出しました。黄金の柄をもつ払子が上下に飛んでいますが、払子や傘蓋をもっている者たちは見えません。

たとえば、ここかな。
不思議で、如是、といいたくなる。

そのまま見えるような気がするところが、もっと不思議です。

北伝も南伝も、この風景を共有してきました。
これは本当にあるのです。その説明は、宮澤賢治のことばから、理解することができます。
宮澤賢治の場合は、狐小学校の話しなのですが、同じように考えることができるでしょう。

「茨海小学校」より
大丈夫 狐 小学校 が ある という こと が わかり ます から。 ただ 呉れ 呉れ も 云っ て 置き ます が 狐 小学校 が ある と いっ ても それ は みんな 私 の 頭 の 中 に あっ た と 云う ので 決して 偽 では ない の です。 偽 で ない 証拠 には ちゃんと 私 が それ を 云っ て いる の です。 もし みなさん が これ を 聞い て その 通り 考えれ ば 狐 小学校 は また あなた にも ある の です。
宮沢 賢治. 『宮沢賢治全集・283作品⇒1冊』【直筆水彩画・関連作品つき】 (Kindle の位置No.32529-32535). Kenji Miyazawa Complete works. Kindle 版.

このように、如是なのです。

[10317] Re:[10316]  ナンボ ノ ホン  投稿者:管理人エム 投稿日:2017/07/06(Thu) 05:12   [返信]

> >  南条文雄 を 引いています
>
> >>    「これである」「このようである」「このようなものである」「このような相である」「このような自性である」の5つが説かれています。
>
> >  「何であるか」  「いかにあるか」 「何のごとくであるか」 「いかなる特徴を持つか」
> >  「いかなる本質を持つか」  と 五つあるのは承知です

植木さんは、南条文雄の訳を参考にしたかもしれませんね。
 何で、疑問文のようになっているのかな?

> 原本がなければ
>
> 国立国会図書館デジタルライブラリー
> 新訳法華経 : 梵漢対照 四〇  で 読むことができます
> http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943446/164

どうもありがとうございます。これで見ました。
>
> 諸法において唯如来のみ現在の守護者なり  四一
>
> 「 唯仏与仏 乃能究尽 乃能究尽」
>
> >  あなたの訳が絶対であれば わたしの挙げる 五つは 存在しない

そうとも言えないでしょう。
訳というのは、気持ちも入っているから。

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