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[11781] Re:[11780] 如是我聞 投稿者:管理人エム 投稿日:2019/10/01(Tue) 07:07   [返信]
> 如是我聞と称して適当なことをやるとこのように後世の人が
> 大変な迷惑をする。業はかなり深いのではないかと。
>
> 聖典と称すればその内容がひとり歩きしはじめるのは
> 洋の東西を違わない。
>
> 三宝と称してもこの手の人たちは自分の部派(サンガ)への帰依を第一にして、釈迦牟尼や法は二の次だったのではないでしょうか?
>
> 仏も自分たちで自作できるわけですし、残るは法のみでしょう。
>
> 法を灯明としてただひとり道を行けということではないかと。


あら、苺箭毒蛙さま? 言うことが、普通に戻ってる。

でも、何か特定の人たちを攻撃してる?


わたしは、基本的に、パーリ三蔵(経と律を主体とする)を法として根拠にしています。
また、漢訳、チベット語訳なども、基本的に法と考えています。
さらに、論書の類いや、高僧、菩薩のことばにも従います。


これら以外のものからきていることばは、その心を読んで、法として入れられるものは入れるけど、無視すべきものは無視します。


苺箭毒蛙さまも、ご自分の基準で、そうしようとしているのだなと思います。
判定基準は、基本的に同じかもしれません。
その中に「我・我所」があるかどうか、でしょう。

多分、仏法を知る多くの人々が、この基準によってふるい分けてきていると思います。

我・我所のあるものは、巧みに排除され、今日多くの経書が残されていると思います。
それらの中に、真実を見ようとするのが、ブッダの徒ではないかと思っています。


そういう意味では、法に真実を見ようとしないそれ以外の人が何を言っても、気にならないです。
生じては滅する泡のようなものですが、
部派に対する「小乗」と、大乗に対する「非仏説」は、私たちが憶えておかなければならない戒めだと思っています。
たえず、これらが出てくるのは、仏法を正しく受けとるための注意書きだからではないかと思うのです。こうならないようにしなさいよ、と。

[11780] 如是我聞 投稿者:苺箭毒蛙 投稿日:2019/10/01(Tue) 05:53   [返信]
如是我聞と称して適当なことをやるとこのように後世の人が
大変な迷惑をする。業はかなり深いのではないかと。

聖典と称すればその内容がひとり歩きしはじめるのは
洋の東西を違わない。

三宝と称してもこの手の人たちは自分の部派(サンガ)への帰依を第一にして、釈迦牟尼や法は二の次だったのではないでしょうか?

仏も自分たちで自作できるわけですし、残るは法のみでしょう。

法を灯明としてただひとり道を行けということではないかと。

[11779] Re:[11776] トーテム信仰 投稿者:えび天サンバ 投稿日:2019/10/01(Tue) 00:31   [返信]
> アイヌなら例えばクマで言われていることはミヤンゲだね。これはクマだけに当てはまることではない。あほらしいので、この辺でやめさせていただく。

余談ですが、参議院議員の青山繁晴氏は、アイヌの先住民族性に対して疑義を呈している。私はこれに賛成します。

先住民族の定義は、アボリジニとか、アメリカのインディオだとか、殲滅されて滅亡に追い込まれた民族のことを指している。

これをアイヌに当てはめられるかどうか?
アイヌは蝦夷として江戸時代には松前藩があったが、殲滅された訳ではなかった、というのが定義にそれる理由だが、もう少し考えてみよう。

日本国の領土安全保障のことを考えるならば、アイヌの存在と北方領土の問題は切り離せないはずだ。

つまり、アイヌは倭人とともに、日本の国を作ったと認識されるべき存在にならないか?

国家権力を視野に収めなければ、哲学は成り立たないと思うのだが。

[11778] Re:[11775] トーテム信仰 投稿者:管理人エム 投稿日:2019/10/01(Tue) 00:30   [返信]

> 関係ないですが、過去七仏も七仙を下敷きにした数合わせでしょう。仏道のバラモン化の流れではないかと。

私の語った七仏の話は、まったく無視されてるな。
経典を読んで語っていたのですが。

「七」という数にだけ反応する。
「ナーガ(蛇)」ということばだけに反応する。

経典から取ったというかもしれない。
しかし、ことばにのみとらわれていると、ブッダの教えからはずれてしまう。

語られるべきものを心に思う衆生たちは、語られるべきものに依止している。
語られるべきものをあまねく了知せず、(かれらは)死神の束縛に近づいていく。
      (『サンユッタ・ニカーヤ』1.2.10「サミッディ」)

[11777] 有題 投稿者:えび天サンバ 投稿日:2019/09/30(Mon) 23:13   [返信]
これあれば彼あり、というのは、これがあると定めることによって、結果が生まれる、ということだね。含まれる、というのは違う。

これがなくなれば、これがなくなる、というのは、結果を生み続ける習慣を滅ぼしたので、その習慣がなくなった。ということだね。

実践論は観念論と違って、自らの身体で証明できるものだ。
禁煙とか、アル中とか。

[11776] Re:[11775] トーテム信仰 投稿者:えび天サンバ 投稿日:2019/09/30(Mon) 22:52   [返信]
> 関係ないですが、過去七仏も七仙を下敷きにした数合わせでしょう。仏道のバラモン化の流れではないかと。

なんでも政治的に決済して単純化するのは経済家のすることですね。
アイヌなら例えばクマで言われていることはミヤンゲだね。これはクマだけに当てはまることではない。あほらしいので、この辺でやめさせていただく。

[11775] Re:[11774] トーテム信仰 投稿者:苺箭毒蛙 投稿日:2019/09/30(Mon) 22:37   [返信]
>、ウパニシャッドだとか、そういうインドの思想的背景を無視して、仏教だけを考えるというのはつまらない。

そういう文化、文明圏のトーテム信仰として言ってるのですが。

アイヌは熊、古代日本だと蛇やワニ=鮫や熊、古代ペルシャだと孔雀、欧米の鷲

そういう人間の感性の普遍的事象を観察するのは楽しいのですが、どこかの文化や文明圏を特別視するとおかしなことになると思います。

イランは現代ではイスラム教のスンニ派の中でシーア派として孤立対抗してますよね。古代ペルシャでも印欧語族の文明に対抗するてめにゾロアスター教を作って、蛇に対抗して孔雀を象徴に使ったのかもしれません。

で、ゾロアスター教は今日の一神教に多大な影響を与えているので、蛇への対抗心がキリスト教に受け継がれたのかもしれませんね。

関係ないですが、過去七仏も七仙を下敷きにした数合わせでしょう。仏道のバラモン化の流れではないかと。

[11774] Re:[11765] トーテム信仰 投稿者:えび天サンバ 投稿日:2019/09/30(Mon) 14:18   [返信]
> ナーガとかはトーテム信仰の宗教版でしょう。
> 神話や宗教は結局、作者の人間目線のものがほとんどでしょ。

ナーガとかはブッダ自身も言及しているし、称号として、しょっちゅう呼びかけられていますね。コブラとかの意味もあるんでしょうが、だからといってトーテムだとか、そういう話になるのかどうか。

まずこの言葉がどういう脈絡で用いられているかを知れば、インドのブッダ在世以前の思想的な状況を伺うことができますね。エム先生も言っている通り、ウパニシャッドだとか、そういうインドの思想的背景を無視して、仏教だけを考えるというのはつまらない。まぁ、ガラパゴス的な記事を読んでいる暇はないね。

[11771] Re:[11770] 自己中 投稿者: 春間 則廣  投稿日:2019/09/30(Mon) 10:30   [返信]
> 自分の目線しかないから他人の迷惑も感じないし
> マナーも守れないのでしょう。

それは、誰の ”所有する” 目線ですか
 ?

[11770] 自己中 投稿者:苺箭毒蛙 投稿日:2019/09/30(Mon) 10:05   [返信]
自分の目線しかないから他人の迷惑も感じないし
マナーも守れないのでしょう。

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