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[10390] 『十二門論』 投稿者:管理人エム 投稿日:2017/09/09(Sat) 07:00   [返信]
何とか論文をアップしました。

二つ書く予定のうちの一つ目ですが、二つ目はいつ書けるかな。
頭の中では完成しているのですが、具体的にはいつアップできるかわかりません。

トップページから行けます。

http://manikana.la.coocan.jp/twelve/twelveindex.html

どうぞ、よろしくお願いします。


簡単に言うと、『十二門論』は龍樹作品で、「観三時門第十一」の内容は、『中論頌』4.9の詳しい注釈として読むことができる、という内容です。
『廻諍論』にある似たような議論は、『中論頌』4.8の注釈とみてもよいだろう、ということです。

青目は、『中論頌』4.8と4.9の解釈を失敗しており、鳩摩羅什も、そこを引きずる結果となって、それが『十二門論』の読みにも影響を与えたと考えています。

中に出てくる論法用語「同疑因」は、鳩摩羅什が、青目註によって改訂したものだろう、と推察しています。
本当は「sAdhyasama(成立すべきものに等しいもの)」が来るべきだという意見を出しました。

[10389] 共産主義 の 復活   投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/08(Fri) 13:05   [返信]


それがなければ  善 は  顕出しない

顕出される 善が 源である “ 源泉 ”  です
 先 に伝えた “富” の 源泉  → 名称ではない 労働  です

善を 生み出す その 大元が  法雲であり 悪 です
そういう 「縁起」 を 見ることが適うようになると 「 縁起 」 は 支える者を支える 悪一つではなく 他の名称で 知ることも適う

「 風が吹けば 桶屋が もう浮かれる 」

源泉は すべて 法雲 による


[10388] Re:[10387] 共産主義 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/08(Fri) 12:54   [返信]
> > 駒沢の身売り に関係していますか
>
> いえ、それは、全然関係していません。
> ああ、そう言えば、駒沢もなくなりますね。
> ということは、駒沢の非常勤もなくなりますね、きっと。

> 駒沢大学は、宗教に熱心な人が多くて、けっこうおもしろく楽しかったんだけどなぁ。

熱心さが 生きざまに つながるように あなたが “自らを” 整える
  その時 そこに
整えること( タターガタ )が顕われ出て 熱心な人に 伝搬する

> でも、暇ができると、論文書けるので、それはそれでうれしいです。

物事 という モノは、名称ですから
「空」 が そこに働きます
働かせると 「空」 は 活動(働く)場所をなくす  ということが 「空」 の 実践(働き)

> > > 対人のところもあるような気がします。それは、論法の用語が出てくるところです。
> > 龍樹 は “ 人ではなく 菩薩です ”

> 菩薩は、姿を変えるので、「人の姿をとる」ことがあります。
> 「空論者」って言われるような「人」に姿を変えているときがあります。

人に姿を変えて 人になれば 菩薩ではなくなります
人をカタル  のは “ カタルニオチル ”

> ものすごく微妙です。論者どおしが、論戦しているように見えるのに、実際には、議論ではなく対話になっている、という、ほんとに微妙な路線を歩んでいます。

真理というモノは 微妙なところにあるから 「 妙 」 になります
掘り下げれば 深さという  “概念” を  殺す

仏典 というモノは 対話者(たち)を通して その奥の真理を示すためにあります

ボサツ と  坐って 居なくて 歩むところ(瞑想)に 機微がある

> こんなことができるのは、龍樹菩薩だけなんでしょうね。

自分がしていても 知る由がない 
  ということを
歎異抄13 段で  示していますが

われらがこころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて、願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることをおほせのさふらひしなり。
そのかみ邪見におちたるひとあて、悪をつくりたるものをたすけんといふ願にてましませばとて、わざとこのみて悪をつくりて往生の業とすべきよしをいひて、やうやうにあしざまなることのきこへさふらひしとき

軽く 一面的な読み過ごし方で ジンセイ を 歩む

善いか悪いかは  人生の歩みようで決まる けれど
決めたように 決まりがあると 顛倒する


悪いと反省する(その対象となる)行い は 善  であると 知ることができるのでしょうか ?



[10387] Re:[10386] 共産主義 投稿者:管理人エム 投稿日:2017/09/08(Fri) 10:53   [返信]
> 駒沢の身売り に関係していますか

いえ、それは、全然関係していません。
ああ、そう言えば、駒沢もなくなりますね。
ということは、駒沢の非常勤もなくなりますね、きっと。
駒沢大学は、宗教に熱心な人が多くて、けっこうおもしろく楽しかったんだけどなぁ。

でも、暇ができると、論文書けるので、それはそれでうれしいです。

> > 対人のところもあるような気がします。それは、論法の用語が出てくるところです。
>
> 龍樹 は “ 人ではなく 菩薩です ”

菩薩は、姿を変えるので、「人の姿をとる」ことがあります。
「空論者」って言われるような「人」に姿を変えているときがあります。

ものすごく微妙です。論者どおしが、論戦しているように見えるのに、実際には、議論ではなく対話になっている、という、ほんとに微妙な路線を歩んでいます。

こんなことができるのは、龍樹菩薩だけなんでしょうね。

[10386] Re:[10385] 共産主義 投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/06(Wed) 14:56   [返信]

> 大量の答案を採点して、何とか一段落したところで、掲示板をゆっくり読んでいます。
> 掲示板を読むゆとりがあるなんて、
> ああ、幸せだなぁ。。じつは、非常勤が一つ、今年でなくなって、大量採点から解放されました。嬉しすぎて、掲示板にも書いてしまうわ。

駒沢の身売り に関係していますか

> > > 『十二門論』に没頭してますが、龍樹は地雷の上で踊りまくってるようにも見えなくないです。
> >     対人地雷  なのかな ?

> 対人のところもあるような気がします。それは、論法の用語が出てくるところです。

龍樹 は “ 人ではなく 菩薩です ”

> あきらかに、龍樹と対峙している「人」がいます。ニヤーヤ学派の開祖あたりになる「人」かなと思っています。チャラカなのかもしれないしよくわからんです。

菩薩が 対峙する人 はいますが
人は菩薩に対峙できない

対峙 とは 登り と 下り  です
菩薩は 登るのみ  を 言います

“ 人は 仏 ” です   仏は 菩薩とは 違いますが
人は (必ず) 仏である
( 法華経に 明かされていますが  明かされているかどうかは 仏が 決める )

決めたことが 明かされていることで (あるけれど)
明かされたことが 決められたことではない

菩薩が 何故上るだけかは 登ろうとする前に 仏があり その後にあるから
( それを 菩薩が尻押しすると 表現されることもある )

いずれにしても  菩薩が 先導することはない
いつも 仏の 後に続き 仏 を 追う( 押す と 表現することもある )
( 如来蔵 は  如来  の  み  に   ある )

菩薩は その  ゾウ  を  追い求める 、、、、( 追う  という  名称は 言葉です )

言葉は 名称ではない
 表象  です   が  表象は 存在の一面であると 顛倒される
( そこに 重層なる構造を 読み取るかどうかは 読む人の恣意に係る )

たとえば 仏像は 造形として 全体で ブツをあらわす と 想う人もいるが
仏像の どの表面の一点(注目点)であろうと
そこを 焦点として   裏に 総て への 広がりが続いている
(      X を     思い浮かべて ワカルカナ ? )

分からないことは 存在していない
言い替えると 
存在していることは すべて解明される

> そうではないところは、対面地雷(?)かな。
> 対面というのは、地面においてある思想に到達した人に対して炸裂する地雷ですね。
> 思想に対応して設置されているような地雷という意味です。

地雷が 破裂するとき 地面が 割ける( 破裂し 割れる )

> 例えば、サーンキヤの思想は、これをメインに研究し追究する思想家は文献的には見あたらないような感じがします。ただ、当時の社会の知識層の常識になっていて、共有されている感じです。チャラカなども、サーンキヤを誉め称えています。

話は ずれますが
ヨガ は 数論 に 強く頼っている

今 考察を深めている
構造主義 は 数学に強く関連している

しかも 必然として 相対主義(理論)を超えて 量子力学理論 へと 足を踏み込んでいる
レヴィストロース にしても ラトゥーシュ にしても
仏教 を ナザレのイエスの 口から学ぶ

不確定性原理 は  “ 裁く者は その裁きによって裁かれる ” ということを示す
“ 理屈では 理屈の正しさを 証明できない ”
という 理屈は 証明できない

不確定であれば 原理は存在できない
唯一 = 真 = 真理  が すべての根拠であり
何故真理かは 原理によって 証明できない が 行いによって 知ることができる

そういうことを 構造主義は 仏教から学び
象徴とは マンダラ であると見得る

> > 爆発していても 破片が 微細すぎて 見とれないこともあります
> > 爆風 は 強いかどうかが 縁起にあります
>   相手の習熟度とか理解度とか、そういうところにかかってくるから、ということになりましょうか。
>   そういう意味では、龍樹の説いていることがわかる強力なライバルがいたことを、インド思想の観点から嬉しく思います。

アリストテレスからの 伝統で
弁証法は 対立して それが 昇華 されていく 過程を示します

> > 二つの見方(  二種の見解 や 「縁起」  )   は  一つの道にある
>   『スッタニパータ』の「二種の随観経」ですね。

「縁起」 を   知る者 は 
「縁起」 から  離れ  一つの道(釈迦牟尼の歩む道)を歩む


[10385] Re:[10380] 共産主義 投稿者:管理人エム 投稿日:2017/09/06(Wed) 10:53   [返信]
大量の答案を採点して、何とか一段落したところで、掲示板をゆっくり読んでいます。
掲示板を読むゆとりがあるなんて、
ああ、幸せだなぁ。。じつは、非常勤が一つ、今年でなくなって、大量採点から解放されました。嬉しすぎて、掲示板にも書いてしまうわ。

> > 『十二門論』に没頭してますが、龍樹は地雷の上で踊りまくってるようにも見えなくないです。
>
>     対人地雷  なのかな ?

対人のところもあるような気がします。それは、論法の用語が出てくるところです。
あきらかに、龍樹と対峙している「人」がいます。ニヤーヤ学派の開祖あたりになる「人」かなと思っています。チャラカなのかもしれないしよくわからんです。

そうではないところは、対面地雷(?)かな。
対面というのは、地面においてある思想に到達した人に対して炸裂する地雷ですね。
思想に対応して設置されているような地雷という意味です。

例えば、サーンキヤの思想は、これをメインに研究し追究する思想家は文献的には見あたらないような感じがします。ただ、当時の社会の知識層の常識になっていて、共有されている感じです。チャラカなども、サーンキヤを誉め称えています。

> 爆発していても 破片が 微細すぎて 見とれないこともあります
> 爆風 は 強いかどうかが 縁起にあります

相手の習熟度とか理解度とか、そういうところにかかってくるから、ということになりましょうか。
そういう意味では、龍樹の説いていることがわかる強力なライバルがいたことを、インド思想の観点から嬉しく思います。

> 二つの見方(  二種の見解 や 「縁起」  )   は  一つの道にある

『スッタニパータ』の「二種の随観経」ですね。

[10384] Re:[10379] リチャード・ノーガード 「 裏切られた発展 」   投稿者:管理人エム 投稿日:2017/09/06(Wed) 10:12   [返信]
> 注意深く 分析してみると
> 十二問論は 通過しているでしょう

ノースガード氏は、『十二門論』に入っているのかな。。
って気もしてきました。

もし、入っているとすれば、『十二門論』第二「観有果無果門」のあたりかもしれません。
採りうるとすれば、因中無果論になりそうですね。有果にはいかないな。

帰納的観点から対応しようとしているのと、未来を見つめているところから、そう思います。

[10383] Re:[10382] リチャード・ノーガード 「 裏切られた発展 」   投稿者:管理人エム 投稿日:2017/09/06(Wed) 08:01   [返信]
> > 龍樹の手法は ここで(彼に)どう効いて どう 働ききれないか 
> > 注意深く 分析してみると
> > 十二問論は 通過しているでしょう
>
> はたらききれていないところはないように思います。
>
> 『中論』第13章は、757を分析して、空性を明らかにしています。

ノースガード氏※が、758 の『スッタニパータ』の内容に至っていないので、こういうことになるのかな、と。
変化し続けなさい、と言っているようですね。最後まで、聞きました。

(※ノーガード氏でした。北をガードしようと思ったのかな、わたし?)

不変の自然という考え方から出てきているのが、従来の自然科学で、それは人間の手によってのみ劣化せずにいられるという考え方をもっているので、それを否定しています。

世俗諦のあり方が説かれています。時とともに進む、と述べているところに、ポイントがあるように思います。

[10382] Re:[10379] リチャード・ノーガード 「 裏切られた発展 」   投稿者:管理人エム 投稿日:2017/09/06(Wed) 07:34   [返信]
>  リチャード・ノーガード 
>
>  「裏切られた発展」
> https://www.amazon.co.jp/%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%99%BA%E5%B1%95-%E9%80%B2%E6%AD%A9%E3%81%AE%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%A8%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%85%B1%E9%80%B2%E5%8C%96%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89-B-%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%89/dp/4326601620/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1504062341&sr=8-1&keywords=%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%80%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%99%BA%E5%B1%95
>
> を 注文しています
>
> https://www.youtube.com/watch?v=EFNNEWTfvBI
>
> で 京都大学での講演を聞くことができます


ずっと聞いていて、最後まではいかなかったのですが、総論的ですね。一度聞いて二度目も聞いているところです。

相対的な世界の中に生きる人が、現状を分析する一つの見方のように思いました。帰納的な見方ですね。

わたしは、パワーポイントを使ったことはないのですが、パワーポイントで示せるということは、非常に概念化した操作を行った結果をもっているということですよね。

パワーポイントで表すときは、簡単に図式化しないと聞いている手がかりになりません。
骨組みだけが示されるのですが、それが、また、整理することにはならないで、その人の混乱の起源を表しているようにも見えることがあります。

それは相対論にのみ終始しているからではないかと思っています。
ここまでのところ、当たっていますか。

すでにブッダが述べています。こういう状態を。

757.あるものをそのとおりのものとして考えるとしても、そのものはそれとは異なったようになってくる。それにとって、そのこと(考え)は、虚偽であるから。虚妄の法(mosadhamma)はしばしのものである。(『スッタニパータ』)


> 龍樹の手法は ここで(彼に)どう効いて どう 働ききれないか 
> 注意深く 分析してみると
> 十二問論は 通過しているでしょう

はたらききれていないところはないように思います。

『中論』第13章は、757を分析して、空性を明らかにしています。

[10381]   あなたの  揀択    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/02(Sat) 08:05   [返信]

[10381] Re:[10378]  価値の顛倒    投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/02(Sat) 08:02

聖者は 難易 が 「 縁起 」にあると シル(智)
それでも なおかつ
Su.762 を 説く

> > >  「 ブッダ の 道を歩むことは 難しいことでは無く ただ 嫌揀択 なのです 」
> >    世の中、それが一番難しい。
>    “ 一番難しいこと ” を いとも容易く 選択  している > というふうには 考えたくない

一番難しいこと (この際 「平等」を 否定する一番二番 は 置いておきます)

難しいことでも  楽々と出来る   そういう能力があるから  「平等」
 に あり    「平等」 を 説く者と並ぶと  聖者は智る

聖者が 易行 説いても 聞く者は それを否定し 難行という
( 聖者の理を 糾弾する )

「分かっていても止められない」  と  (聖者には)分からない理 を 
聖者に教えようとする

> 聖者 の 真理は  
> 聖者ではないとすることもできない者には
> 難しいこと

> 「聖者ではない」  と  聖者に属することを  真顔で言う 、、、、

> 難しいということ が 真理の表出  でなければ
> 誰の揀択で 難しいということになりますか ?

誰の揀択であろうと  あなたが 揀択する

それが正しいか  はたまた 直すべき個所があるかどうかも
あなたが 判断し  正しいことを 人生に積み重ねる 、、、、


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