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[10407] Re:[10405] 問 の 存在と 「空」 の 存在性  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/17(Sun) 17:33   [返信]

> > >   この解釈に、すべての状況がかかってくることになりますね。
> >    解釈によって変わるのは 解釈 (だけ) です
> >   「 理 」 は   “ 離 空( 非・仏 有 ) ”  に ある ( 非 と 仏 は 同音です )

> いや、その解釈の一つが通れば、そこで「 理 」が通ると判断します。

わたしの言うことに
対する
解釈を  一つ   “通しています”

> 解釈の中で、そのうち一つも通らなければ、それは解釈が通らないということです。

答え が ずれています

> 青目の注釈で気になるのは、そこなのです。

あなたの解釈で 気になるのはそこです

> この解説で、誰か、納得できるのだろうか

あなたが納得して、そう解釈する
わたしは納得しない

> という疑問があります。わたしだけが納得できないのであれば、誰かが理を通してくれるでしょう。しかし、どうしても納得できなければ、やっぱり納得できない部分をもっていると考えざるをえません。

どう ずれているかを  関連付けられますか ?


( 必要があれば 削除した書き込みを 再度 UPします ) 



[10405] Re:[10403] 問 の 存在と 「空」 の 存在性  投稿者:管理人エム 投稿日:2017/09/14(Thu) 10:41   [返信]

> >  この解釈に、すべての状況がかかってくることになりますね。
>
> 解釈によって変わるのは 解釈 (だけ) です
> 「 理 」 は   “ 離 空( 非・仏 有 ) ”  に ある ( 非 と 仏 は 同音です )

いや、その解釈の一つが通れば、そこで「 理 」が通ると判断します。
解釈の中で、そのうち一つも通らなければ、それは解釈が通らないということです。
青目の注釈で気になるのは、そこなのです。

この解説で、誰か、納得できるのだろうか

という疑問があります。わたしだけが納得できないのであれば、誰かが理を通してくれるでしょう。しかし、どうしても納得できなければ、やっぱり納得できない部分をもっていると考えざるをえません。

> 恒常・無常  という 括りで考えることもできないことはありません
> しかし 「 有 」 に 落ちる ことが 理を求める立場( ) に起きる

恒常・無常は、青目の注釈にあるから、そこを出しています。

 「 有 」ということは、青目の注釈の中には、4.8,4.9の偈には見あたりません。
>
> 問う ということは 「有問」       ( 有 の 立ち位置で 問 は  “存在する” = “有” )
> 若し 人 が  欲 答  するとき   ( 有 の 立ち位置で 欲 は  “存在する”       )  

「 有 の 立ち位置 」と「言う」ところにも「 有 」があります。
ここは、そういう先入観なしに読まなければならないのではないでしょうか。

なぜなら、その後に 「 離空而欲答 」と言っていて、そこで「 有 」であることが示されているからです。問いを立てた段階では、まだ「有」の立場かどうかわからないのではないかと思います。(というのが、わたしの“考え”ということになるわけですね。)

> >>  是則不成答倶同於彼疑
> 疑 がありて 問 があり 欲 がありて 「有」 が ある

そうそう、この順序で 「有」があります。そうだと思います。
>
>  離空 に於いての ( 「無」  を問い 離空而欲答 ) その答えを 欲するとき  倶同於彼疑
>
>
>
> 欲  離空   シコウシテ而  疑 を  “生ずる” ( 有 は 有問者  とは 違う用法  です  )
>  ( 有 の 立ち位置で 問 は  “存在する” = “有” )
>
> 有問者  問が“有る”  ということは   ( “有” は  人がある  のではなく  問 が囲い込まれて なおかつそれを 強調する“者” 意味です )

ここは、わかります。 こういう風に「者」とあるとき、「ならば」と読んでいます。

「問が“有る”」と読んでいるのですね。
「問がある(=生ずる)」ではなくて。

たしかに、そうなのかもしれないですね。鳩摩羅什の訳だと、そうなるのか。。。


> >>   離空 而  欲答   
>
> ここに  “無”(非)理  が  「有」 ( “存在する” = “有” )

この理屈もわかります。「有」の立場で、理を否定すると “無”となります。(空を離れているから)

> “ 非難する ”  という 意味に 疑を生じます
> 龍樹 の モンジ であるということを  念頭 に 置くと   よいでしょう

「非難」は、ウパーランバというサンスクリット語だと思いますが、これは、チャラカの「論議道」に載っていることばです。これを用いているので、龍樹の モンジであることはわかります。そのつもりですが、ここにも、龍樹の 使用の仕方 があります。
相手の使っていることばを使っている、というところに、「空」を見ます。
>
> 信を置いて それを使えば 事足ります

それを言ったら、おしまいだと思います。
信じてない人が、対象になっています。

> ここは 瑜伽・瞑想  の 領域です

五蘊の領域で語っている と思います。
空が問題になっているからです。

>
> > でも、鳩摩羅什は、春間さまのように理解していた可能性はあるなと思っています。
>
> “ 可能性 は(が) ある ”  という意味は  そうではない という意味が 支配している中の  許認可事項です

そうではない という意味は、ここにはありません。
確かめられないので、「 可能性がある 」というのです。他にも、まだ、あるのかもしれないし、よくわからないからです。


> > 「達意の意訳」と評されていますが、そんな感じはしてきます。
>
> 「達意」 の人を 「 仏 」 と呼ぶ
> “達意の人” が 達意の意訳  と  慢を持す

意訳 というのは、よく仏法を知っているというところでもあります。

バーヴァ(bhAva)もダルマ(dharma)も「法」と訳したりする。
しかし、ときにバーヴァは「性」という訳語が与えられている。

他にもいろいろあります。でも、それらに、問題は感じません。
アクロバット的な感じはしますが、意図的なところはないし、たしかに、ある部分よくわかるようにはなります。

満を持して、そうしているのかもしれない、とも思いますが、青目で苦労しているな、って感じがしてきます。
『大智度論』だと、あまり悩んでいる様子はうかがえないですが、『十二門論』と『中論』には、なんとなく ためらい を読んでしまいます。

[10404] Re:[10403]  取りあえず  削除   投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/14(Thu) 10:06   [返信]

反応がないようなので
不要とされていると判断し 削除します


[10403] Re:[10402] 問 の 存在と 「空」 の 存在性  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/13(Wed) 08:56   [返信]

ヨク  校正・校訂 せぬままに 送ります

>>  (若人有問者離 空而欲答 是則不成答倶同於彼疑)(4.8)

>>   ( 人に問がある ということは 空を離れて答えを欲す ということ )


> >  両方ともにかの疑いと同じことになる。

>  この解釈に、すべての状況がかかってくることになりますね。

解釈によって変わるのは 解釈 (だけ) です
「 理 」 は   “ 離 空( 非・仏 有 ) ”  に ある ( 非 と 仏 は 同音です )

> 「両方」と「かの」というこの部分をどう解釈するかで、いろいろな状況のうち一つが現象してきます。
> 恒常・無常を争う人が、どちらかが非難をすれば、非難を成り立たせることができない。
> 両方は、恒常・無常を争う「両方」ということ。そうであれば、今度は、「かの疑い」の「かの」が問題になります。

> 「かの」は、「恒常・無常のどちらか」ということで、その疑い、ということか?

恒常・無常  という 括りで考えることもできないことはありません
しかし 「 有 」 に 落ちる ことが 理を求める立場( ) に起きる

問う ということは 「有問」       ( 有 の 立ち位置で 問 は  “存在する” = “有” )
若し 人 が  欲 答  するとき   ( 有 の 立ち位置で 欲 は  “存在する”       )  
>>  是則不成答倶同於彼疑
疑 がありて 問 があり 欲 がありて 「有」 が ある

 離空 に於いての ( 「無」  を問い 離空而欲答 ) その答えを 欲するとき  倶同於彼疑



欲  離空   シコウシテ而  疑 を  “生ずる” ( 有 は 有問者  とは 違う用法  です  )
 ( 有 の 立ち位置で 問 は  “存在する” = “有” )

有問者  問が“有る”  ということは   ( “有” は  人がある  のではなく  問 が囲い込まれて なおかつそれを 強調する“者” 意味です )




>>   離空 而  欲答   

ここに  “無”(非)理  が  「有」 ( “存在する” = “有” )




> 理論的には、それでいいのだとも思うのですが、そうなら「空」がどう働けば、非難することができるのか、と、今度は前の文に疑問が出ます。

“ 非難する ”  という 意味に 疑を生じます
龍樹 の モンジ であるということを  念頭 に 置くと   よいでしょう

> 空を離れたら会話にならない、ということはつかめても、具体的にどのような会話になるのだろう、とか、空をどのように入れて語るのだろう、とか、空っていったいどういうことなんだろう、とか、疑問が出てきてしまいます。

信を置いて それを使えば 事足ります
ここは 瑜伽・瞑想  の 領域です

> 青目の注釈を読んでも、「空がどのように現象すればどうなるのか」が、やはり明瞭に浮かんできません。

> 春間さまの訳は、たしかにその通りだと思うのですが、青目の注釈とどうつながるのか、よくわかりません。
究竟涅槃  は  問い続けるところにある

> でも、鳩摩羅什は、春間さまのように理解していた可能性はあるなと思っています。

“ 可能性 は(が) ある ”  という意味は  そうではない という意味が 支配している中の  許認可事項です

> どこか、つかんでいるのだけど、青目が邪魔しているのかよくわかりませんが、鳩摩羅什もすっきりしないモヤモヤした感じでいるような気がします。

すっきりしなくて モヤモヤ するのは  あなたに起きて 鳩摩羅什 に 被せられる( “彼” の翳障 )

> 「達意の意訳」と評されていますが、そんな感じはしてきます。

「達意」 の人を 「 仏 」 と呼ぶ
“達意の人” が 達意の意訳  と  慢を持す

そういう感じ を 捨てる時 「 離 欲(「有」) 」 は 起きている


[10402] Re:[10398] 問 の 存在と 「空」 の 存在性  投稿者:管理人エム 投稿日:2017/09/13(Wed) 07:44   [返信]

> (若人有問者離 空而欲答 是則不成答倶同於彼疑)(4.8)
>
> ( 人に問がある ということは 空を離れて答えを欲す ということ )

なるほど。この理は、その通りだと思います。

> (その時)(空を離れては)答えを成さず

ここもわかります。

> もし人が非難する側になって、空を離れてその過ちを説こうとするならば、これ は非難を成り立たせる事ができない。両方ともにかの疑いと同じことになる。
>
> *  問う(と)は、「空」を離れて答えを欲す(ことである)
> * (その時)(空を離れては)答えを成さず
> * (既に) 問う(事の)中に  「空」 が 存在している (空ではなくして 存在する)

> もし人が非難する側になって、空を離れてその過ちを説こうとするならば、これ は非難を成り立たせる事ができない。

この点は、よくわかります。たしかにそうだと思います。
そうなると、はっきりしないのが、

> 両方ともにかの疑いと同じことになる。

この解釈に、すべての状況がかかってくることになりますね。

「両方」と「かの」というこの部分をどう解釈するかで、いろいろな状況のうち一つが現象してきます。

恒常・無常を争う人が、どちらかが非難をすれば、非難を成り立たせることができない。
両方は、恒常・無常を争う「両方」ということ。そうであれば、今度は、「かの疑い」の「かの」が問題になります。

「かの」は、「恒常・無常のどちらか」ということで、その疑い、ということか?

理論的には、それでいいのだとも思うのですが、そうなら「空」がどう働けば、非難することができるのか、と、今度は前の文に疑問が出ます。

空を離れたら会話にならない、ということはつかめても、具体的にどのような会話になるのだろう、とか、空をどのように入れて語るのだろう、とか、空っていったいどういうことなんだろう、とか、疑問が出てきてしまいます。

青目の注釈を読んでも、「空がどのように現象すればどうなるのか」が、やはり明瞭に浮かんできません。

春間さまの訳は、たしかにその通りだと思うのですが、青目の注釈とどうつながるのか、よくわかりません。

でも、鳩摩羅什は、春間さまのように理解していた可能性はあるなと思っています。
どこか、つかんでいるのだけど、青目が邪魔しているのかよくわかりませんが、鳩摩羅什もすっきりしないモヤモヤした感じでいるような気がします。

「達意の意訳」と評されていますが、そんな感じはしてきます。

さまざまな制約の中、最大限、うまく訳そうとはしている、という苦労がよくわかります。
国家的な仕事として行われた訳経場のありさまも知られていることから、鳩摩羅什の自由にならないところも多かったろうと思いますね。たとえ、意訳はしても、原文に忠実で、しかも、すっきりとわからなければならない、中国人は簡略を好むから、直感的につかめるものでなくてはならない、という感じが伝わってきます。

印順氏が、このように書いています。書いてあることが、おおよそ飲み込めてきました。

 羅什の「秦語」が十分なものではないという事実に直面して、僧叡等の筆記者は如何ともしがたいように思われることもあった。筆をおいて、原文と「秦語」の間の適合性を論じれば、その場で多くの人の様々な意見が飛びかい、結論が得難いという難題に直面する。また、訳語が複雑な場合、これを簡潔にして受持しやすい文章に置きかえると、こじつけだという非難を受けかねない。そこで、訳者が話したとおりに書く、とするしかなかったのである。立派な修辞がない以上、読者が字句にこだわらず、玄義を把握してもらうしかなかったわけである。
 このように限界はあったが、僧叡等の筆記者には、これが「秦語」の訳本であり、中国人のために訳されたものであることを忘れることはなかった。
                    (『大智度論』の作者とその翻訳』pp.6-7)

少しピンとこないところもあるのですが、鳩摩羅什がいかに苦労しているのかということだけは、伝わってきます。かれは、「中国人のために訳した」ということになってるんだなあと。そして、実際、そうだったのだと思います。求められたのは、そこだったのかとも思います。

[10401] Re:[10400] 問 の 存在と 「空」 の 存在性  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/12(Tue) 13:14   [返信]

> > 何を問題としているかが 分かりにくいだろうと 想像します

> 余計に分かりにくくなったかな ?

論語 <先進>  
    「 有 顔回 者 」
      顔回 としての存在が  ある
    「 有問者離空  」 
      離 空  問なること  あり
    「 若(し)  人 答 欲 」


[10400] Re:[10399] 問 の 存在と 「空」 の 存在性  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/12(Tue) 12:50   [返信]

> 何を問題としているかが 分かりにくいだろうと 想像します

余計に分かりにくくなったかな ?


[10399] Re:[10398] 問 の 存在と 「空」 の 存在性  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/12(Tue) 12:41   [返信]

何を問題としているかが 分かりにくいだろうと 想像します
先に レヴィ=ストロース を あげたのには
 構造的  意味 が あります

「神話と意味」
  神話の基本的な意味は、ひとつづきに連なるできごとによって表わされているのではなくて、いわば
   〃できごとの束〃によって表わされている

言語の どの一つをとっても  それは 神話となります
関連性をもってない 言語 は 存在していないからです
そのとき 、 どこに関連付けるかが 問われることです
飛躍すると 一つの文字は  すでに 曼荼羅 です

あまり この記述に囚われると
“有問者”  に 囚われることとなります


あなた や わたしが 「者」 ではない

「 若人 有問者離空 而 欲 答   是則 不成答 倶同 於彼疑 」

と 読むということです


[10398] 問 の 存在と 「空」 の 存在性  投稿者:  春間 則廣   投稿日:2017/09/11(Mon) 16:51   [返信]

(若人有問者離 空而欲答 是則不成答倶同於彼疑)(4.8)

( 人に問がある ということは 空を離れて答えを欲す ということ )
(その時)(空を離れては)答えを成さず


もし人が非難する側になって、空を離れてその過ちを説こうとするならば、これ は非難を成り立たせる事ができない。両方ともにかの疑いと同じことになる。

*  問う(と)は、「空」を離れて答えを欲す(ことである)
* (その時)(空を離れては)答えを成さず
* (既に) 問う(事の)中に  「空」 が 存在している (空ではなくして 存在する)


(若人有難問離空説其過 是不成難問倶同於彼疑)(4.9)*1


[10397] Re:[10395] 細かい点ですが 投稿者:管理人エム 投稿日:2017/09/09(Sat) 17:29   [返信]
pocketさま 丁寧に見ていただいて、すみません。


> p.12
> > なぜなら、この人、空の相を取らないからである。
>
> は
>
> なぜなら、この人は、空の相を取らないからである。

はは。。は
と、笑って、ごまかす。

ほんと、たしかに、そうですね。
漢訳を読んでいると、漢訳調に慣れてきて、「てにをは」を省略してしまいます。

> 「この人は」の「は」が抜けてるのじゃないかな、と

> p.13
>> また、月称などの説く『中論頌』とも異なっている点、たしかに問題がある。

> は「とも異なっている点も、たしかに問題がある。」
> かな?

なるほど。
そうですね。直しますね。今日のうちに直そう。

どうもありがとうございます。

>
> すでに訂正済みだったらすみません

いえいえ、それどころか、全然気づく気配もありませんでした。

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