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[68]  アチコチ
日時: 2015/02/20 10:49
名前:  春間 則廣  ID:W5UBEaPg

[No.9388] Re: 表と裏 右と左  同音意義   投稿者:  春間 則廣  投稿日:2015/02/20(Fri) 10:47:16
釈迦牟尼の言説などない

聞いたものの言説があるのみ

“龍樹はこう述べている”
のでは なく、 “わたしはこう述べる” です

正しい理を知る者は、聞くということに、如是 が 付く


聞く時と、知る時と、行いにある時とが、  “ 同時( = 同所 ) ” にある
聞くも、知るも、行いも、 三世を超えて         今        にある




それを聞くとき に、同時に(解釈が起き、その解釈に聞き耳を立て)
自ら述べる、ことが起き、述べると同時に、それを聞く自分がいるが、
その自分に気付くことは、訓練(瞑想)なしには、起きない

言い換えると、気付く   もの   には、
瞑想がある
( あるかどうかに気付くことと、ある事とは別の階梯 )


> 龍樹が、ブッダから来ていることは、

ブッダ が あって、 「法」  が  ある
その法は仏陀の出現にかかわらずあるけれど

存在は 識 によって 有らしめられる( 意味=意義=価値 を持つ )  
価値のないモノは、存在の 意味=価値 が  ない ( 有 → 無 → 有 )

“  同時  ” に 起きていることの、そのどれを抜いても、
存在があることにはならない(三世に亘らぬものに存在はない)

> 火を見るより明らかだと思うけど。。。

見る  ということ  が 触れるということ同義なら、
「法」 は 触れる以前に 確立している

存在は  意味を 持っている( 「縁起の理」 に ある ) から、
存在がある(有無)ということが成り立つ

そんなことはない  ということ(対象と対象とする者)に、意味がなければ、
そういうこと(そんなことはないということ)はない


戻るの も はバカられる ところに 戻るが

意識 や 思い は モノです
モノに意味がなければ、存在がない
翻って、
色は 識とは別の定義を持つ
それは、受 という 形式に乗って、識に移る

思い には価値がない(存在がない) → 思いは色(モノ)ではない
> 意識 や 思い は モノです

二つは、一つにすると、矛盾を生むかな ?

あなたは私ではない
わたしは“あなた”ではない
滅私奉公
( 公とは 最少の三地点で囲って、境界を明らかとして、自他を分けることに 開くという記号を足したものです )

「 自他不二 」 不二とは 、 
不一不二    という  “一つ” で成り立つ真理です

一つには かならず 二つめの存在がある(二種の観察)
それを見つめる 三つ目 が 額にある目です (一つ一つに、三つ目がある)



矛盾を克服するには
一つに拘る方法に拘ることと
こだわりを捨てる方法とがある

拘っているうちは、矛盾はない
拘りがなくなるとき、矛盾は克服されている

なくなるのではない
あるモノはなくならず、
ないモノはあるようにはならぬ

あると思う モノ(識) と 
ないと思う モノ(識) とは、
有無にかかわる モノ です

分からぬ “もの” は 多く ある

玄奘三蔵もここに迷い
ここに拘り
迷いを  無し  と した


瞑想にあるモノには、存在がある

メンテ

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