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[79] 教えてください。
日時: 2015/07/19 21:09
名前: joy ID:LjqrF3so

早速ですが、「解脱すれば、名称と形態が裂け落ちる」の出典をご存じないでしょうか。

あまり外出出来なくて、おちゃらけ様に教えていただいた「レファレンス共同サービス」を利用することができません。申し訳ありませんが、ご存じでしたらご教示願います。
メンテ

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教えて欲しい ( No.1 )
日時: 2015/07/19 23:21
名前: おちゃらけ ID:yB7y9kHM

これから荷造りしなきゃならないんですが行きがかり上・・・

> 「解脱すれば、名称と形態が裂け落ちる

「解脱」と「裂け落ちる」が組み合わさった表現って「仏典」にあるんでしょか???
と思いつつ、なにはともあれググってみるのが一番ではないかと。

お、おぅ。。。

以下にコメント機能があるようですから、そちらにコメントされるのがベストかと。。。

http://p.booklog.jp/book/44586/page/905593

あと、ご自分の関心や研究背景を語らず質問オンリー教えてくださいが効く回数はそんなに多くないんじゃないかと。。。

せっかくのビギナーズラックを安易に使うのはまったくもったないなぁ。。。!
とアホーな老婆心。

では、しばらく留守にします。
メンテ
  業 で イーカ  ?   ( No.2 )
日時: 2015/07/20 07:28
名前:  春間 則廣  ID:YdtIcyO.


以前  宮本啓一 (国学院大学教授・このブログの居候であり 前=後 の 主=従=住 人 )
は、

囚(シュ)人は 集にオモネル 仁(心・真)を忘れる
( 私は私の トリコ=囲いに囲まれた人=イレコ になっている  →  取りこぼしているかな ? )


よく(たびたび)、
 「 私はお答えマシーン ではありません 」 
と応えていました

アホー  だと知ると  アホー から 離れる

離れると、またくっつける( 可能かどうか は、自分でその理屈をくっつける )

( 七回知って、八度目に 転を知る ゴーディカ  岩波文庫 「悪魔との対話」 323p )


******


(わたしの言葉を)無視する もの(無地に値するわたし)には
無視(に値)する価値が与えられている



いつでも、誰にでも、 当て嵌まるように作ってあります
何故かって ?
( つくり用を知る者には、作られ方が理解される )


それはいつも、自分の為に書き込んでいるから
まず自分で実証して、その実証が他に及ぶ
(自浄語彙・自浄其意)

KIM君が、言葉の上だけで 知っている(知っていても行いになっていない→知らない)
言葉がそのまま私です → 思い(意・識)がそのまま私です → “わたし”がそのまま“あなた”です

と知ると、
知ったように言葉が生まれ出ている
(  だれが  どういう人生を選んでいるかな ?  )

自分の人生を大事にしないと、他人を踏みつける

分かるまでは、踏みつける

( ワタシハワカッテイナイカラ アナタヲフミツケルコトバニアル )

分かるまでは 分からない (これも宮本教授の言葉です)

顛倒していると、その言葉が、自分の言葉であると思う

(  どう (自他に)及んでいるかな ?  )

メンテ
質問の背景です。 ( No.3 )
日時: 2015/07/20 14:08
名前: joy ID:z1XGtVqU

おちゃらけ様のおっしゃられる「ご自分の関心や研究背景を語らず質問オンリー教えてくださいが効く回数はそんなに多くないんじゃないかと。。。」
は、本当にそう思います。専門が他の領域で(専門といえるほどのものはありませが)・・・、端折って言えば、思いがけず、『中論』に説かれるプラパンチャの定義が気になりだして、というより。プラパンチャが分からなければ、死ねないなという気持ちになりまして、当初書く予定であった論文の題目がどこかに行ってしまい、簡単に言えば、「プラパンチャとは何か」が中心のテーマになってしまったのです。ご存知と思いますが、プラパンチャは漢訳では戯論とされています。
このプラパンチャが分かるということは、涅槃が分かるということに帰結すると思うのです。
『中論』には涅槃のアンチテーゼとしてプラパンチャが位置付けられていますので。
気持ちだけは凄くあるのですが、如何せん仏教の知識もなく、何度も断念しようと思ったのですが、気が付けばいつもこのテーマに戻ってしまいます。それでも当初は、プラパンチャを認知言語学の領域からアプローチするつもりでしたが、それでは物足りなくてプラパンチャそのものを知りたい思い、ほとんど自滅の有様です。とにかくわからないことだらけで、聞けるところがなくて、石飛先生の本とのご縁でこのページを知り、がつがつと質問してしまいました。でも、いろいろご教示いただき本当にありがたいです。
メンテ
わたしが、裂け落ちたっす ( No.4 )
日時: 2015/07/20 22:37
名前: 管理人エム ID:47iuPuyc

こんばんは。
いつも出遅れてますが、また、出遅れで。

ええっと、解脱は、裂け落ちる。。

おちゃらけさまっ!、

http://p.booklog.jp/book/44586/page/905593


ああっ~、これ、SRKWブッダ氏のサイトですよ、覚えてますか!

かつて、このサイトで「悟り開陳」をした方ですね。


ああっ、もう、出かけちゃった??
メンテ
名色だけでは。。 ( No.5 )
日時: 2015/07/20 23:17
名前: 管理人エム ID:47iuPuyc

joyさま

『スッタニパータ』第五章 彼岸道

1026 (ゴータマ・ブッダは答えた)、「無明が頭であると知れ。明知が信仰と念(おも)いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落とさせるものである。」

こちらが、いいと思います。

解脱は、名色が裂け落ちる、だけでは得られないと思います。


煩悩からの解脱を求めないと。。


おちゃらけさまのあげてくれたサイトの方は、自称、悟った方、ということで、このサイトにいらしたことがあります。

プラパンチャは、たしかに、これの滅に近いところまではもっていけると思いますが、これは、非想非非想処という禅定までであって、もし、解脱しようとすると、名色だけではなく、行(サンスカーラ)も滅しないとならないでしょう。

名色を一時的に滅しても、禅定から出ると、またよみがえります。

プラパンチャというのは、心の中の思いやことばなどからなるもので、どんどん広がっていくという特徴があります。時に、「意識の広がり」などという訳もあったかもしれません。

先ほど、ご質問の『アングッタラ・ニカーヤ』p.161のようなものですね。
六つの接触のあるところを残りなく離れ滅した後で、どんなものがあまっているのですか、というようなことを聞いて、どんどん無駄に議論を膨らませているので、「プラパンチャ」といわれています。

「無戯論を戯論する」とは、もはや、戯論の余地のないものについて、さらに問題にして無駄に議論をふやしてしまっていることを述べています。

こういうことはよくあります。意味なく、概念をふやして、議論をむだに複雑にしてしまったりとか。

ものごとがよく分かってくると、もはや議論の余地がなくなって、自分の中で何の問題も生じなくなります。分かると、いろいろ考えることや議論することも必要なくなるので、戯論寂滅といわれるのでしょう。
メンテ
  戯論  ケロンパ    ( No.6 )
日時: 2015/07/21 07:30
名前:  春間 則廣  ID:3YlQLF7M

議論好きのモノより

好きか嫌いかを好きなものは
好き嫌いを言う  キライニアル

戯論寂滅とは

寂滅にあるということ

戯論があれば、
寂滅はない

戯論がなければ、
浄土にある

曇鸞は そこをあかし
親鸞は 親しくそこに住する 

そこがどこか は 戯論にある

メンテ
教えて欲しい・教えを欲する ( No.7 )
日時: 2015/08/03 12:58
名前: おちゃらけ ID:DUEolGPQ

joyさま

もうご自分のご研究に戻られたましたか。

> 思いがけず、『中論』に説かれるプラパンチャの定義が気になりだして、というより。プラパンチャが分からなければ、死ねないなという気持ちになりまして、当初書く予定であった論文の題目がどこかに行ってしまい、簡単に言えば、「プラパンチャとは何か」が中心のテーマになってしまったのです。ご存知と思いますが、プラパンチャは漢訳では戯論とされています。

「出会っちゃった」んですね。

> このプラパンチャが分かるということは、涅槃が分かるということに帰結すると思うのです。

凡夫としては「目的が逆」かもですよ。
「涅槃がわかるということは、プラパンチャが分かるということに帰結する」からスタートした方が道に迷わないかもです。

なぜなら(「現前に見えるもの」がプラパンチャであっても)
> いづれの玉か初より光ある

お互い「自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ」で精進しましょ~o(´∀`)o

======
花は年々に開くれども、皆得悟するに非ず
竹は時々に響けども、聴く物ことごとく証道するにあらず

玉は琢磨によりて器となる
人は練磨によりて仁となる
いづれの玉か初より光ある
誰人か初心より利なる
必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし
自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ
(『随聞記』四-5)
メンテ
ギョ ギョッ  ギョ 苦  ( No.8 )
日時: 2015/08/03 17:04
名前:  春間 則廣  ID:u.o6hboM

今までしてきたことの
上(下)に、
今していることがあり
その上(下)に
することがある

上下は、どのように縁起しているかを知ると
過去と現在と未来の関連性が分かる

> いづれの玉か初より光ある
瓦をいくら磨いても
鏡にはならぬ

玉も鏡も 自ら光るわけではない

何故、瓦であるかをらなければ 、、、、

まずは、
襟もとのチンターマニを 知ることから始まる


メンテ

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